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出発を明日に控えた深夜・・・・・。
♪♪♪
枕元に置いている携帯が、可愛い【犬のお巡りさん】の音楽を奏でている。
顔に似合わず可愛らしいものが好きな小田切のペットが、勝手にこれを着信音にしてしまったのだ。面白くはないものの、変える
のも面倒なのでそのままにしておいたのだが、こんな真夜中に聞くと頭が痛くなる。
(・・・・・変えさせよう)
自分で変える方が早いのだが、本人にさせる方がいい罰になるだろう。
小田切は今夜は夜勤でいない犬をどんな言葉で苛めてやろうかと思いながら携帯を手にした。
「・・・・・なるほど」
番号を見て、小田切は相手が誰だか分かった。この相手ならば今時分に掛かってきても仕方がないだろう。
「はい」
あえて、日本語で答えた。
しかし、相手も迷うことなく日本語で言った。
『トモだけを誘わないとはどういうつもりだ?』
いきなりの言葉に主語は無かったが、小田切は穏やかに答えた。
「ミスター、私はあなたの為を思ったのですが?」
『何?』
「江坂理事からあなたの来日のことを聞いたので、2人の時間を邪魔してもと」
アレッシオ・ケイ・カッサーノ・・・・・、イタリアでも有数の資産家であり、裏の顔はイタリアマフィアの首領である彼と知り合ったのは
本当に偶然だった。
切っ掛けはトラブルメーカーともいえる太朗繋がりなのだが・・・・・本来小田切クラスの人間が容易く口をきくのさえ躊躇われるよう
な立場の彼の、携帯電話の番号まできちんと把握しているのは小田切ならではといってもいいだろう。
前回の飲み会で、偶然太朗が連れてきた大学生の高塚友春(たかつか ともはる)が、アレッシオの恋人だと知った時はさすが
に驚いた。
イタリアマフィアの首領と、日本の大学生・・・・・2人の共通点が全く分からなかったのだ。
それでも、傍から見ればアレッシオが友春をかなり溺愛していることはよく分かったし、そもそも自分に関係の無い他人のことには
あまり興味の無い小田切は、まあそういうこともあるのかと思っていただけだった。
今回のキャンプにも、一応友春は誘おうと思った。こういう野外でのお遊びは人数が多い方がいいだろうと思ったからだ。
しかし、再度江坂に連絡をした時、ちょうどその日程でアレッシオが来日することを聞いたので、2人の邪魔をしないようにしようと
結局誘いをかけなかった。
その小田切の気遣いがアレッシオには気に食わなかったらしい。
「ミスター、いったいその話を誰から?」
そもそも、友春にも言っていない今回のことを、なぜイタリアにいるアレッシオが知っているのかが疑問だったので訊ねると、アレッシ
オはごく簡単に答えを言った。
『今日、トモに連絡を取った。その時、シズからのメールの話を聞いた』
どうやら友春は静とのメールで今回のキャンプのことを知ったらしい。この間の楽しい時間を体験している友春は、なぜ自分だけ
が誘われなかったのかかなり悩んだのだろう。
(可哀想な事をしたか・・・・・)
「しかし、明日はあなたが来日されるんでしょう?せっかくのお2人の時間を邪魔するのは・・・・・」
『もう、そちらに向かっている』
「・・・・・は?」
『今、自家用機の中から連絡しているんだ。エサカから時間は聞いているし、私もそこに向かおう』
「え?あ」
『エサカから、お前が取り仕切っていると聞いた。後は頼むぞ』
「ミ・・・・・ッ」
電話はあっさりと切れてしまった。
「・・・・・マフィアの首領がキャンプか?」
とても想像が出来なかったが、今の電話は夢ではないだろう。
「・・・・・」
小田切は溜め息をついた。
そうでなくても立場のある人間がいるというのに、そこにアレッシオまで来るとはかなり大変だ。警備も再手続きしなければならない
し、仲間外れにしない為ならばアレッシオと友春の浴衣も手配しなければならない。
