マコママシリーズ





第四章  幼稚園入園編   3






 貴央が幼稚園に通うようになってから、海藤家の朝はとても騒がしくなった。
今まで海藤が出勤をするのは午前9時頃で、真琴はその後自分と貴央の支度をし、貴央を連れて大学に行ったり、開成会の
事務所に行ったりと、比較的ゆったりとした時間配分だった。
 それが、貴央の幼稚園は午前9時までに登園しなければならないようになって、まだ迎えのバスに乗せるのが不安な真琴は
車で貴央を送っていた。
 もちろん、免許の無い真琴は車が運転出来ないので誰かに頼むことになり、とても申し訳なく思うのだが、せめて貴央が幼稚
園に慣れるまではという気持ちでいた。
 幼稚園に間に合うようにマンションを出なければならないのは午前8時20分。すると、
 「俺も一緒に出よう」
そう、海藤が言いだした。
 「え、で、でも、そうすると海藤さんだって早く準備をしなくちゃいけないし」
 「30分くらい早くても構わない」
 「海藤さん・・・・・」
 「貴央とも、ゆっくり話せるしな」
 そう付け加えた海藤の言葉に、真琴はああと納得した。
そうでなくても海藤は自分達のために無理をして、毎日午後7時過ぎには帰ってきてくれる。
ただし、仕事が立て込んでしまえばそうはいかなかった。
 そうなると、幼稚園に行くようになって毎日疲れるのか、午後8時過ぎには眠ってしまう貴央となかなか話す時間も無くて、貴
央も寂しいと言っていた。
 「・・・・・ありがとうございます」
 礼を言うと、海藤は目を細めて頭をかき撫でてくれる。
 「お前が1人で全てしなくてもいいと言っただろう?」
 「・・・・・」
 「これくらいどうということも無い。さっそく明日からそうしよう」
 「はい」
きっと、貴央に伝えれば喜ぶはずだ。真琴も、少しでも長く海藤といるのは嬉しかったし、彼が傍にいることが心強いので直ぐに
頷いた。



 幼稚園の周りには、自分達と同じように子供を送ってきた自家用車が何台も並んでいる。
送迎バスを利用する者と、自家用車で通園する者は半々と聞いたが、共働きの若い夫婦などは通勤の途中に送って来てい
るのだろう。
 「じゃあ、ちょっと行ってきます。たかちゃん」
 「おとーさん、いってきまーす!」
 「行ってこい」
 元気に手を振る貴央とは反対に、手を繋いだ真琴の背中は少し緊張しているのが分かる。それは・・・・・。
 「おはよー!こーたくん!」
 「あ、たかちゃん、おはよー!」
 「おはよー、たかおくん!」
 「りょーちゃん、おはよー!」
入園式を終えて一週間余り、貴央の方は着実に友達を増やしているようだ。その年頃の子供は男女の区別も無く、子犬や
子猫がじゃれ合っているようで微笑ましい。
 一方で、真琴はその子供達の母親達に対して強張った笑顔を向けていた。
 「お、おはようございますっ」
 「おはようございます」
 「・・・・・おはようございます」
自分達の関係を正確に話したのは貴央のクラスである年少組の父兄だけだが、噂というものはどこからか広がるのか、今では幼
稚園中の父兄には自分達が男同士のカップルとして知られている・・・・・らしい。
 その眼差しが好奇を感じさせるだけではなく、どこか嫌悪を含めたものであることを真琴が気にしているらしいということを、海藤
は全てを話さない真琴の会話の端々から読み取っていた。
 そこで、海藤が出るのは簡単だった。男同士、それも自分はヤクザであるが、それは簡単に知られるものではないし、そうなると
ある程度の地位にいる海藤を見る世の中の視線はどちらかといえば好意的なもののはずだ。
 しかし、海藤は真琴の気持ちを考え、自分が出るのはまだだろうと思った。真琴が本当に困り、泣きたい気分になった時はもち
ろん助けるが、それを先回りして動こうとは思わなかった。
海藤にとって真琴は守るべき者だが、真琴は守られるだけの女ではないのだ。
 「マコ〜、ばいば〜い!」
 「う、うん、行ってらっしゃい!」
 手を振り、貴央が建物の中に入るまで見送った真琴は、その場にいる父兄に頭を下げて挨拶をしながらこちらに向かってくる。
若い母親も多いが、学生でもある真琴は服装から見ても一際浮いていた。
自分でも分かっているのだろうが、それで服を買い変えることも出来ない(したくない)のだろう。
 「お待たせしました」
 車に戻ってきた時、真琴の顔からは強張りは解けていた。
海藤に心配を掛けたくないのだろう、頑張っているその姿に海藤も何も言わず、手を握り締めて車を出すようにと言った。



