マコママシリーズ





第四章  幼稚園入園編   14






 「あ、あの、どんな仕事をなさってるんですか?」
 家庭のことを聞くのは悪いかもと思い、無難な話題を振ってみる。すると加納は、くしゃっと目尻に皺を蓄えて笑いかけてきた。
こんなふうに子供っぽい笑みを向けられると、随分始めとの印象が違う。
 「イタリア料理店のコック見習い」
 「えっ、コックさんなんですかっ?」
 「見えないだろ?」
 ここでうんと頷くのは辛うじて我慢した。
加納の外見から想像すると、どちらかといえば肉体労働の方が似合うと思った。それでも、目の前の男がコックの制服を纏ってい
る姿を想像してみれば結構しっくりとくる。
 「じゃあ、料理上手なんですね〜」
 海藤も本格的なイタリア料理は滅多に作らない。舌が肥えている海藤は美味しい店も知っているので、どうしても食べたくなっ
たらそこに行けばいいのだが、貴央が生まれてからはまだ小さい子供が同伴ではと思い、そういえば最近出かけて行っていなかっ
た。
(う・・・・・想像すると、美味しいピザ食べたくなってきた)
 「そっちも、でしょ」
 「俺?」
 頭の中でピザのことばかり考えていた真琴は、急に加納に声を掛けられて慌てて顔を上げる。
 「バザーの時の評判は聞いてる。男前の仲間を引き連れて、あっという間に完売したんだろ?」
 「ひ、引き連れてって・・・・・」
 いったいどんな評判なのかと真琴の頬は引き攣ってしまったが、加納はまったく悪気が無いようだ。
確かにあの時は海藤だけでなく綾辻も一緒になって、少しばかり売り場が煩くなってしまった。あの場には男性の姿は見えなかっ
たが、どこからかその様子を聞いたのかもしれない。
 「海藤さん」
 「・・・・・っ」
 いきなり、ずっと身を乗り出してこられ、真琴は勢いに押されて少し後ずさってしまう。
 「ずっと、話してみたいと思ってたんだ、噂の的だったし。でも、こうして話していると普通の男だな」
 「か、加納さん?」
 どういった意味で加納が自分に近付きたいと思ったのか。それは今自身でも言った《噂の主》だったからだろう。
男同士のカップルで、子供も生まれて。傍から聞けば一体どうなっているのだろうと興味をもたれてしまうのは覚悟していたし、今
までも好奇の目に晒されてきた時もあったが、そのほとんどは陰口のようにこっそりとだ。
こんなにあからさまに言われてしまうと、何だか悲しみや苦しさより、単純に驚きという感情の方が大きい。
 「・・・・・物好きですね」
 ポツリと言った真琴に、加納は一瞬呆気に取られたようにマジマジと顔を覗き込んできて、
 「はははっ」
次の瞬間、大きな声で笑われてしまった。
 「・・・・・おかしいですか?」
 「気づかないトコがおかしい」
 「はぁ」
よく分からないままそう言えば、さらに大きな声で笑われてしまった。



 その夜、夕食を済ませ、貴央を風呂に入れた海藤が落ち着くまで待った真琴は、目を擦り始めた貴央を見て立ち上がった。
 「たかちゃん、そろそろ寝ようか?」
 「う〜」
海藤の膝に乗っていた貴央は、眠たい目を擦りながら少し不満げな声を出す。
 「明日はお遊戯会でしょう?早く寝ないと起きれないよ?」
 「・・・・・は〜い」
 大人しく立ち上がろうとした貴央をそのまま抱き上げた海藤が、真琴を目線で抑えてリビングから出て行った。
 「・・・・・もう、海藤さんも甘いんだから」
貴央に関して、何をするにしてもまだまだ心配が消えないと言う真琴を海藤は笑うが、こんな光景を見ると彼もかなり過保護だと
実感する。
(たかちゃんも、絶対に甘えてる)
まだ眠りきっていないので、ちゃんと自分で歩かせて寝室に向かえばいいはずだ。そうは思うのに、見送る自分の顔はきっと綻ん
でいるので説得力はないだろう。
 「・・・・・」
真琴はそのままキッチンに行ってカップを取り出す。きっとコーヒーが出来るまでに、海藤はここに戻ってくるだろう。

