磨く牙



19






 それから数日は、恐ろしいほど静かで平和な日々が続いた。
雅行や伊崎は洸和会との抗争を避ける為にあらゆる手を尽くし、楓も言いつけを守って無茶な行動はしなかった。
しかし、伊崎が忙しく飛び回っている為、組事務所でも顔を合わすことが少なくなり、楓は無性に寂しさを感じていた。
 「坊っちゃん、若がお呼びですが」
 「兄さんが?」
 それからまた数日経った日の夕方、部屋でぼんやりとしていた楓は呼びに来た組員の言葉に立ち上がった。
 「兄さん1人?」
 「いえ、若頭もご一緒です」
 「伊崎も?」
(何の話だろ・・・・・?)
最近夜遊びはしていないし、することがなくなって勉強に時間を回したせいか、先日のテストの成績もほぼ完璧なものだった。
兄と伊崎が揃っているということは、もしかして洸和会の方で動きがあったのかもしれない。
そう思うと、自然に楓の頬は強張った。
 「楓さん、ご心配なく。楓さんは私がお守りします」
 「・・・・・」
津山の言葉に軽く頷き、楓は兄と伊崎が待つ座敷に向かった。



 「楓です」
 「入れ」
 雅行の言葉に促されて入ってきた楓の顔色は悪く、伊崎は思わず立ち上がり掛けた。
 「どうした、楓?顔色が悪いが・・・・・体調が良くないのか?」
 「ううん、大丈夫」
兄の言葉に微かに微笑み、楓は2人の前に座った。
幼い頃から溺愛されてきたとはいえ、父や兄も行儀作法には厳しく、今も楓はすっと背筋を伸ばした綺麗な姿勢で正座を
していた。
 「決まったことだけを伝える。明後日の土曜、洸和会との対面がある。その場にお前も連れて行くことになった」
 「・・・・・俺も?」
戸惑ったように聞き返し、それが癖なのか楓は伊崎に視線を向けた。
その視線に答えるように伊崎が頷くと、楓は雅行に視線を戻す。
 「俺、1人で?」
 「まさかっ。こちらはお前と若頭である伊崎。向こうは組長代理の麻生と、若頭の友平だ」
 それは楓が聞いてもバランスの取れない組み合わせで、傍に控えていた津山が思わずと言ったように口を開いた。
 「それはあまりにも危険ではないですか?せめて自分も連れて行って下さいっ」
 「津山」
自身も納得のいっていない雅行が眉を寄せて視線を向けるが、それを遮るようにして伊崎が厳しい声で言い放った。
 「控えろ、津山。これはうちの組長とあちらの組長とが取り決めたことだ。反故にして組長に恥をかかせる気か」
 「・・・・・いいえ」
 「この対面を最後に、向こうはお前とうちの組には一切手を出さないと言って来た。・・・・・楓」
 「分かった、兄さん。俺が役に立つかどうかわかんないけど、向こうの出した条件の中に俺が入ってるなら行くよ」
 「伊崎、向こうが何を目的にしているか掴みきれていないのが気懸かりだが・・・・・組の大事だ、きっちり務めてくれ」
 「はい」
 「楓のことも・・・・・」
 「若、全ては楓さんの安全を第一に考えた上での話です。何があっても、楓さんは無事にこの家に連れて帰ります」



 「驚かれたとは思いますが、私を信じてくれますね?」
 「・・・・・うん」
 伊崎が楓の自室に来るのは随分久しぶりのような気がして、楓は少し緊張していた。
伊崎が最後に部屋に来た時・・・・・楓は伊崎に抱かれた。
距離を置いて接してくる伊崎が憎らしくて、思わず自分の身を利用してもいいと言い放って・・・・・喧嘩ともいえない気まず
い空気のまま別れた。

 『女じゃないんだ、たとえ手を出されたとしても孕む心配はないし、傷物にされたとも思わない』

 今ならば、あんな言葉を言えるはずもないが、いったん口にしてしまった言葉をどうやって取り消せばいいのか、素直に謝る
という選択がなかなか出来ない楓は、今も伊崎を前にして困惑した状態だった。
 「心配ですか?」
 そんな楓の様子を、今度の対面への怯えと取った伊崎は、気遣わしそうに楓の顔を覗き込む。
驚くほど近くに伊崎の顔があるのに気付いた楓は、慌てて身を引きながら首を振った。
 「だ、大丈夫、伊崎のことは信用している」
 「楓さんは何の心配もなさらなくていいですから」
 「・・・・・うん」
 素直に頷く楓の肩にそっと触れようとした伊崎は、横顔に注がれる射るような視線の主に気付いた。
(津山・・・・・)
自分を慕ってくれ、その命令を忠実に遂行してきた男。感情の起伏が余りなく、常に冷静沈着な鉄の男だった津山の、そ
れは驚くほど激しい感情の表れだった。
 「若頭」
 「何だ」
 「私は・・・・・お2人の関係を知っています」
 「!」
 「津山っ?」
 反射的に顔を上げて津山を見た伊崎は、次の瞬間自分のすぐ傍にいた楓を見下ろした。
楓は津山の発言に大きく目を見張り、身体を硬直させたまま立ちすくんでいた。