マコママシリーズ
第四章 幼稚園入園編 5
弁当を食べ終わると、おやつの時間になった。
数は2個、高額なものではない。それ以外の決まりごとはなくて、真琴は貴央の好きなチョコレートとみんなで取り分けられる小
さな塩煎餅を持っていっていた。
しかし。
「あ・・・・・」
「あーっ」
天気が良かったせいか、チョコレートは溶けてしまっている。真琴は焦ったように声をあげ、貴央は残念そうに声を漏らした。
「あら」
そんな真琴の手元を覗きこんだ田畑が苦笑を浮かべ、貴央にチョコレートを差し出してくれる。
「チョコとかは、保冷剤が入ったものに別に入れておくといいのよ。昼ぐらいまでなら結構持つし、そんなにかさばらないでしょう?
子供はチョコが好きだから次から気をつければ全然OK。たかちゃん、はい」
「ありがと!」
「す、すみません」
「私だって何度も失敗してから学んだんだもの。これなんか失敗のうちに入らないって」
ビニール袋の中でドロドロに溶けてしまったチョコレートの菓子を見ながら真琴は頷いた。
確かに今までの遠出は車移動が多く、こんなふうにチョコが溶ける心配などしたこともなかったが、これからはバスや歩きといった移
動手段が増えてくるのだ、ちゃんと覚えておかなければ。
(運動会だってあるんだし)
「マコ、コーちゃんとあそんできていい?」
「うん。遠くに行かないようにね」
「は〜い!」
「孝介っ、危ないことはしないのよ?」
「わかってるって!」
早々に菓子を口に放り込んだ子供達は、早速遊ぶために駆け出していく。
始めは2人だったのが、1人、2人と人数が増えていって・・・・・。貴央が「仲間に入れて欲しい」と言う立場ではなく、「いいよ」
と言う立場なのが少し嬉しかった。
「じゃあ、お母さん方、少し話をしましょうか?」
松田が声を掛け、親が円状に集まる。子供達は中津が見ているようで、真琴も緊張した面持ちで田畑の隣に腰を下ろした。
「これまでの生活で気に掛かるようなこととか要望とかありませんか?せっかくこうして顔を合わせる機会があったんですから、どん
どん話し合いましょう」
「あ、あの先生」
ポツポツと、若い母親から声が上がった。
オムツがまだ取れない、ミルクをまだ飲んでいる。
幼稚園に行きたがらない、少し乱暴な言動をする。
まるで子育て相談のようだったが、それに松田や年上の子育て経験者の母親達が意見を出し合って、始めはよそよそしかった
話し合いは次第に活気に満ちてきた。
(お、俺も話さないと・・・・・っ)
基本的に貴央はいい子だと思う。生まれた当初はちゃんと育つかも分からないほど小さかったが、大きな病気もせず、手も掛か
らない。
そんな貴央の唯一困った言動といえば・・・・・。
「あ、あのっ」
突然声を上げた真琴に、母親達の視線が集まった。
「どうしました?海藤さん」
「えっと、あ、赤ちゃんがどこから来るのって言われた時、何て答えたらいいんですかっ?」
少し前から、貴央は自分が世話をされるのではなく、自分がする側・・・・・つまり、兄弟が欲しいというようなことをよく言うように
なった。
確かに、真琴も兄弟が多いので一人っ子は寂しいのは分かるものの、男の自分に第二子までつくれるという可能性は低いらしく
て、安易に分かったと答えるわけにもいかない。
何とか誤魔化そうと思ったが、そうすると赤ちゃんはどこから来るのかという話になって、真琴は上手く答えることが出来なかったの
だ。
「私は、コウノトリって説明しましたけど・・・・・」
1人のその言葉を皮切りに、そこかしこから声が出てきた。
「私はキャベツの中って」
「私はパパとママが仲良くしていたらって」
「やだあ」
「・・・・・」
(え・・・・・っと)
少し下ネタも入って何だか妙に盛り上がってしまい、真琴は飛び交う会話を追うのに精一杯だ。
「海藤さんって、天然ね」
まだ二十歳前半の若い母親が、パシパシと真琴の肩を叩いて笑う。何だか仲間に入れたようで、真琴も思わず笑ってしまった。
「・・・・・って、わけなんだ」
「そうか」
その夜、真琴から遠足の報告を受けた海藤は内心安堵していた。
行く数日前から真琴が心配していたことを知っていたものの、海藤の言葉も耳に届かなかったような真琴。その懸念が払拭され
て生き生きと報告する真琴が可愛いと思った。
「おとーさん、おとーさん、たかちゃんも、みんなといっぱいあそんだ!」
「ちゃんと仲良くしたのか?」
「うん!こけたけどね、なかなかった!」
「偉かったな」
頭を撫でてやると、自分に良く似た顔が綻ぶ。
「あ、それでねっ、田畑さんって」
「あのね、こーちゃんね」
2人は争うように海藤に今日の報告をしてきた。貴央はともかく真琴がここまではしゃぐのは、相当今日の遠足が楽しかったとい
うことだろう。
「2人共、順番に」
話し疲れて眠ってしまうまで聞く覚悟がある海藤は、そう言って貴央を膝に抱き、真琴を自分の隣に座らせて続きを促した。
