磨く牙
34
「身体はどうです?無理しないで下さいよ」
「ああ」
伊崎が退院して数日経った。
伊崎は退院した翌日には事務所に顔を出し、既に仕事を再開していた。周りは無理をしないようにと言ったが、伊崎自
身は組の中での自分の地位を、一刻も早くしっかりと固めておきたかった。
「若頭、すみません、ちょっと」
「何だ?」
楓と本当の意味で結ばれた今、伊崎は様々なことが現実問題として身に迫ってきていた。
楓がまだ高校2年生だということ。
伊崎が若頭として組の中枢にいること。
既に肉体関係があること。
父親と兄が楓を溺愛していること。
全てがマイナス要因ではないが、今の自分の立場をしっかりとしたものにしておかないと、後々面倒なことになってしまう。
なにより、楓が泣く様な事は絶対に避けたかった。
「・・・・・崎、伊崎、どうした」
「・・・・・あ、いえ」
「やっぱり、まだ・・・・・」
「本当に、もう大丈夫です」
(まずい、若の前だった・・・・・)
昼過ぎ、事務所に現れた雅行に呼ばれて応接室にいた伊崎は、違う方向に思考が向かっていたのを慌てて切り変えた。
今日は、3ヶ月後に行われる雅行の襲名の話で、招待する客のリストやその費用、人材の確保に警備方法など、決めな
ければならないことは山積だった。
それほど大きいとはいえない日向組でも、代替わりは一番大きな義理事で、動く人間も金も相当なものだ。
「すまんな、お前の金を使うことになる」
「いいえ、組の大事ですから」
伊崎の傷の代償として、洸和会から渡された見舞金。今となってはそれは今度の襲名にとってかなり必要な資金になっ
ていた。
雅行は申し訳なさがったが、伊崎としては降って沸いた金を組の為に使うのはむしろ賛成だった。
代わりにもっと価値のあるものを伊崎は手に入れたからだ。
「お前には本当に迷惑ばかり掛けるな」
「若」
「・・・・・伊崎、お前本当は楓に付いていたかったんだろ?」
「・・・・・」
「お前が組に入りたいとうちの門を叩いた時、いいとこの坊っちゃん、それも大学院にまで通っている奴が何言ってるんだと
思ったが・・・・・」
「あの子を守りたいんです。ずっと、傍にいて、守ってやりたいんです」
普通の学生からヤクザ家業に身を落とす理由を聞いた時、伊崎はただ1点そのことだけを言った。
世間や親に対する反感や、暴力に対する憧れなどではなく、ただ、幼い楓を守りたいとだけ・・・・・。
「俺は一瞬、危ない奴かと思ったが」
「・・・・・」
「今となっては、いい買い物をしたと思ってる」
「若」
「楓を頼むぞ」
「私は・・・・・」
「俺が上になったら、今まで以上にお前をこき使う事になるが、それでもお前は自分にとって一番大切なものを変える必
要はない」
真っ直ぐ視線を向けて言う雅行に、伊崎の背中がゾクッと震えた。
(若は、もしかして・・・・・)
自分と楓の関係を、雅行は気付いているような気がした。
まさかセックスまでしているとは思っていないかもしれないが、互いが好き同士だということは分かっているかもしれない。
楓の見せていた子供っぽい反抗はあからさまだったし、顔や態度に出ないようにしていた伊崎も、今回の洸和会との事で
は予想外に突っ走ってしまった。
「若、私は・・・・・」
「いや、よしてくれ」
「え?」
「はっきりした言葉を聞くのはまだ怖い」
「若」
「せめて、あいつが高校を卒業するまでは待ってくれ」
「・・・・・ありがとうございます」
伊崎は深々と頭を下げた。
「楓!」
放課後、校門を出ようとした楓は、後ろからポンと肩を叩かれて振り向いた。
「なんだ、徹か。お前6限いなかったから、とっくに帰ったかと思ってた」
「ちょっと野暮用。保健室で寝てた」
「1人で?」
「保健の由梨センセーと」
「・・・・・無節操男が」
際どい話をしながらも、楓の頬には絶えず笑みが浮かんでいる。
学園でも目立つ徹と、学園の天使と呼ばれる楓のツーショットはかなり目を引いて、帰宅する生徒や部活で運動場に出
ている者達は、あからさまではないがチラチラと2人を見ている。
羨望の眼差しには慣れている2人は一向に気にすることもなく、交わしている会話は酷く下世話なものだった。
「どうだ?あれから」
「何が?」
「お前言ってたじゃん、恋愛の悩み」
「・・・・・そんなことお前に言うわけないだろ」
「はあ?」
あれ程はっきりとセックスしたと言い、相手に対する激しい想いを吐露していた楓。
何時もは冗談で逃げる自分が真面目にアドバイスをしたというのに、楓はそれをなかったことにしているようだ。
「お前・・・・・それはないって〜」
「ホントに、僕分からない」
相変わらず綺麗な笑みを湛えている楓は、どこから見ても清らかな存在にしか見えなかった。
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