(・・・・・付き合いって、大変なんだな)
 講義を聞きながら、真琴はしみじみと考えていた。
貴央の送り迎えをしている時に会う父兄は、表面上真琴に対しても普通に接してくれている。ただ、その場から離れてしまえば、
こちらを見ながらひそひそと話している・・・・・そんな風に思うのは被害妄想が逞し過ぎなのだろうか。
 表立った非難も辛いが、こんなふうに生殺しなのもちょっと厳しい。今は送り迎えの時にしか顔を合わせないので仕方が無いの
かもしれないが・・・・・。
 「あ」
 そこまで考えた真琴は、鞄の中からカバーを掛けてもらった本を取り出す。それは、《簡単に出来るお弁当》という本で、他にも
もう一冊、キャラクターを模した弁当の作り方の本を持っていた。明日は、貴央の初めてのお弁当の日なのだ。
 「・・・・・負けないようにしないとな」
 多分、自分が作るよりも海藤が作った方が見た目も味もいいのは分かってはいるものの、せめて初めての弁当は自分が作りた
かった。
(海藤さんがドラえもんやアンパンマンのキャラ弁作っているの想像したら・・・・・おかしいし)
 真面目な顔をして海藤が目や口を作る。きっと上手だろうが、やはり少し笑ってしまいそうだ。
(そうだ、海藤さんにもお弁当作ろうかな。1人分よりも3人分作った方が作り甲斐もあるよな)
とにかく、頑張らなければ。特殊な家庭事情など関係無く、幼稚園の友達と変わりないことをしてやりたいと、真琴はその講義
の間中弁当の本を見ていた。



 「うわぁっ、こ、焦げる!」
 焦ったような真琴の声の後に、
 「マコッ、だいじょーぶっ?いたい、ない?」
半泣きの貴央の声が聞こえてきた。
新聞を読んでいた海藤は時計を見る。まだ、午前7時前で、何時もならそろそろ貴央を起こす時間なのだが、今日はもう30分
ほど前から騒がしい。
 海藤は読んでいた新聞を下ろすと、ゆっくりとソファから立ち上がってキッチンを覗いた。
 「大丈夫か?」
 「あっ、う、うん!」
海藤の言葉に顔を上げた真琴の顔は、焦ってはいるものの明るい。失敗はしても、こうしていること自体は楽しいようだ。
その雰囲気を微笑ましく思った海藤は手元を覗き込もうとしたが、
 「駄目!」
 「だめー!」
2人にそれを阻止されてしまう。
 「今日は海藤さんのお弁当も一緒に作っているんだから、後のお楽しみにして下さい!」
 「してねっ」
 「貴央は見てもいいのか?」
 「たかちゃんも見ていないですよ。味見係でいてくれているんだよね?」
 「ね?」
タイミングもピッタリに顔を合わせる最強コンビに無理強いするつもりは無く、海藤は楽しみにしていると言って笑った。