 予想通り、10分もしないうちにリビングに戻ってきた海藤は、タイミングよく差し出したカップを見て笑みを浮かべてくれた。
 「ありがとう」
 「直ぐに寝た?」
 「ああ、歌を歌いながら」
思い出し笑いをしている海藤に、その場面をビデオで撮っておけば良かったと思いながら、真琴は早速今日の出来事を報告す
る。
 明日のお遊戯会は、一応貴央が出る時間は見に来てくれると言っていた。自分が出る人形劇を見る時間まであるだろうか?
 「ああ、ちゃんと見せてもらう」
 「ホントにっ?」
忙しい海藤の時間を割いてもらうのは本当に悪いなと思いつつ、やはり来てくれるのは嬉しい。
思わずにこにこ綻んでしまう頬を抑えていると、海藤はさらに言葉を継いだ。
 「その加納という父親は、それ以上お前に何か言って来なかったのか?」
 「それ以上?」
 「店に来いと誘われただろう?」
 「どうして分かったんですか?」
 勘の良い海藤の言葉に驚いていると、なぜか大きな溜め息をつかれてしまった。どうしてそんな態度を取られるのか分からない
真琴は、首を傾げながらじっと海藤を見つめる。
 「あの・・・・・」
 「・・・・・とりあえず、明日頑張れ」
さすがに誤魔化されたことに気付いたが、真琴は反射的に頷いていた。



 話を聞くだけでも、その加納という男が真琴に興味を持っている様子なのは分かった。
真琴はそれを男同士のカップルに対する興味だと思っているようだが、海藤には真琴だけに向ける言葉のようにしか思えない。
(無茶なことはしないとは思うが・・・・・)
 自身の子供が通う幼稚園の行事で行動を起こすことは考えられないものの、用心に用心を重ねるのは間違いが無い。
 「それで、狼役は上手くいきそうなのか?」
 「え・・・・・あ、俺の普段の声よりも低くしなくちゃいけなくって。それに、指人形だから手をぐっと上げて動かしてると、結構疲れる
んですよ?頭も出ちゃうし」
身振り手振りを交えて説明してくれる真琴の頭の中からは、きっと先程の会話は消えてしまったはずだ。
(それでいい)
 用心はして欲しいが、むやみやたらに他人を疑うということは真琴には無理だ。
そのために自分が側にいるのだと、海藤は目を輝かせて話し続ける真琴に相槌をうっていた。







 そして、お遊戯会当日。
何時もの制服に白いハイソックスをはいた貴央は、幼稚園の門をくぐると元気に手を振って教室へと走っていく。
 「・・・・・ふぅ」
 開演は午前10時から。人形劇は11時からで、まだ一時間以上時間はある。
準備は手伝わなくてもいいので多少は余裕があるものの、一度家に帰る時間は無さそうだ。
 「海藤さん」
 送って貰った車もいったん帰ってもらい、自分も何か手伝いをしようかと思っていた真琴は、不意に後ろから声を掛けられて振り
向いた。
 「あ、加納さん」
そこにいたのは、昨日名前を知ったばかりの加納だ。しかし、彼の人懐こい笑顔と気安い話し方によそよそしさは感じず、真琴も
笑って挨拶をした。
 「おはようございます」
 「おはよう。早いな」
 「えっと、落ち着かなくって」
 「セリフを間違えるかもしれないって?」
 からかうように言う加納は本気ではない。だからこそ、真琴も安心して言葉を返すことが出来る。
 「セリフは台本を見ちゃいますから大丈夫です。それよりも、舞台に頭が出ないかの方が心配ですよ」
昨日の練習時も何度も注意されていたことを言うと、加納はポンポンと軽く背中を叩いてきた。
 「大丈夫、ちゃんと練習したんだからな。それに、何かあったら俺が絶対にフォローするから」
 「頼りにしています」
 実際はそんなことが無い方がいいのだが、そう言ってもらうと安心出来る。
 「加納さんも早いですね」
 「俺は前準備を手伝わないといけないから」
 「あ、手伝いますっ」
どうやら自分にも何か出来ることが見付かりそうだ。張り切ってそう言う真琴をじっと見ていた加納は、頼むと言いながら背中を
押してきた。



