磨く牙



25






 「楓!!」
 「お、お兄ちゃ・・・・・っ!」
 たった1人で病院の固いソファに座っていた楓は、駆けつけてきた兄の雅行の顔を見た途端、クシャッと顔を歪めて走り寄っ
た。
 「きょ、恭祐がっ、恭祐が!」
 「お前はっ?怪我はないのかっ?」
 「う、うん、うん・・・・・」
ギュッと雅行のシャツを握り締め、楓は子供のように何度も何度も頷いた。
1人きりで手術中の赤いランプを見つめているのが怖くて仕方が無かった楓は、来てくれた頼りになる兄に縋るように抱きつ
いたままだ。
 「・・・・・くそっ、本当はあいつらの息の掛かった医者になんか見てもらいたくはないが・・・・・」
 洸和会の掛かり付けの病院と言うのは、かなり規模の大きい個人病院だ。設備も整っているようで、伊崎が運ばれて直
ぐに手術を開始することが出来た。
 一方、今まで大きな抗争もなかった日向組の掛かり付けは、かなり年老いた医師が1人いるだけの小さな医院だ。
悔しいがこの病院に運ばれたのは正解だっただろう。下手に救急車など呼べば、傷が銃創ということで警察沙汰になってし
まう。
 「きょ、恭祐、死んじゃわない?俺おいて死んじゃわない?」
 「大丈夫だ」
 「お兄ちゃん・・・・・」
 「あいつがお前をおいて死ぬものかっ」



 大東組の対応もまた早かった。
どちらも傘下の組だという事で、直ぐに双方の組長が呼ばれて話し合いがもたれた。
日向組の組長である雅治の怒りは大きく、そうでなくても今まで一方的にちょっかいを出されて、まだ学生である子供を引
き合いにし、最後は若頭の伊崎が傷を負った。
 厳重に処罰をと訴える雅治に、大東組も洸和会の勇み足を非難した。
同系の組同士の為、警察の介入を良しとせずという1点には同意したものの、手打ちの条件にはなかなか雅治も首を縦
に振らない。
傷を負った伊崎と同等にという意見に、実際に銃を発砲した麻生に小指を差し出させたらどうかという意見も出たが、時代
錯誤だと開成会の会長、海藤が異議を唱えた。
価値の無い小指を差し出す位なら、あっても困らない現金にした方がいいということに収まり、洸和会は入院費、慰謝料
を含めて1本(1億円)を現金で日向組に渡すということと、これから先日向組には手を出さないという血判書を大東組に
提出することで手打ちとなった。
 伊崎の命を金に換算することを最後まで悩んでいた雅治だったが、海藤の、
 「現実を考えれば、くそみたいな面子より金の方が必要じゃないですか」
その言葉に、最後は頷くしかなかった。
確かに小さな組である日向組にとって、何の見返りもいらない1億円という金は確かに喉から手が出るほど欲しい。
 息子である雅行に電話をして意見を聞くと、一瞬沈黙が続いた後、「全て海藤会長の言う通りに」と言った。
雅治は血判書の作成を見ながら、早く病院に行かなければと心が急く。
伊崎の容態ももちろん心配だったが、何より楓の精神の方が不安だった。
今まで危険な目になど遭わせない様に大切に育ててきた楓が、懐いていた伊崎が撃たれる現場を見たのだ。
どんなに恐ろしく不安な思いをしたか、雅治は早く楓の顔を見なければ安心出来なかった。



 組長である父雅治が病院に着いて直ぐ、伊崎の手術は終わった。
数時間に及ぶ手術の結果、命の危険はないと知らされた瞬間、張り詰めていた緊張が切れた楓は兄の腕の中で意識を
失っていた。
 「・・・・・」
 「楓さん」
 次に楓が目を開けた時、そこは病室の一室のようで、側には津山が付いていた。
 「・・・・父さんと兄さんは?」
 「お2人は事務所に戻られて、今回の処理をされています」
 「・・・・・話はついた?」
 「はい。慰謝料と血判書で手打ちになったと聞きました」
 「そう・・・・・」
 楓は自分がまだほんの子供で無力だと思い知った。
自分がただ伊崎を失うことを恐れて震えている間、父と兄は全ての決着をつけてくれていたのだ。
(俺なんか・・・・・心配させてばかりだ・・・・・)
 楓は枕元に立ったままの津山に視線を向ける。
冷たい、無表情なだけだった津山が心配してくれていると、その僅かな表情の中から読み取ることが出来た。
 「・・・・・ごめん」
 「楓さん?」
 「俺・・・・・恭祐が好きなんだ」
 「・・・・・」
 「恭祐だけが・・・・・好き・・・・・」
伊崎を失うかもしれないと思った恐怖に比べれば、自分の小さなプライドなど打ち壊すのはなんでもない。
 楓はゆっくりベットから起き上がる。
その拍子に、目に溜まっていたのか、涙が一滴頬を伝って零れた。
 「他の誰も要らないんだ。恭祐が傍にいてくれたら、もう、それだけでいいんだ・・・・・」
 「・・・・・分かっていましたよ」
津山が静かに答えた。
 「楓さんが誰を見ているのか、誰を必要としているのか・・・・・分かっていましたが認めたくなかったんです」
 「津山」
 「若頭は集中治療室にいます。・・・・・行かれますか?」
 「行く」
楓はベットから降りた。