未来への胎動












 「・・・・・それ、ちょっと拙いんじゃないか?」
 「そう?」
 約束の時間、ブラブラと街を歩き回って時間を潰した楓は、会うなり眉を顰めた牧村の言葉に首を傾げた。
 「拙いだろ。一応、俺達のガッコ、有名だしな」
繁華街を歩くだけなら制服でも構わないだろうが、そのままクラブに行ったり、少し怪しい場所に行ったりするには、この制
服は目立ち過ぎるという。
そうでなくても、楓の美貌に制服は相乗効果で、禁欲的な妖しさを醸し出すというのだ。
(こいつ、大げさ)
 慣れた街でそうそう危ない目に遭うとは思わないが、着替えないと遊びに行かないという牧村の言葉に渋々同意する。
ただし、余計な金は無いと楓が言うと、牧村は嬉しそうに笑って自分が買ってやると言い出した。
 「・・・・・後で変な要求してこないだろうな?」
 「当たり前だろ?俺と楓の仲じゃん」
 「・・・・・」
 「男は、自分の買った服を好きな相手に着てもらいたいんだよ」
 「はあ?」
 「それに、怖いお守りがそんなに側にいたら、何か出来るはずが無いだろ」
 牧村の言葉に、楓は自分の後ろにいる津山にチラッと視線を向けた。
結局は同行を許し、自分達よりも少しだけ距離を空けて・・・・・それでも、その存在感はかなり強い津山。楓の家のこと
も良く知っている牧村は、楓の後ろにいた津山を見た時も苦笑していただけだった。
 「津山さんも、このままじゃ拙いと思いますよね?」
 「・・・・・そうですね」
 「本当に?」
 「洋服代は私が出しますから」
 「・・・・・分かった」
このままごねて、結局遊ばないという結果になってもつまらないので、楓は渋々ながらも頷いた。
そして、牧村の後ろについて歩き出そうとしたが・・・・・不意にその手を掴まれて、怪訝そうに眉を顰めながら、なんだと津
山を振り返る。
 「本当にいいんですか?今日は相談役とお約束があったんじゃないんですか?」
 「・・・・・」
 もちろん、覚えている。その約束は、楓にとっても大切なものだ。
それでも、こんなイライラした気持ちで向かっても、きっと向こうを心配させるだけだということも想像がついていた。
(ちゃんと、全部決まってから・・・・・)
 「帰ったら、俺から父さんに謝るから」
もう引き止めるなと手を振り払った楓に、津山は止める言葉を掛けなかった。




 大東組系日向組の若頭である伊崎は、もう何度も部屋の時計を見上げた。
(遅い・・・・・)
自由登校の楓は、今日はアルバムの委員会があるといって学校に出かけたが、既に帰るはずの時刻は過ぎていた。
猫を被らなければならない学校に長居するということは考えられないので、そのままどこかに出掛けたと考える方が自然だ
ろう。
 本来、そういう場合には津山が連絡を取ってくるはずなのだが、その津山の連絡は今もって無い。
 「・・・・・」
一時間、待った。
そろそろ我慢も限界だと、伊崎は携帯を取り出した。
(まだ、機嫌は直っていないのか・・・・・)
 楓は伊崎のことを理性的過ぎだとよく言うが、伊崎自身自分をそういう風には思わない。いや、ともすれば第三者がい
る時でも、楓への思いが溢れそうになるのを押さえるのに精一杯だ。
 しかし、まだ未成年の楓との関係を周りに知られてしまったら・・・・・引き離されそうになってしまったら、それこそ自分が
何をしてしまうか分からない。だからこそ、必要以上に理性的になろうと自分を律しているのだ。
 「伊崎」
 「・・・・・」
 携帯を握り締めたまま考えていた伊崎は、名前を呼ばれて直ぐに立ち上がった。
 「組長」
 「楓はまだか?」
 「はい」
 「今日はオヤジとお袋の見舞いに行くと言っていたんだがな・・・・・」
 「・・・・・」
そう、それも、伊崎の危惧の理由の一つでもあった。
家族を大切にする楓が、父親との約束を反故にするとは思えないからだ。
 「奥様は、いかがですか?」
 「大分いい。もう少し様子を見て、発作が起きなかったら帰宅してもいいということらしいが・・・・・」
 日向組の組長である雅行と楓の母は、ここ数年長野の方で療養をしていた。
元々が身体の強い人ではなかったが、昔からの持病の喘息が酷くなったのと、その時期に、当時組長であった2人の父
親の雅治が抗争で狙われたことでショックを受け、倒れたこともあって、楓が高校に入学した直後から長期間入院中な
のだ。
 とても、雅行のような大きな子供がいるとは思えないほどに若く、綺麗な母親。楓がその母親を大好きなことを伊崎は
よく知っていた。だからこそ、約束した時間に帰ってこないということが信じられないのだ。
 「連絡をしてみます」
 このまま悶々と考えるよりも、やはり津山に連絡を取った方がいいと判断した伊崎が再び携帯に視線を落とした時、丁
度タイミングよく携帯が鳴った。
液晶を見て、伊崎はすぐに通話ボタンを押した。
 「今どこだ」
 自覚していなかったが相当に焦っていたのだろう、相手を確認しないままそう急くように言うと、電話の向こうからは相変
わらずの冷静な声が聞こえてきた。
 『息抜きをして帰られるそうなので』
 「・・・・・楓さんに代わってくれ」
 『口をききたくないそうです。こうして報告を入れることも、やっと許していただいたので』
 「津山」
 『適当な時間に連れ帰りますから』
失礼しますという言葉の後、電話は切れてしまった。
 「・・・・・」
(傍にいないことが・・・・・こんなにも、きつい)
 この先、ずっと楓の傍に居続けるために選んだ、若頭という地位への昇進。確かにある程度自分の自由は出来たが、
それと同時に組を背負う重たい責任感も加わった。
楓との関係のことだけではなく、日向組にも尽くさなければならない・・・・・結果的には楓のためなのだが、返ってそれが楓
の寂しさを増幅させているのだとしたら・・・・・。
傍にいなければ、楓の些細な変化も感じ取れない。それが、たまらなくもどかしい。
 「伊崎」
 「・・・・・」
 「伊崎」
 「あ、はい」
 「津山は何だって?」
 じっと考え込んでいた伊崎は、雅行に声を掛けられてハッと顔を上げた。
 「楓さんは・・・・・ご友人と急な約束が出来たようで」
 「急用?」
伊崎の言葉に、雅行は楓には似ていない強面の顔を顰める。とっさの言い訳にしてはあまりいいものではなかったが、とり
あえずこの場を凌ぐために、伊崎は言葉を継いだ。




