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 一通り遊び終えたらしい一行は休憩場所になっているベンチのようなイスに座った。
小田切は時計を見下ろすと、そろそろ帰る時間かと思う。
実際は祭りはもう20分ほどで終わるようだが、屋台などは直ぐ閉まるということはない。材料を残さないように、今から値下げして
商売をする所も増えるくらいだろう。
 そんなふうに小田切が考えていると、急に太朗が小田切に訊ねて来た。
 「小田切さん、今何時ですか?」
 「そろそろ8時45分になる頃ですが・・・・・」
帰りますかという小田切の声は、太朗のよっし!!という掛け声にかき消されてしまった。
 「ジローさん!今からが勝負だよ!!」
 「ん?」
行儀悪く足を組んで座っていた上杉は、太朗の声になんだと聞き返した。
 「今からが安くなるんだよ!お買い得だから、たこ焼きと焼ソバ、あ、みんな食べる?」
 「・・・・・」
(これを待っていたんですか)
 小田切は苦笑を零した。
太朗にしてはあまり買い食いをしないなと思っていたが、どうやら祭りが終わる間際の叩き売りを待っていたらしい。
ここにいるメンバーから考えてもそんな風に安くなるまで待たなくてもいいのにと思ってしまうが、これが太朗なりの気遣いなのかもし
れない。
 「ほらっ、あそこのトーモロコシ、5百円が3百円になってる!」
 「あれも食うのか?」
 「マコさんは?」
 「俺?」
 急に話を振られた真琴も、安くなっているという言葉につられたのか、屋台に視線を向けながら言った。
 「焼きイカなんか美味しそうだったなあ」
 「あ、それもいい!楓は?」
 「ん〜、甘い物はもういらないから、アメリカンドックなんかいいかも」
 「うんうん、それもおいしーよなっ?」
本当に楽しそうに話す太朗に腹を刺激されたのか、楓からもらった綿アメをチビチビ口の中で溶かしながら食べていた静がぼそっと
呟いた。
 「一銭焼きってどんな食べ物なんだろ」
その言葉が耳に届かないわけがない江坂が、倉橋に視線を向けた。
 「倉橋、一銭焼きを10枚」
 「じゅ、10枚・・・・・食べれるんですか?」
 「江坂さん、俺そんなに・・・・・」
 「余ったらどこぞの狸でも食べますよ」
静に向かっては穏やかに言う江坂も、倉橋に向ける視線に遠慮や気遣いといった光はない。
しかし、上の者に従うのは当たり前のことなので、倉橋は疑問を持つことなく頷いた。
 「他にいるものはないんですか?」
 「トモ、お前は欲しいものはないのか?」
 「ぼ、僕は・・・・・ベビーカステラなんか、好きだけど・・・・・」
 「ベビー?わかった」
自分が買いに行くわけでもなく請け負ったアレッシオは、倉橋に視線を向けて頷いている。
 「君は、どうしますか?」
 倉橋はついでにと暁生を見つめた。暁生はチラッと楢崎を振り返ったが、楢崎が頷いてくれたので何とか目に付いたものを口にし
た。
 「じゃ、じゃあ、フランクフルトを、お願いします」
 「分かりました」
 「あ、克己、私も一緒に行くわよ、持てないでしょう?」
 「すみません」
 「・・・・・」
(ようやく2人のデートというわけですか)
たかがお使いでも2人きりになることが重要なのだろう、倉橋の後を嬉々として追いかけて行く綾辻。見目のいい2人が並んでい
るのはかなり目立つようで、2人を追う視線も多かった。
 「ほらっ、ジローさんも頑張ってよ!」
 「一緒に行くか?」
 「駄目!ジローさんはもう少し値切れるんなら値切って欲しいし、それには大人が行く方がいいだろ?それに俺達には今から行
くとこがあるんだから!」
幼いだけではなく、食い気に関しては悪知恵(?)も働くのか、太朗は値引き交渉には上杉の方が適任と思ったらしい。
しかし、上杉は別の言葉に引っ掛かったようだった。
 「俺達?」
 「みんな、あっちで駄菓子の詰め放題やってるんだ!さっきは千円だったけど、今は6百円になってる!ね、行こうよ!」
 駄菓子・・・・・その響きは年少者達の心を掴んでしまったらしい。
 「面白そうっ、行ってくるね、海藤さん!」
真琴が直ぐに立ち上がり、
 「恭祐、これ持ってて」
楓は食べかけの綿アメを伊崎に押し付ける。
 「俺達も行かない?」
静が友春を誘い、
 「うん、見てみたい」
友春も頷いて立ち上がった。
最後に、太朗は暁生に向かって手を伸ばす。
 「アッキーも行こ!」
 「うんっ!」

