磨く牙
32
「じゃあな、日向」
「うん、また明日」
「日向先輩、さよならっ」
「気を付けて」
同級生や下級生から次々に掛けられる声に、何時もの天使の笑顔で挨拶を返す楓。
楓の日常は戻った。
とはいえ、しばらくは用心の為に送り迎え付きだと、過保護な父と兄の意見に素直に従い、楓は校門から少し離れたとこ
ろで待っている津山の元に向かった。
「お疲れ様です、楓さん」
「ん、お前もご苦労」
戻ったとはいえ、伊崎の若頭就任は今更動かせるはずもなく、更に雅治の引退と、雅行の6代目就任が確実になり、組
の中は今まで以上に騒がしくなっていた。
その中で楓だけは、何時もの自分のペースを守っている。
いや、楓も・・・・・そして津山も、やはり以前とは少し変わった。
「なあ、寄りたいとこあるんだけど」
「どちらですか?」
「ん〜、ゲーセンとか?」
「はっきりとした目的がないのなら、このまま家に戻りましょう」
「・・・・・分かったよ」
津山は楓にはっきりと意見を言うようになり、楓もそれを素直に聞くようになった。
伊崎といるような安心感と信頼を、津山に対しても向けるようになったのだ。
「・・・・・」
さすがに黒塗りの車を学校の前に停めることは出来ず、少し離れた場所に置いてある車の元に歩き始めた時、不意に
津山は楓の腕を掴むと自分の身体の後ろに移動させた。
「津山?」
「私から離れないで下さいね」
「・・・・・あ」
津山の緊張した意味が分かった。
「久しぶりだな。・・・・・相変わらず美人だ」
「・・・・・俺に用?」
「まあ、そうじゃなきゃ、ガキのいるこんな場所には来ることもないな」
「・・・・・そうだね」
道路に停まっていた高級国産車から不意に姿を現わしたのは、洸和会の組長代行でもある麻生だった。
あれ程の失態と、高額な負債を組に負わせたのにも関わらず、麻生は組長代行という立場からの降格はなかったらしい。
それはいかに麻生のそれまでの功績が大きかったかということと、洸和会に麻生以上の人材がいないということの証明にも
なっただろう。
その事について父の雅治はケジメがないとブツブツ言っていたが、兄の雅行は他の組の内部でのことと割り切っているよう
だ。
その辺のドライな考え方は、開成会の海藤会長の影響が強いのかもしれない。
「少し、時間取れないか?」
「・・・・・」
楓は津山を振り返る。
もちろん津山が頷くはずがなかった。
「あなたは楓さんとの接触を禁じられているはずですが」
「まあ、そうなんだが・・・・・嫌か?」
麻生に直接問いかけられ、楓は少し考えた。相手は大好きな伊崎に銃を向けた男だ。本来なら話したくはないし、組同
士の取り決めでもそうなっている。
しかし、楓は顔を上げた時、きっぱりと肯定の返事をした。
「分かりました」
「楓さんっ」
「でも、この津山が一緒です。彼は俺の守役ですから」
「いいだろう」
楓はこの男がいったい何を言いにここまで来たのか、それが知りたかった。
「色々制裁は受けた。まあ、五体満足だがな」
「・・・・・」
津山の提案で、話は近くの明るい喫茶店で行われた。
車は移動される危険があるし、密室も目が届かない。公共の場で人の目がある所は、こんな場所しかなかった。
目を見張るような美少年と、渋く、しかし只者ではないオーラをまとった男2人。傍目から見れば不可解な顔ぶれだろう。
「パフェにするか?」
以前の事を覚えているのか、麻生が少しからかう様に言う。
「コーヒー」
「そんなものでいいのか?」
「パフェは食べきる時間ないから」
言外にこの会見は短時間だと伝える楓に、麻生は苦笑するしかなかった。
「・・・・・」
注文したコーヒーが並べられ、麻生はやっと口を開いた。
「恐い思いをさせたな、悪かった」
「・・・・・謝るなんて意外」
「伊崎の手にまんまと嵌ったのは悔しいが、お前のあんな泣き顔を見るとな・・・・・さすがに罪悪感が湧いた」
「・・・・・っ」
楓は瞬時に顔を赤くした。
あの時に取り乱してしまったことは今から思えば随分みっともなかった。暴力的なことには慣れている麻生達にすれば、伊
崎が負った傷が命に関わるかどうかなど見て分かっただろう。
ただ1人、子供の楓だけが、伊崎の命を失うことを恐がっていただけだった。
「・・・・・忘れて」
「可愛かったのに?」
「俺は笑ってる方が可愛いんだよ」
直ぐに言い返してくる楓の反応に、麻生は少し楽しそうな笑みを浮かべた。
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