 「は〜い、皆さん、お手てを合わせて、いただきます!」
 「いただきま〜す!」
 幼稚園に入学した新入生の、今日は初めての弁当の日。それぞれの親が張り切った弁当は子供の身体に不釣合いなほど
の量と豪華なおかずの子供もいれば、おにぎりとウインナーと卵焼きだけのシンプルな弁当もある。
今流行のキャラクター弁当の子供もかなりいて、共通しているのは子供達がみんな嬉しそうな顔をしていることだ。
 それぞれの弁当を見て回った松田は、このクラスで特に注意しなければならない海藤貴央の背後に立った。男同士のカップル
の子供。それも、養子ではなく実子だということがさらに問題をややこしくしているものの、実際に面談したあのカップルはとても自
然だったし、貴央をとても愛していることが伝わってきた。
 貴央も両親を慕っているし、健やかに成長しているのは見て分かるが、回りの反応を考えればしばらくは注意しなければならな
いだろう。
 「あら、貴央君のお弁当、もしかしてアンパンマン?」
 「うん!」
 「頭にある、白いのは何かしら?」
 「あのねー、あんぱんまんこげちゃったから、ほーたいまいてるの!」
 「包帯・・・・・?」
 まるでハチマキのように頭に置いてある2つの白い物体はどうやら蒲鉾で、焦げてしまった薄焼き卵の端を隠しているらしい。
(それで、包帯か)
松田から見ればまだ高校生のように見えた真琴だが、どうやらちゃんと親として貴央と接しているらしい。多少歪な目や鼻も可愛
いなと思いながら、
 「これだったら痛くないね〜」
と、貴央の頭を撫でた。





 昼を過ぎ、海藤はデスクからソファーへと移って持参した弁当を取り出した。
何だかくすぐったい気持ちがしながら包みを解いていると、ドアがノックされて倉橋が姿を見せる。
 「熱いお茶でよろしかったですか?」
 「ありがとう。優希はどうした?」
 「今は綾辻さんが見ています。眠っていますけど」
 何時もは用を済ませれば海藤の邪魔をしないように直ぐ立ち去る倉橋も、今日はその場に残って興味深そうにテーブルの上に
ある包みを見つめている。今日、真琴の作ってくれた弁当を持参していることは朝会った綾辻には言ったが、どうやらそこから倉橋
に話は伝わったようだ。
 「見ていくか?」
 「良ろしければ」
 海藤としても、あれ程真琴が懸命に作ってくれたものを他の者にも自慢したい気持ちがあり、口元を綻ばせたまま蓋を開けた。
 「・・・・・顔、ですか?」
中を覗き込んだ後、少し戸惑ったように言った倉橋の言葉に、海藤は笑いながら答えた。
 「《おむすびまん》だ」
 「お、おむすび、まん・・・・・」
 「よく出来ていると思わないか?」
 始めは三角に握ることも出来なかったことを考えれば驚くほどの成長だなと思いながら、海藤は今頃貴央も喜んで食べている
だろうなと箸を取った。



 「どうだっただろ・・・・・」
 海藤の《おむすびまん》は割とよく出来たと思うが(敗れた海苔も誤魔化すことが出来た)、貴央の《アンパンマン》は何度薄焼
き卵を作っても焦げてしまった。あの誤魔化しは苦渋の思い付きだったが、変だと笑われていないだろうか。
 「・・・・・苦」
 真琴の今日の昼食は、焦げてしまった大量の薄焼き卵がおかずだ。
 「お昼の弁当でこんなに苦労してたら、運動会とか大変そう・・・・・」
(・・・・・海藤さんにも手伝ってもらおうかな)
幼稚園の運動会は秋らしい。それまで一生懸命練習して、それでも駄目ならと逃げたくなってしまうが、考えれば2人で作った方
が貴央も喜んでくれるかもしれないと思うのは・・・・・やっぱり逃げているのかもしれない。





                                   





今回は初めてのお弁当編。
次回は遠足の予定。