 「「「「「「行って来ま〜す!!」」」」」」

6人の声がいっせいに響き、色とりどりの浴衣が翻った。



 「申し訳ありませんが、それを10枚頂けますか」
 一銭焼きの屋台の前で、生真面目に注文する倉橋。
整ったその表情や怜悧なその雰囲気からも、まるで株か何かを買うような姿に見えてしまう。
しかし、綺麗なその容貌に魅入られる人間も多く、女ばかりではなく男もチラチラと倉橋の横顔を見つめていた。自分の想い人が
人からよく思われるのは嬉しいが、それがあまり酷いと面白くない気も起こる。
綾辻はワザと倉橋の肩に手を置くと、鉄板を覗き込むように身を乗り出した。
 「おいしそー!おじさん、マケてよ?」
 「一銭焼きをどうマケろって?」
 「あら、十分人寄せパンダになってる気分だけど」
 そう言いながら、綾辻は遠巻きにしてこちらを見ていた女連れに向かってにっこりと笑いながらウインクして見せた。
きゃあという歓声後、何人もの列が一銭焼きの屋台の前に並んでしまう。
 「・・・・・分かった、これはサービスってことで」
 「ふふ、話が早くてステキ」
 「?」
店主と綾辻の会話の意味が良く分からないらしい倉橋は不思議そうな表情になったが、綾辻はまあまあと宥めながらますますそ
の肩を抱き寄せる。
それが倉橋を見ている者達への牽制だと、抜かりのない綾辻が悟らせるわけがなかった。
 「・・・・・全く、こんな所でナンパなんてしないでくださいよ」
 「はいはい」
 「本当に分かってるんですか?」
 「克己の言うことは何でも従っちゃうわよ」
 女に愛想を振り向いているという不名誉を着せられても少しも気にしない綾辻は、ここぞとばかりに浴衣越しの倉橋の身体を
堂々と触っていた。



 帰りのバスの中は全く2つの世界に分断されていた。
一方は、今日の祭りの成果を賑やかに話して笑い合っている年少者達。そしてもう一方は、年少者達の勢いにつられてしまって
いささか疲れた保護者達。
愛しい相手に疲れた表情は見せられないものの、普段はあまり身近にないはずの子供の騒ぎ声や女の甲高い声などを追い払
うように、それぞれがコーヒーや酒を手にしている。
 「・・・・・こんな日本の姿は、トモと出会わなかったら知らなかった」
 「・・・・・」
 アレッシオにワインを注ごうとした倉橋は手を止めた。
 「疲れませんでしたか?」
 「いや・・・・・楽しいものだった。トモの笑い顔もたくさん見られたしな」
 「・・・・・」
 「私が日本にいない間、トモの側に彼らがいると思うと安心だ」
 「・・・・・」
イタリアと日本。これほどに離れていても、アレッシオはまるで直ぐ側に友春がいるかのように思いを寄せているのだろう。
倉橋は唯我独尊に見えるアレッシオの心の柔らかさに触れたような気がして、知らずに頬に笑みを浮かべていた。



 「どうぞ」
 小田切は江坂にコーヒーのカップを差し出した。
江坂は無言のままそれを受け取り、一口口を付けて・・・・・深い溜め息をついた。
 「どうされました?」
 「お前のお節介には何時も困らせられたが・・・・・今回はまあ、良かった方だろうな」
 「どういうことでしょうか?」
 「気を許せる相手がいるということはいいことだ」
 「・・・・・小早川君のことですか」
小田切は目を細めて笑った。
大東組という日本で屈指のヤクザの組の、若手のホープといってもいい江坂。自分の利益のこと以外は全て黙殺するドライな性
格には小田切は親近感を持っていたが、知らない間にその冷たい心には温かな血が流れるようになったらしい。
(私としたら・・・・・面白くないんですけどね)
 江坂にはもっともっと上に上り詰めて欲しいと思っていただけに、この変化が吉か凶か・・・・・それはさすがに小田切にも分からな
いが、付け入る隙が出来たことは歓迎すべきことかも知れない。
(まあ、これからも遊ばせてもらいますよ)