眠ってしまった貴央をベッドまで運んだ海藤が戻ってくると、真琴はリビングのソファでうな垂れていた。
「どうした?」
ついさっきまで楽しそうにしていたのにどうしたのかと訊ねると、真琴はごめんなさいと頭を下げてくる。
「俺がはしゃいでも仕方が無いのに・・・・・」
「真琴」
「たかちゃんの話も遮っちゃったし」
子供以上に浮かれていた自分を申し訳なく思ったらしいが、海藤はそんな真琴の隣に腰を下ろすと肩を抱き寄せて軽く頬に
唇を寄せた。
「お前が楽しそうにしていたから、貴央も競ったようにはしゃいでいたんだろう。落ち込んでいる顔をされるよりはよほどいいぞ」
「・・・・・うん」
実際、貴央は海藤に一生懸命話し掛けている真琴の邪魔をしようとはせず、むしろ自分も楽しそうにずっと笑顔だった。大好
きな真琴の大好きな笑顔が見られたことが嬉しいのだろう。
案外、子供が親の感情に敏感だということを、海藤もようやく知り始めていた。そこまで誰かの感情を読み取るほどに成長した
のかと感慨深い思いを抱くと共に、親である真琴もまだ若いのだと改めて感じている。
男でありながらいきなり妊娠し、自分の腹を痛めて生んでくれた。
その後、何もかも慣れない中でようやく幼稚園に行くまでに育ってくれたが、真琴にとってはまだまだ戸惑うことばかりだろう。
(俺が支えないといけない)
「どうだ、周りと上手くいきそうか?」
「・・・・・頑張ろうって思ってる」
「そうか。だが、無理をするなよ」
「え?」
「何かあったら、先ず俺にあたれ。俺は全部受け止めるから」
「・・・・・うん」
そうは言っても、見掛けからは分からないほどに真琴は頑固で、色んな問題を自分の中で溜めていくかもしれない。それを上手
く引き出してやらなければと、海藤は肩を抱き寄せながら思っていた。
一日休みがあってからの登園日。
「おはよーございます!」
「おはようございます」
門の前で出迎えの先生に挨拶をしながら中に入って行く貴央を手を振って見送った真琴は、
「おはようございます」
不意に声を掛けられて目を丸くした。
「お、おはようございます」
それまでは自分の方から挨拶をすることが多かったので、向こうからということに少し戸惑ってしまったが、顔を見れば貴央と同じ
組の、遠足の日に真琴の肩をパシパシと叩きながら笑っていた若い母親だと分かった。名前は確か・・・・・。
「大庭、さん?」
「海藤さん、今度みんなでお昼でも食べませんか?」
「え?」
「私達、本当は凄く興味があったの。嫌じゃなかったらなんだけど・・・・・」
「た、食べます!」
(こ、これがママ友って奴っ?)
厳密に言えば自分はママではないが、それでも仲間に入れてくれようとしていることが嬉しい。
「何時でも誘ってください!」
「ええ」
来た時以上に足取りが軽くなる。案外自分も単純な人間だなと感じた。
全ての人が自分達を認めてくれていないことは分かっている。あからさまなものではないが、真琴の顔を見るたびに眉を顰める人
間は確かにいた。
それでも、何度も顔を会わせ、話をしてきたもも組の父兄とはかなり打ち解けてきた。
昼食を一緒にとった時は、海藤のことを聞かれて困ったりもした(いい男のことは気になるらしい)が、子育てのことを話せるよい時
間になった。
そして・・・・・。
「父親参観?」
「そうです、再来週の土曜日」
真琴はお知らせのプリントを見せた。
「それで、俺が行きますから」
「どうして?」
「海藤さんは忙しいでしょう?俺、一応男だから浮かないだろうし」
母親達の中にいるよりはましかもしれないと思いながら苦笑すると、海藤はプリントに目を走らせてからいいやと答えた。
「俺が出る」
「えっ?」
「貴央の父親は俺だ。俺が出るのが当然じゃないか?」
「で、でも・・・・・」
海藤が幼稚園の教室にいるというのはやはり似合わない気がする。それに、どこか只者ではない雰囲気(ヤクザということは関係
なく)の海藤が居心地の悪い思いをしないか心配だった。
「お前は今まで自分がすることはしてきただろう?俺にも父親らしいことをさせてくれ」
「・・・・・」
「嫌か?」
「い、嫌じゃないですっ」
貴央も、海藤が行けばきっと喜ぶだろう。貴央にとって海藤は自慢の、そして大好きな父親なのだ。その大好きな父親が自分
が頑張っている所を見てくれるのは嬉しくてたまらないと思う。
「・・・・・お願いできますか?」
「行かせてくれ」
「たかちゃんに伝えたら、絶対に喜びますよ」
「そうだといいが」
明日起きた時、早速貴央に伝えよう。きっと朝から騒いで海藤に纏わり付く様子が目に浮かぶ。
(父親参観か)
いったいどんな風になるのか、真琴もその場にいて見たいような気がした。
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下ネタは打ち解けるのには良いスパイス?(苦笑)。
次回は父親参観。カッコイイ海藤さんの登場。