磨く牙
18
「楓さん、そろそろ時間です」
「あ、ん。じゃあ、父さん、兄さん、行ってきます」
「ああ、気をつけて」
「行って来い」
座敷を出た楓が津山を連れてそのまま玄関まで来ると、そこには伊崎が立っていた。
楓の姿を見た伊崎は一礼して言った。
「おはようございます、楓さん」
「・・・・・おはよう」
楓が津山との秘密を抱えてから3日経った。
あの夜、しばらくして返ってきた兄に呼ばれ座敷に行った楓は、そこで2人に改めて洸和会について説明された。
下手に誤魔化して楓が暴走しては手遅れと判断した雅行と伊崎は、言葉を誤魔化すことなく今の楓の立場をきちんと
説明し、その上で行動を自重するようにと言われた。
そこまで筋を通されて楓も子供のように反抗することは出来ず、兄と伊崎に無茶なことはしないと約束した。
「今から登校ですか?」
「うん。今日は当番だから早いんだ」
「そうですか。・・・・・行ってらっしゃい」
「行ってくる」
津山に襲われたことで改めて伊崎への想いを自覚した楓は、どうしても態度がぎこちなくなってしまう。
じっと見つめられるだけで緊張してしまった楓は、それを誤魔化すように津山に視線を向けた。
「行くぞ」
「はい。若頭、行ってまいります」
「しっかり守れ」
「はい」
まるで以前の自分と楓の姿のように連れ立って出て行く2人の後ろ姿を見送りながら、伊崎は深い溜め息を付いた。
(何かあったか・・・・・?)
洸和会との面会の後、屋敷に戻って呼び出された楓と津山の雰囲気は微妙に変わっていた。
楓が津山を嫌っていることは知っていたし、その方がお互い相手を冷静に見れていいかと思っていたくらいだったが、今の2
人の雰囲気は以前の自分との関係によく似ている。楓が津山を信頼しているのが分かるのだ。
「・・・・・」
そうした方がいいと思ったのは自分なのに、伊崎は楓の傍にいない自分が不安定で、津山を憎らしく思う自分が滑稽
だった。
(手は出していないだろうが・・・・・)
今までは組長である雅治や伊崎の言葉に従う形で楓に付いていた津山が、今は楓を最優先として動いており、その目
には楓しか映っていないようだ。
2人の間に関係が出来たとは思わないが、何か2人が歩み寄る出来事があったのではないかと考えた。
「若頭、組長がお呼びです」
「分かった」
早く洸和会の問題を解決しなければ取り返しのつかないことになるかもしれない・・・・・伊崎は次第にそんな焦りを感じ
始めていた。
昼休み、屋上で寝転がった楓は、ぼんやりと空を見上げていた。
今日はどうしても1人になりたくて取り巻き達を置き去りにし、こっそりと立ち入り禁止の屋上に来たのだ。
「・・・・・どうしようかな・・・・・」
洸和会との対立はまだ続きそうで、しばらくは気の抜けない日々が続くだろう。
その間は夜遊びはしない、出掛ける時は必ず誰かを付ける、見知らぬ電話番号は取らない・・・・・など、一体どれだけの
約束を兄としたか覚えていないほどだ。
それが全て今までの自分の行いのせいだと分かっているだけに反抗も出来ず、今の楓は驚くほど品行方正だ。
津山との関係も少しずつだが距離の取り方も分かってきて、前ほどうっとうしく感じないし、むしろ信用してきている
ただ、津山との関係と反比例するように、伊崎との距離感が分からなくなっていた。
じっと見つめていれば他の組員達に気付かれるかもしれないと慌てて目を逸らすことになるし、無視するように避けていれ
ば嫌われるだろうかと心配になる。
今までそんなふうに誰かの心を深く考える機会のなかった楓は、まるで小学生の初恋のような初々しい悩みをようやくこの
歳になって抱くことになった。
(恭祐は俺のこと好きなのか・・・・・?)
確かにあれだけ激しく抱かれたが、好きだとは言われていない。
(ちっちゃい頃はよく言ってくれたけど・・・・・)
『大好きですよ、楓さん』
ことある毎にそう言って、伊崎は大きな手で頭を撫でてくれ、優しく抱きしめてくれた。
そんなスキンシップが無くなったのは、楓が中学にあがった頃からだ。
そして、その頃から楓は伊崎に対して反抗的になり、夜街に出ることも多くなった。
「・・・・・なんだよ、恭祐のせいじゃん」
津山は伊崎との関係を秘密にしてくれると言ってくれたが、何時どこから知られるかも分からない。その時伊崎は自分と
組とどちらを選ぶのか・・・・・。絶対的にあった自信は今はなかった。
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