 「今日はご苦労だったな」
 「い、いえ」
 楢崎は海藤にグラスを勧められ、恐縮したように頭を下げた。
羽生会と開成会はそれなりに交流があるので、楢崎も海藤とは顔見知りだ。
少し破天荒な上司である上杉とは違い、生真面目な海藤は楢崎にとってはかなり好感を持てる相手だった。ただ、やはり仕える
ならば上杉だとも思っているが。
 「うちのが色々注文をつけたんじゃないのか?」
 「いえ、こっちにはそれ以上の人がいますから」
 無意識のうちに小田切の姿を振り返ると、その視線の先を見て海藤も笑みを漏らした。
確かに綾辻もかなり変わった男だが、小田切はその比ではないのだ。
 「聞いたぞ〜、ナラ。それ、小田切に言ってもいいのか?」
 「会長」
 先程、太朗をからかいにいくと言って席を立った上杉だったが、どうやら年少者達とのおしゃべりで忙しかった太朗にすげなく振ら
れたらしく、こうしてこちらの席に戻ってきたようだ。
太朗と遊べなかった鬱憤を晴らすように、上杉は楢崎の肩にべったりとはりつく。
 「お前、苛められるぞ〜」
 「勘弁してください」
 「だ〜め」
 「上杉会長、その辺にしてやったらどうです」
 「海藤、お前だってそんなに暢気にしていられないぞ?あいつはな、会長だろうがどこぞの社長だろうが全然攻撃に手を緩めない
んだよ」
 楽しそうに話す上杉の言葉に、海藤の眉間に僅かに皺が寄る。海藤は小田切の性格を全て把握しているわけではないだろう
が、それでも今までの言動を見ているだけで予想が付いたのだろう。
(会長・・・・・自分の被害を少なくしようとしているな・・・・・)
 どうしても小田切の被害を一番多く受けてしまう上杉が(それは多分にサボリ魔な自分が悪いのだろうか)少しでも他に目をや
らせようとしているのを感じるが、それは少し無謀だろう。
第一、海藤にはそれほど付け入る隙がないような気がする。
 「海藤会長、大丈夫です。小田切の標的はうちの会長しかいませんから」
 「おい」
 「違いますか?」
 「・・・・・それと犬がいるだろ」
 「犬?」
 突然出てきた言葉に海藤が不思議そうに聞き返す。
楢崎は自分の組の幹部の人知れない趣味を、さすがに他の組の人間に知られるのはまずいと、軽く上杉を睨んでから諌めようと
した時、上杉にとって一番影響力のある人物の元気がいい声がした。



 「ジローさんっ、リンゴ飴あげる!」
 「リンゴ飴?」
 上杉にとってはいきなりの言葉だったろうが、太朗にとってはちゃんと繋がった話だったらしい。
そして、それはのんびりと過ごしていた年長者達に次々と襲い掛かる言葉の始まりだった。
 「海藤さん、このリンゴ飴、大人の男にも人気だって!」
 「江坂さん、中のリンゴは酸っぱいから、きっと江坂さんも食べれますよ!」
 「ケイ、海外にはこんなものあまりないでしょう?食べてみませんか?」
 「ナラさんも何も口にしてないでしょ?これ、絶対美味しいって!」
 「恭祐、俺の愛が食べれないってことはないよな?」
 先程まで、それぞれが買った駄菓子の中身を見せて楽しそうに話していたらしい6人。
だが、今はそれぞれがリンゴ飴の割り箸を持ってそれぞれの恋人の前に立っている。
 「・・・・・これ、食べるのか?」
上杉が言いたいことは楢崎もよく分かった。普通リンゴ飴といえば姫リンゴなど少し小さめのリンゴを使うことが多いはずなのに、今
自分の目の前にあるリンゴはどう見ても普通サイズにしか見えない。
 「俺達が可愛いからってサービスして大きいやつくれたんだ!」
(それは、子供には嬉しいかも知れないが・・・・・)
とても大人の男が食べるものではないような気がした。
しかし、途惑っている上杉達を前に、太朗はにんまりと笑って言った。
 「誰が一番早いか勝負だよ!」
 「はあ?」
いったい、何時そんな話になったのか、途惑う男達を置いて年少者達は既に恋人の前に立ってワクワクとした視線を向けている。
 「一等の人には、特別プレゼントをあげます!じゃあ、スタート!!」

 「「「「「頑張れ!!」」」」」

 愛しい者達の声援に、一瞬考え込んだ男達はいっせいに甘いリンゴに歯を立てる。
 「ナラさんっ、頑張って!」
楢崎も目の前にいる暁生の声援を受け、顔を顰めながらも大きなリンゴに齧り付いた。





                                    





余暇、第十話です。

これでお祭りも終了。キャンプもそろそろ終わりに近づいています。