磨く牙



33






 「用は何?」
 のんびりとお茶をする気はないと視線で即す楓に、麻生は頬に笑みを浮かべたまま言った。
 「惜しいな」
 「え?」
 「伊崎に邪魔をされたが、やはり惜しい。どうだ、俺の女にならないか?」
 「・・・・・利用する為に?」
 「いい子でいるなら、俺だけのものにして可愛がってやる」
 「・・・・・不合格」
 「ん?」
 「そんな言葉じゃ俺はなびかないよ」
楓は立ち上がった。
そして、上から麻生を見下ろすようにして言った。
 「俺は誰かに守ってもらいたいわけじゃないし、誰かのものになろうとも思わない」
 「・・・・・」
 「欲しいものは自分の手で掴みとる。人からわざわざもらうなんて、そんな女々しいことはしないよ」
 今回のことでは、楓も自分の手にはおえない事もあるのだと思い知った。自分はまだまだ子供で、周りの大人から守られ
る立場ということも。
しかし、それでもただ守られるだけの存在にはなりたくないと、与えられるものをただ受け取るだけの子供ではいたくないと思っ
ている。
子供でも、出来ることはあるのだ。
 「楓」
 「名前を呼ぶのも、これ限りだよ。不特定多数の人間が俺の名前を呼ぶのは止めようもないけど、恭祐を傷付けたあん
たには呼んで欲しくないしね」
 「・・・・・伊崎との事は日向の組長も代理も知らないんだろ?知れたら、破門だけじゃ済まないかもな」
 半ば脅しにも取れる言葉に、楓はにっこりと笑ってみせる。それは本当に天使のような綺麗な笑みだった。
 「言ってもいいよ」
そして、その愛らしい唇から漏れた言葉は、本当に楽しそうな響きを含んでいた。
 「恭祐は俺の為なら全て捨てることが出来るって言ってくれた。それが本当かどうか試せるし」
 「・・・・・」
 「それにね、父さんも兄さんも、どんなに怒ったって最後は許してくれると思うよ。俺は愛されてるから」
 「・・・・・悪魔か、お前は」
 「天使って言われるより好きだな、その言葉」
 もう、麻生と話すことはなかった。
麻生が少しでも自分に対して未練を持っているのなら、それを最大限に利用してやろうと思う。
焦がれて焦がれて、それでも手に入らない焦燥をずっと抱き続ければいい。
 「じゃあね、もう会うこともないだろうけど」
 「いづれ手に入れてやるよ」
楓はもう振り向かなかった。



 店を出た楓は、真っ直ぐに車が置いてある場所に向かって歩き始める。
その後ろについていた津山はずっと黙っていたが、車に乗り込んだ時やっと口を開いた。
 「組を出て行くんですか?」
 「ん?」
 「若頭との関係が知られたら・・・・・です」
 「そうだなあ〜、出来れば高校卒業するまではバレない方がいいかもね。恭祐、淫行になっちゃうよ」
改めて言うと、伊崎と自分の歳の差はそれだけあるのかとしみじみ思う。これで楓が女だったら更に問題だろう。
 「守りたいものは色々あるけど・・・・・何が大切かは分かってるつもりだ」
 「楓さん」
 「もしも、恭祐が組を出なければならないとしたら、俺は絶対について行く。捨てるには勿体無い男だもん」
迷いは全くない。
確かに家族は大切だが、好きな相手はまた別だ。
 「まあ、分からないけど」
伊崎は楓にとって大切な存在だが、組にとってももはや欠けてはならない柱となっていた。
楓に甘い父と兄でも、そう簡単に伊崎を手放すとは思えない。それが希望的な観測でも、楓はそう思っていたかった。
 「私も、連れて行ってください」
 「え?」
 突然、車を運転しながら津山が言った。
 「組を出るなら、私も連れて行ってください」
 「津山」
 「私もとうに・・・・・楓さんのものですから」
 バックミラー越しに、楓は運転している津山を見つめた。
鋭い目付きをした大人の男は、出会った当初の冷酷な冷たさはなく、熱い感情を真っ直ぐ楓にぶつけてきた。
一瞬、楓は津山に組み敷かれた時のことを思い出した。押し返そうとしてもビクともしなかった強い力、強烈な雄の匂い、
何もかも伊崎とは違うのに、その中には共通の思いが感じられた。
愛されているという傲慢さが楓の中に確かに存在していた。
 「俺は、恭祐が好きだ」
 「知っています」
 「お前に渡すものは何もないよ?」
 「・・・・・1%でも構いません。楓さんの視界の端に私も入れてくれませんか」
 「・・・・・組はどうする?」
 「楓さんにお仕えしたいんです」
 「・・・・・バカだなあ」
 「・・・・・」
 「お前、いい男なのに」
 楓は苦笑した。
 「い〜よ、付いて来いよ」
言葉遊びの延長のように、楓はあっさりと言い切った。付いて来たいと言うならば、それが楓も認めるほどの男なら、わざわ
ざ切って捨てることもない。
傲慢にも思える楓の言葉だが、その中には強い決意の響きがあった。
 「でも、俺の愛情は恭祐だけのものだからな」
 「はい。・・・・・ありがとうございます」
表情の乏しい津山の頬に、柔らかな笑みが浮かんだ。