「・・・・・私を寝かさないつもりか・・・・・」
小田切はそう呟きながらも、万全な体制を整える為に各所に連絡を取り始めた。
朝6時。
自分達のような職業の人間にとってはかなり早い時間だが、倉橋はそれよりも1時間早く起きて支度をし、海藤と真琴の住むマ
ンションまで迎えに来た。
気持ちとしては引きずられてしまった形だが、決まってしまったことをアレコレ文句を言っても始まらない。
とにかく今日集まる全員を明日無事に自宅まで帰すのが今の倉橋の重大使命だった。
「おはようございます!」
「おはようございます」
倉橋がインターホンを押すと、真琴が直ぐに玄関のドアを開けてくれた。
今回はキャンプということで、真琴の服装はTシャツの上に綿シャツを羽織り、下は七部丈の綿パン姿だった。
こうしてみると、まだ高校生といっていいほどの幼さに見える。
「朝早くからすまないな」
続いて、海藤が現れた。
彼も今日はいつものスーツ姿ではなく、カジュアルなポロシャツに珍しいジーパン姿だった。眼鏡も掛けておらず、髪も撫で付けて
はいない。
「では、駅に参りましょうか」
「あの、俺や太朗君達は全然構わないんですけど、海藤さん達が電車移動なんていいんですか?」
「ええ。電車の中で駅弁を食べるのが旅の醍醐味らしいですから」
「倉橋さんの発案ですか?」
「・・・・・綾辻の受け売りです」
妙にワクワクしながら今回の計画を立てていた綾辻の姿を思い浮かべ、倉橋は内心深い溜め息をついた。
これほどの短期間で全ての準備を整えたことには素直に感心するが、その一方でこれほどの情熱で仕事の方にも取り組んでくれ
ればと思う。今でも十分有能な男だが、今回のような働きを見ると仕事では手を抜いているのではと思えてしまったのだ。
「・・・・・とにかく、駅に集合ですので、参りましょうか」
「はい!楽しみですねっ」
倉橋の言葉に頷いた真琴は、そのままニコニコと海藤を振り返る。
そんな真琴が可愛くて仕方が無いのだろう、海藤は目を細めてその頭を優しく撫でた。
車の中は沈黙に支配されていた。
こういった状況に慣れている楢崎はともかく、助手席にいる暁生は今にも泣きそうな顔をして楢崎に小声で言った。
「お、怒ってます?」
「・・・・・放っておけ」
「で、でも」
「何か楽しいことが見つかったら直ぐに機嫌が直る」
早朝、小田切のマンションまで迎えに行った楢崎と暁生だったが、エントランスに現れた小田切の表情はとても今からキャンプに
行くとは思えないほどの不機嫌さだった。
何があったのかと聞きたいのは楢崎も同じだったが、聞くと余計に墓穴を掘ってしまいかねない気もして、結局車内では会話も無
いまま次の上杉のマンションへと向かっている。
(出来ればあの子の方に先に行きたかったな・・・・・)
この場に太朗がいれば、まだ雰囲気は良くなるような気がするが、勝手に進路を変えればそれはまたそれで文句を言われかねな
い。
「な、楢崎さ・・・・・」
「もう少し我慢しろ」
もう1時間もすれば空気は変わる・・・・・楢崎はそう信じたかった。
待ち合わせの東京駅に一番乗りしたのは綾辻だった。
早起きして時間通り・・・・・と、いうわけでもなく、実は駅の側のホテルに宿泊していたのだ。
ここで江坂達を迎える役目の自分が寝坊などしていられないということからだったが、それでも眠気はなかなか去らずに大きな欠
伸をしてしまった。
ただ、欠伸をしてもいい男なのには変わりはないようで、朝早くから駅を利用する女達はチラチラと綾辻の方へと意味深な視線を
向けていた。
「あ」
待ち合わせの場所に来て10分後、数人の男達が構内に現れた。
(あ〜あ、、目立つこと)
いかにもな黒ずくめの集団ではないものの、その雰囲気はどうしても異質で浮いてしまっている。
その男達の中にいる唯一綺麗な人形のような青年が、綾辻の姿を見て笑いながら手を振ってきた。
(・・・・・そんな笑顔を向けなくていいのに・・・・・ほら、後ろで・・・・・)
