磨く牙



17






 大人の男の力というのはこれ程に強いものかと、楓は改めて感じていた。
片手で押さえているだけなのに拘束されている両手はピクリとも動かず、楓の上に圧し掛かってくる筋肉質の身体は跳ね
除けようとしてもビクともしない。
(な、なんだよこれ・・・・・っ)
もっと軽くかわせるはずだった。軽くあしらって部屋から追い出し、そのまま外に遊びにいくつもりだった。
(こ・・・・・わい・・・・・怖いよ、恭祐・・・・・っ)
 徹との戯れはあくまでも楓が主導権を握っていて、まるで自慰の延長のようにしか思わなかった。
恭祐とのセックスは、初めは確かに恭祐の暴走から始まったが、結果的に自分の大好きな人と結ばれた喜びがあった。
しかし、今この瞬間、楓の心には恐怖心しかない。自分の考えがあまりにも幼く愚かだったと気付いたが、津山はそんな楓
の気持ちに気付くことはなかった。
 「・・・・・ひっ」
 ねっとりと首筋を舐め上げられて、身体がビクッと硬直する。
あっという間に脱がされたシャツは足元でシワクチャになり、伸ばされた手は楓のジーパンの中に潜り込んで、下着の上から
楓のペニスを愛撫し始めた。
 そこまでが、楓の限界だった。
 「・・・・やだ、嫌だ!恭祐!!」
 「・・・・・坊っちゃん?」
さすがに大声で喚かれ、津山はやっと顔を上げて楓の顔を見た。
その目の中には怯えの色しかなく、先ほどまでの妖艶ともいえる誘うような眼差しは欠片もない。
 「坊っちゃん」
 「恭祐!恭祐!」
 ただただ伊崎の名前を呼び続けている姿に、さすがに察しのいい津山は全てを悟った。
どういう理由からかは分からないが、先ほど自分に見せた姿は全て嘘だったということに・・・・・。
(この俺が・・・・・子供に振り回されたのか・・・・・)
 一瞬でも、周りの全てのことが頭の中から消えて、目の前の楓しか見えなかった自分の愚かさに自嘲するが、それと同時
にいざ事を運ぼうとした時反射的に口に出した伊崎の名前が気になった。
確かに楓は伊崎を慕ってはいるが、ただそれだけだろうか?
 「坊っちゃん」
 「な、なんだよっ」
 津山のまとっている気配が微妙に変わったことを感じたのか、楓の口調には何時もの生意気な響きが多少戻ったが、そ
れでもまだ手は押さえつけられたままなので、怯えた表情は消えていない。
(この子が素直にあんな痕を付けさせるか?)
 冷静に観察してみれば、確かにかなりの愛撫の痕は残っているが、抵抗を封じるような傷というのは見当たらない。
我の強い楓が、これ程の痕を付けさせる人物は・・・・・。
 「・・・・・相手は若頭・・・・・伊崎さんですね」
 断定的に言われ、楓は一瞬身体を強張らせた。組の人間に2人の関係が知れれば、まず伊崎とは引き離されてしまう
と思ったからだ。
しかし、一方で自分の気持ちを誤魔化したくないとも思った。
 「俺が誘った。恭祐は主人である俺の命令に逆らわなかっただけだ」
 「・・・・・」
 「恭祐は・・・・・」
 「分かりました」
 楓の言葉だけで、津山は納得した。
不用意に男を誘う楓に、あの伊崎が嵌められるわけはない。楓から誘ったのなら、伊崎はきっと大人の対応で上手くかわ
しただろう。
激しい執着を感じさせるあれほどの痕を付けたのは・・・・・きっと伊崎が楓を深く愛しているからだ。
強い結びつきの主従とは思っていたが、そこに愛情があるとは津山も気付かなかった。上手く隠していた伊崎をさすがだと思
う。
 そして、全ての疑問が津山の中で形づいた時、津山は自分自身の罪を清算しなければならなかった。
楓の身体の上からどいた津山は、そのままベットの傍で跪き、額を床に付けるように頭を下げた。
 「坊っちゃん、私を破門するように組長に言ってください。大事な親父のご子息に手をつけようとしたんだ、覚悟は出来てい
ます」
 「津山・・・・・」
 「若頭が知ったらきっと、殺されるだけでは済まない罪です」
 その言葉に嘘はないだろう。あれ程雅治に、そして伊崎に忠誠を誓っていた津山が、2人の大事にしている自分に手
を出すということがどういうことか、きっと津山自身が言うように破門だけでは済まず、指の1本や2本覚悟はしているのだろう。
 「・・・・・」
自分より遥かに年上で、立派な体格をしている津山が、今は自分の足元に土下座をして審判を待っている。
つい先ほどまで嫌っていたはずの津山だが、楓は今は別の気持ちが生まれていた。
伊崎に対する気持ちとは違うが、津山は信じてもいい存在だと感じたのだ。
 「お前は俺の付人から外さない」
 「坊っちゃん?」
 「お前は俺の共犯だ。伊崎との関係を唯一知っている人間だし、今夜のことも・・・・・」
 「・・・・・」
 「伊崎の代わりに俺に付いてくれ」
 「・・・・・はい」
 嬉しいというのが正直な気持ちだった。いつでも伊崎だけを見ていた楓が、初めて自分に視線を向けてくれた気がする。
 「名前、聞いてない。津山何?」
 「勇司(ゆうじ)です」
 「勇司か。分かった。俺のことも楓って呼んで。『坊っちゃん』って言われるの、あんまり好きじゃない」
引き合わされてから初めて間近で見る楓の微笑みは、時折事務所に訪ねてきた時伊崎に見せていたものと同じだった。
あの時は遠くからただ見ることしか出来なかったが、今はこんなに近くで自分に対して向けられている。
 「・・・・・楓さんのことは、私の命に代えてもお守りします」
津山はこの愚かなほど幼く美しい主人に完全に囚われてしまった自分を自覚し、改めて強く誓った。