 「あっ、ここです!」

 加納の手伝いだけではなく、ゴソゴソと裏方の手伝いもしている間に、あっという間に開演の10分前にまでなった。
そう広くはない講堂の中に全学年の父兄全員が入れるわけもなく、年少、年中、年長と、それぞれが発表をするたびに中の父
兄が入れ替わらなければならない。
 貴央はプログラムの3番目に歌で出ることになっていて、真琴は1番の演奏を背中に聞きながら講堂の入口で海藤を待ってい
た。

 仕事場から直接やってきた海藤は見慣れたスーツ姿だ。どの父親もラフな格好をしている者が多く、そんな中で海藤の姿は高
身長と怜悧な美貌も相まってかなり目立つ。
 チラチラと向けられる視線に一々構っているのも大変なので出来るだけ無視を心掛け、真琴は海藤の腕を掴みながら言った。
 「もう直ぐ1番の演奏が終わりますから」
 「貴央は3番だったな」
 「お風呂場で練習していたあの歌ですよ」
そう言うと、海藤は少し目を細めて笑う。その時の光景を思い出しているのだろう。
真琴も食事の支度途中に散々聞かされたことを思い出し、笑いながら楽しみですねと告げた。
 「みんなにちゃんと見せるようにビデオも撮っておかないと!」
 手の平サイズのビデオカメラをしっかり持ちなおすと、海藤が手を出して渡すように言ってくる。撮ってくれようとしているのが分
かったが、海藤には余計な気を回さずに貴央の成果を見て欲しいと思った。

 「出てきたっ」
 講堂の中の父兄が入れ替わり、真琴は出来るだけ前の席を陣取ってビデオを構える。
緊張したように舞台袖から出てきた貴央は、こうして皆と並んでいる姿を見れば少し小さいのが良く分かった。
それでも、直ぐに真琴達の姿を見付けたのか、嬉しそうに顔を綻ばせて手を振ってくる。
 「マコッ」
 「・・・・・っ、しー!」
 名前を呼ばれて焦った真琴は、返って大きな声を出してしまった。その途端、周りからいっせいに視線を向けられ、クスクスと笑
われる声も耳に届く。
(は、恥ずかしい〜っ)
俯き、思わず隣に座る海藤の腕を掴んでしまうと、大丈夫だというように軽く叩いてくれた。
 「・・・・・」
 真琴はそれに力を貰い、顔を上げる。大切な子供に名前を呼んでもらうなんて、こんなに嬉しいことなんてないはずだ。
 「頑張れ、たかちゃんっ」
今度は自分の方が声援を送れば、他の父兄たちも口々に子供達の名前を呼び始めた。どうやら自分の言葉が切っ掛けになっ
てしまったらしい。
 「みんな、お父さんやお母さんがこんなに応援してくれているんだから、頑張ってお歌を歌いましょうね」
 「は〜い!!」
 先生の言葉に全員が張りきって手を上げて応えた。
 「真琴、ビデオ」
 「あっ」
真琴は焦ってビデオを録画し始める。レンズの向こうに、アップになった貴央の緊張した表情が見えた。
(頑張れ、たかちゃん)
 自分の声が入らないよう、口パクで応援する。
子供達の前に立った指揮者役の先生が、ゆっくりと手を上げた。





                                   





なかなか行動力のある加納さん。
お遊戯会は次回まで(汗)。