その美貌の青年の行動が面白くないのか、直ぐ隣にいた男の表情は見る間に剣呑なものになっていく。こちらの男もかなりノー
ブルな美形の男だった。
「・・・・・」
「おはようございます、江坂理事」
「・・・・・」
「おはようございます、綾辻さん。今日はよろしくお願いします」
何も答えず黙って顎を引いた男・・・・・江坂とは対照的に、楽しそうに笑いながら頭を下げたのは彼の恋人の小早川静だ。
綾辻も少し江坂の反応が気になったものの、にっこりと静に笑いかけた。
「おはよ。いきなりのお誘いでごめんなさいね」
「いいえ、誘ってくれて嬉しいです、ね、江坂さん」
「・・・・・ええ。綾辻、世話になる」
「いいえ」
とても頼むとはいえないような江坂の口調にも笑って頷いた綾辻は時計を見た。
そろそろ海藤や上杉、そして伊崎達も来る頃だろう。
「あ」
その時、驚いたような静の声がして、綾辻は反射的に顔を上げた。
「・・・・・はあ?」
そこには、江坂の周りにいるよりも数の多い、黒ずくめのスーツに身を包んだ大柄な外国人の男達に囲まれた美貌の主が、こちら
に向かってゆっくりと歩いてくるのが見えた。
駅前のロータリーで車が止まると、丁度伊崎と楓に出くわした。
「タロッ」
「楓っ、おやつ何持ってきたっ?」
「いきなり食べ物の話するか?普通」
車の中で煩いほど今回の旅のことを話していた上杉の恋人太朗は、さすがに最年少なだけに朝早くても元気いっぱいだ。
普通、煩いだけの子供は無視するか脅して他所に行かせる小田切も太朗は別格らしく、車の中で朝早くから働いて頭の中を休
めたい小田切も、弾んだ太朗の声に気分も多少浮上した。
自分でさえこうなのだから、太朗を溺愛している上杉にとっては、太朗の楽しそうな話を聞くのは嬉しいのだろう。黙っていればいい
男の顔はずっと崩れたままだった。
「俺、お祭り楽しみでさあ〜。屋台、いっぱい出てるかなあ」
「主な目的はキャンプだろ」
「それも楽しみ!バーベキュー、いい肉いっぱいだもんね〜!」
上杉に向かって全開の笑顔で笑ってみせる太朗はまるで小学生だ。
そう思ったのは小田切だけではなく、楓も呆れたように溜め息をつきながら言った。
「お前、食べることばっかりだな」
「え〜、だってそれが一番大事じゃん!ねっ?」
「そうだな」
頷く上杉を、楓はじろっと睨んだ。
「あんた、タロを甘やかし過ぎ」
「お前のお世話係りよりはましなんじゃないか?なあ、伊崎」
「上杉会長・・・・・」
「・・・・・ムカツク」
「・・・・・」
(あいも変わらず相性が悪い2人だな)
歳がもっと近ければもっと険悪だったかもしれないが、かなり歳が離れているだけに上杉にとっては楓はからかいの対象になって
いる。
ただ、楓の方は気が強いだけに、ただ言われるだけでは済まないようだったが。
「恭祐は、あんたと違って真面目なの!俺の為を思って動いてくれているだけで、あんたみたいに犬を可愛がるように甘やかして
るだけじゃないんだよ!」
「そう思ってるのはお前だけじゃないのか?傍から見ればお前だってただ甘やかされてるだけにしか見えねえな」
「・・・・・!」
「楓さん」
思わず足を一歩踏み出した楓の腰を掴んだ伊崎は、上杉をまっすぐに見つめながら言った。
「上杉会長、あまり楓さんをからかわないでください。素直な人だから直ぐに本気にされるんです」
「はいはい」
「今のはジローさんが悪い。ね、小田切さん、ナラさん」
「・・・・・」
「そうですね」
何と言っていいのか分からずに口ごもってしまう楢崎と、あっさりと肯定を返す小田切。
そんな部下2人に対して文句も言えない上杉は、苦笑しながら肩をすくめるしかなかった。
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余暇、第二話です。
この面々が駅にいたら怖いな〜と思いつつ、影でこっそり見てみたい気も。
あ、もちろん電車は3両貸切です(乗る車両と前後一両ずつ)。