磨く牙
31
「・・・・・その怪我、嘘だろ」
くったりとした身体をベットに投げ出したまま、楓は口を尖らせて言う。
その身体を熱いタオルでぬぐってやりながら、伊崎は先程までの獣のような目を穏やかなものに変えて優しく言った。
「楓さんを前にすると、痛みなど忘れてしまうんですよ」
「・・・・・お前、タラシだな。何人女を泣かせた?」
「さあ」
「さあ?」
「楓さん以外の人間の感情は、あまり気にしていないですから」
「・・・・・」
(タチ悪いぞ、恭祐)
セックスの後、少し気を失っていた楓は、気付くと伊崎のベットを占領していた。
本来病人のはずの伊崎の方がずっと元気で、初めは慌てて起き上がろうとした楓もそのまま甘えることにした。
2人の体液と汗でグシャグシャになっていたはずのシーツも何時の間にか綺麗なものに変わっていたが、それをどうしたのか
は考えると怖いので聞かないことにする。
楓はじっと、甲斐甲斐しく世話をする伊崎を見つめた。
自分より遥かに大人で、こんなにもいい男の伊崎が本当に自分のものになったのかと信じられない気もするが、真摯に想
いを伝えてくれた伊崎を信じようと思った。
そして・・・・・。
「恭祐」
「はい」
「お前の全部は俺のものか?」
「はい」
「嘘だ」
「楓さん?」
伊崎は手を止めて楓を見つめた。
「まだ信じてもらえませんか?」
「信じてるよ。でも、お前はうちの若頭で、組のこととか、父さんや兄さんのことだって考えなくちゃいけないだろ?」
「・・・・・楓さんが他を見るなと言えば、全部捨てても構いません」
そう言うなり、伊崎はギュッと楓を抱きしめた。
素肌に感じる乾いたパジャマの感触がくすぐったくて、楓は笑いながら軽く伊崎の胸を小突いた。
「バ〜カ。そういうことじゃないよ」
「では・・・・・」
「99%俺のものだったらいい。後1パーセントは、他のものに使ってもいいぞ」
「どうしたんですか、急に」
「ただ・・・・・俺も、1%・・・・・ううん、0.1%、他のものに気持ちを向けるから」
「・・・・・どういうことです?」
「少しだけ・・・・・津山が気になってる」
「楓さん」
伊崎の声が固くなり、纏っていた雰囲気が冷たくなった。
それでも、楓は伊崎に全てを伝えておきたかった。
「好きとかじゃないと思う。恭祐に対する気持ちとは全然違うし。でも、命に代えても守るって言ってくれたんだ。全く無視
するなんて、出来ないんだ・・・・・恭祐」
「・・・・・」
「怒るか?」
「・・・・・俺はあなたのものでしょう?あなたがそう決めたのなら、何も言うことはありません」
「・・・・・恭祐」
「少し寝なさい。傍にいますから」
「うん・・・・・」
わだかまりを吐き出して安心したのと、先程の激しいセックスの疲れで、楓はそう時間を置く間もなく眠ってしまった。
しばらくその寝顔を見つめていた伊崎は、起こさないようにそっと頬にキスを落とすと、チラッとドアの方に視線を向けた。
その視線は楓に向けていたものとは全く違う、厳しく鋭いものだ。
伊崎はもう一度楓を振り返って、よく眠っているのを確認すると、そのまま鍵を開けてドアを開いた。
「・・・・・」
直ぐ脇の壁際に、直立不動のまま津山が立っている。
楓の付き人である津山がこの場にいるのは何の不思議も無かったし、伊崎は半分わざと聞こえるように楓に声を上げさせ
ていた。
楓が誰のものか、実際に見せ付けたいと思ったからだ。
「・・・・・いいか」
「はい」
念の為、伊崎の両隣の病室は空室にしていたので、その一室に2人は入った。
「聞こえたか?」
「・・・・・はい」
「お前を付けたことを、俺は一生後悔するだろう」
「若頭・・・・・」
冷静沈着といえば聞こえはいいが、津山は何事にも冷めて、情というものを一切排除してきた男だった。
だからこそ伊崎は自分の代わりに楓の傍に付けても間違いは起こらないだろうと思ったのだが、実際に楓の心の中に津山
の存在は入り込み、津山も楓に動かなかった感情を向けてしまった。
伊崎は自分が2人を引き合わせてしまったことを今更ながら後悔していた。
楓も言っていたように、楓の気持ちが変わらなければ2人の関係が代わることはないし、楓が津山に恋愛感情を持つこと
はないとは思っている。
しかし、一欠片でも楓の情を明け渡すのは悔しくて、嫉妬で胸を焦がしてしまうのだ。
「若頭、今のあの人の一番近くにいるのはあなたです。でも、実際に傍に付いて守るのは私だ」
「・・・・・分かっている」
「楓さんと引き合わせてくれたことに感謝します」
津山の口から楓の名が零れ、伊崎は眉を顰めた。
それを許したのは楓本人だとしても、やはり面白くは無かった。
「お前、そんな男だったか?」
「自分でも知りませんでした。でも、若頭も楓さんの前だと情けないですね」
「・・・・・」
「色っぽい声をわざわざ聞かせて頂き、ありがとうございます」
にやっと笑いながら言う津山の表情は随分と豊かになった。
それも楓の影響なのだろうかと、伊崎はまた1人増えたライバルに深い溜め息を洩らすしかなかった。
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