磨く牙



21






 そして、洸和会との対面当日・・・・・。
 「楓、気を付けてな?嫌なことをされそうだったら、とにかく断わって帰って来い」
 「うん」
 「親父の言う通りだ。お前が何をしても、後のことは俺達に任せろ。伊崎、必ず楓を無傷で連れて帰れ」
 「はい」
まるで今生の別れのように自分を交互に抱きしめながら言う父と兄を、楓は今日ばかりは大げさだと笑うことが出来なかっ
た。
料亭とはいえ、実質は相手の手の内に入るのだ。何が起こってもおかしくはない。
そんな場所に大切な楓を向かわせなければならないと感じている2人のジレンマが、楓にもヒシヒシと伝わっていた。
 「じゃあ、行ってくる」
 今日のことは、組長である父とその代行である兄、そして楓に付いている津山しか知らない。
他の組員が知れば、暴走して殴り込みを掛ける者も出るだろうと予想出来るからだ。
多少我が儘なところもあるが、生まれた時からこの事務所に連れて来られ、偏見の目など向けないで無邪気に遊び、話
し掛けてくれる楓は、組員達にとっても大切な宝だった。
 「あ」
 玄関先には津山が立っていた。
何時もならばこのまま津山も一緒に出掛けるところだが、今日は運転も伊崎がするので、ここで見送られることになっていた。
 「津山」
 「お気をつけて」
 たった一言そう言うだけが、津山にとっての精一杯だろう。
真っ直ぐに自分を見つめてくる津山に、楓は頬に少しだけ笑みを浮かべて言った。
 「行ってくるね、津山」



 伊崎の運転で2人きりで出掛けるのは随分久しぶりだった。
楓は沈みがちになる気持ちを無理矢理持ち上げようと、わざとらしいほど明るい声で伊崎に話し掛けた。
 「いっそのこと、このままホテルに行く?」
叱ってもらう事を前提にした言葉に、意外にも伊崎は、
 「そうしましょうか」
直ぐに肯定の返事をした。
驚いたのは楓の方で、思わず言葉に詰まってしまった。
チラッと見た伊崎の横顔は真剣で、冗談を言っている雰囲気ではない。
 「・・・・・伊崎?」
 「・・・・・出来ればこのまま2人で・・・・・どこかに行きたいですね」
 「・・・・・そうだね」
 伊崎の言うように、このまま2人でどこかに行ければいいと思う。今ならば素直に伊崎に想いを伝えることが
出来ただろう。
しかし、今の2人の背中には、日向組の皆がいる。
 「・・・・・冗談だ。急ごう」
 「はい」
これ以上何も話すことはなく、楓は流れる街の風景を見つめていた。



 指定された料亭の離れに案内された楓と伊崎は、障子を開く前に自然と視線を合わせた。
 「楓さん、今日だけは・・・・・私の言葉に従って下さい」
囁くような伊崎の言葉に、楓は深く頷くだけの返事をする。
かなり緊張している様子が分かったが、伊崎はそれ以上掛ける言葉が見付からず、気持ちを切り替えて中に声を掛けた。
 「失礼します」
 「ああ、どうぞ」
 中からの返事に障子を開けた伊崎は、まず自分が先に中に入った。
 「遅れまして申し訳ありません」
 「いや、まだ時間前ですよ。一刻も早く坊ちゃんの顔が見たくて、こちらが早めに来てしまった」
笑いながら言ったのは、洸和会組長代理の麻生宏和だ。
 「・・・・・」
 伊崎は黙ったまま中に入り、後ろを振り返った。
 「失礼します」
少し青褪めてはいたが、楓はしっかりとした口調で言うと、ほっそりとした姿を現わせた。
 「ああ、いらっしゃい」
途端に頬を緩める麻生に軽く頭を下げ、楓は並んで座っている麻生と、若頭の友平の前に腰を下ろし、綺麗に背筋を伸
ばした姿で、真っ直ぐに顔を上げたまま言った。
 「日向組組長、日向雅治の次男、日向楓です」
それは思わず麻生や友平が溜め息を付いてしまうほど、毅然とした綺麗な姿だった。