磨く牙
27
「あら、こんにちは、楓君」
「こんにちは」
楓はにっこりと笑って頭を下げた。
綺麗な顔で綺麗に微笑まれると、嫉妬というレベルを超えてただぼうっと見惚れる対象になる。
楓はそんな自分の武器を最大限に生かして、ナースセンターに自由に出入り出来るようになっていた。
「これ、よければ皆さんで食べてください」
「何時も何時も手土産なんていいのよ?」
「お世話になっているほんのお礼ですから。あの、関先生は?」
「今回診に・・・・・あ、先生!楓君が来ましたよ!」
「ああ、いらっしゃい!」
30代後半の関医師は伊崎の担当医だ。楓はほぼ毎日関医師のもとに通い、伊崎の病状を逐一聞いていた。
「こんにちは、先生。何時も押しかけてすみません」
「楓君みたいな綺麗な子を毎日見れるなんて大歓迎だよ。ただ、伊崎さんはもう退院だし、そうなると楓君が来なくなる
のは寂しいなあ」
本気っぽい言葉に、楓は笑った。
本当なら、楓は伊崎の顔を毎日でも見に行きたかったのだが、みっともない泣き顔を見せてしまった恥ずかしさと、怪我
を負わせたという負い目が、なかなか病室にまで足を運んでくれなかった。
眠っている時に顔を見ようと思っても、気配に鋭い伊崎が気付かないはずがない。遠くから見るだけではその顔色さえ分か
らない。
考えた末、楓は病院の職員に取り入ろうと決めた。
医者には、毎日伊崎の病状の経過を聞いた。
看護士達には、日々のささいな出来事を聞いた。
看護士に対してはそれだけではなく、伊崎に言い寄ろうとする隙を無くす為でもあった。
これだけ毎日自分が通っていれば、伊崎にモーションを掛けようとする馬鹿な考えを持つ者はいないはずだ・・・・・楓はそん
な自信を持っていた。
(絶対、他の誰にも渡すもんか・・・・・っ)
「楓君、今度ご飯食べに行かないか?」
こっそりと耳元に囁いてくる関医師に、楓は少し目を伏せながら遠慮がちに言った。
「俺みたいな子供と行っても、面白くないですよ」
「そんなこと・・・・・」
「あ、先生、看護士さんが呼んでる。俺、邪魔になるといけないから」
ちょうど掛かってきた声にそう言いながら立ち上がると、楓は軽く一礼してからナースセンターを出た。
「・・・・・良かった、恭祐の退院が決まって・・・・・」
(これ以上長引いてたら、あの医者にもっと迫られるとこだ)
「・・・・・帰るか」
今日は兄が見舞いに来ると言っていた。鉢合わせして一緒にと誘われたらまずいだろう。
そう思って踵を返した楓の足が、不意に止まった。
「・・・・・」
「見舞いに来てくれたんではないんですか?」
「恭祐・・・・・」
伊崎は影から一部始終を見ていた。
そして、偶然通り掛かった看護士から、ここのところの楓の行動も全部聞いたのだ。
(子供っぽい真似をして・・・・・)
楓が自分に会いにくいだろうということは分かっていたが、こうして毎日病院を訪れてくれているとは想像もしていなかった。
その事実を知った時・・・・・伊崎は胸が締め付けられるほど強く楓を愛おしく思ったのだ。
「楓さん」
「・・・・・歩いていいのか?」
伊崎とは目を合わせないまま楓は言った。
しかし、強がるその声は動揺で僅かに震えている。
「痛まないのか?」
ここで伊崎と鉢合わせするとは思っていなかったのだろう。
何とか話を続けようとする楓をじっと見つめていた伊崎は、不意にその腕を掴んで歩き始めた。
「恭祐っ?」
「こんなところでは込み入った話は出来ません」
「た、退院してからでいいだろ?俺はもう帰るからっ」
そう言いながら、伊崎の腕を振り払おうとする楓に、伊崎はきっぱりと言った。
「大人しくついてきなさい。暴れられると傷が痛みます」
「!」
そう言われた瞬間、楓の抵抗はパッタリと止んだ。
初めて入る特別室は、一般病棟とはまるで違い設備も整い、広くもあったが、やはり全体的に白い景色で、ここも病室
なのだと改めて思った。
窓辺に立った楓は、チラッと伊崎を見る。
パジャマ姿でベットに腰掛けている伊崎の姿は初めて見るもので、楓は何時の間にかポ〜とその姿を見つめていた。
「なぜ、ここに来て下さらなかったんです?」
しばらくして、伊崎が口を開いた。
「楓さんが来てくれるのを待っていたんですよ」
「・・・・・え?」
楓はハッと我に返る。
「病院にまで来てくれているのに、どうしてここに来て下さらなかったんですか?」
「・・・・・病状は聞いてた」
「あんな方法で?」
「あんなって・・・・・」
「また、勘違いする男が増えただけじゃないですか?誰もかれもに媚を売って、それじゃまた襲われても自業自得だと言わ
れるだけですよ」
「恭祐!」
伊崎のあまりに冷たい口振りに、楓は思わず声を上げた。
![]()
![]()