磨く牙










 「おはよう!日向!」
 「おはよう」
 「楓、今日は遅いじゃん」
 「ちょっと寝坊しちゃったんだよ」
 次々に掛けられる声に笑いながら答える楓は、まさに清純無垢な天使のようだ。
男子校という舞台で、普通の女の子より綺麗な楓のシンパは数多く、毎朝見られるこの光景は定番のものになっていた。
 「おっす」
 不意に、ポンと肩を叩かれて振り向くと、何時もは遅刻ばかりしている徹がニヤニヤしながら立っていた。
 「・・・・・なんだ、そのしまらない顔は」
頬から笑みを消さないまま辛らつなことをいう楓。慣れている徹は少しも動揺せず、楓の肩を抱き込みながらその耳元で
囁いた。
 「随分色っぽくなったけど・・・・・食われちゃった?」
 「手を離せ」
 「なんだよ、教えてくれてもいいだろ?」
 「俺が一言言えば、お前半殺しだぞ」
 パッと手を離した徹が楓の後ろを見ると、一定の距離を保ちながらこちらを監視するように見ている男が歩いている。
 「新顔だな?」
 「今日から付いた」
 「あの番犬の代わりか」
 「・・・・・」
楓はチラッと後ろを振り向く。
学生服の波の中で、明らかに異質な存在の津山は意識して存在を消していない。自分という存在のアピールの為だろう
が、楓にとっては邪魔な存在でしかなかった。
(恭祐は1人にさせてくれたのに・・・・・)
 登下校ぐらいは1人で出来ますねと言って、伊崎はべったりと付いてくることはしなかった。普通の学生生活を送りたい楓
にとっては嬉しい時間だったのだ。

 『組の中の体勢を変える時、色々と問題が出てきます。坊っちゃんの身辺に目を光らせるのも、組長や若、そして若頭の
 命令ですから』

 無表情のまま言う津山の言葉に、まだ養われる立場の楓に反論出来るはずがない。
父と兄、そして伊崎の言葉を、忠実に守ってくれるのはありがたいが、それが自分に関わってくるとなると話は別だ。
(組のことで、学生の俺に誰が手を出すっていうんだよっ)
 「楓」
 「馴れ馴れしく呼ぶな」
 「眉間に皺よってるぞ」
校内では大人しくか弱いというイメージを保つ為(何かと便利なので)、楓は内心焦りながら再び頬に笑みを乗せた。



 昼休み、楓はまとわり付くシンパ達を笑顔で巻いて、何時も1人になる時に使っている資料室に行った。
様々な科目の資料が揃っている部屋はかなり広く、奥には休憩スペースもある。
静かであまり人の出入りのないこの場所を楓は気に入ってよく使っていたが、今日は待ち合わせの為に来た。
 「男は一度セックスすると、相手への興味はなくなるのか?」
 「へ?」
 イスに座るなり怒ったように言う楓を、先に来て缶コーヒーを傾けていた徹は驚いたように見た。
 「俺、今でも楓に興味深々だぜ?」
 「お前じゃない。第一、お前とセックスした覚えはないぞ」
 「え〜?昨夜のあれは何なんだ?」
 「あれはお前が俺に奉仕しただけだろ」
 「・・・・・そうですね、楓サマ」
 あまりにも楓らしい言葉に反論する気も起きず、徹は素直に頷いて見せた。
 「じゃあ、なに、あの後、本当に食われちゃったんだ」
 「その言い方は気に入らないがな」
 「どうだった?」
興味が沸いて聞くと、楓は一瞬目を閉じた。
再び目を開いた時、その表情は驚くほど大人っぽく艶っぽくなって、徹は思わずゴクッと生唾を飲み込んだ。
 「死ぬかと思った」
 「楓・・・・・」
 「この男が自分のものだって、幸せで死ぬかと思った」
 「・・・・・お前、本気で好きなのか?」
 「昨夜気付いた。俺にとって恭祐は誰の代わりでもなくて、ただ1人、傍にいて欲しいと思った人間だったってこと・・・・・だ
からこそ、俺を無視することは絶対に許せない」