 普通のシャツに、ジーンズ。
全く普通の格好をしているだけなのに、シンプルなだけに楓の美貌はかなり際立ち、通り過ぎる者達はわざわざ立ち止ま
り、振り返って見ている。
 慣れているとはいえ、鬱陶しいと思う気持ちがある楓は、自然と無表情に近い顔になる。それさえも、楓の美貌を損な
うことは無かった。
 「気持ちいいねえ」
 そんな楓の気持ちとは裏腹に、牧村の足取りは軽く、表情も楽しげだ。
 「・・・・・なに馬鹿顔晒してるんだ」
 「口が悪いのも、魅力の一つ」
 「はあ?」
 「周りの男達さ、皆羨ましそうに俺を見るんだよ。こんな美人の傍にいられていいなってさ。ま、お前ほどのレベルの女は
早々いないし」
 「俺と女は違うだろ。お前、本当におかしいな」
もちろん、自分の容姿が完璧を誇っているのは楓自身自覚しているものの、それと女を比べるのはやはりおかしいと感じ
てしまう。
(俺と女を同列に考えているところがムカツク)
 楓は馬鹿なことを言う牧村を置いて、どんどんと先を歩く。まだ夕方前なのでクラブも開いてはいないだろうが、どこかで
この鬱々とした気分を早く発散したかった。

 ドンッ

 その時、肩がぶつかった。いや、楓の意識では、向こうから向かってきたという感じだったので、なにをするんだという目付
きで目の前の人物を睨みつける。頭が軽そうな大学生らしき3人は、ニヤニヤと笑いながら自然に楓の周りを囲った。
 「何ぶつかってんの?」
 「謝ってくれる?もちろん、場所を変えてさ」
 「俺達、さっきから君を見てたんだよね〜、こんなに綺麗な子、初めて見たよ。男、だろ?」
 「・・・・・」
(どうして、こんな馬鹿ばっかり・・・・・)
 わざわざ自分をナンパしなくても、ここには女子高生らしい少女や、メイクもバッチリの若い女が数え切れないほど歩いて
いるのだ。
(それとも、女に相手されないって自覚しているわけか?)
 今時な感じにお洒落に気を遣っている風だし、容姿も飛び抜けていいとは思わないが普通。しかし、それが返ってイン
パクトに掛けるのかと冷静に見ていると、何を勘違いしたのか、楓の真正面にいる男が顔を赤らめた。
 「な・・・・・んか、じっと見られると、変な気分になる」
 「?」
 「なあ」
 男が自分に手を伸ばしてくる。
その手を見ながら、楓は自分は動かなかった。自分が行動を起こさなくても、直ぐ傍には・・・・・。
 「うわっ」
伸ばされた手を簡単に捻り上げた男の背中に、楓は面白くなさそうに言った。
 「素人にケガはさせるなよ」
 「分かっています」
 「・・・・・」
(本当か?)
 表情に出ないだけ、今津山がどれくらい怒りを抑えているのかは分からない。それでも、自分を大切に思ってくれている
彼が度を外した制裁をしないとは言い切れなかった。
(いざとなったら、警察にお願いして何とかなるか?)
 幼い頃から楓を可愛がってくれている大東組の代々の理事達。彼らに付き合って出た食事会の席には、大きな声で
はいえないが警察関係者もいたのだ。
ヤクザと警察の関係は深い・・・・・そういうことだと楓も理解しているので、もしも、津山がやり過ぎてしまったら自分が何と
かするしかないかと、既に威圧感で3人の男達を上回っている津山の背中をじっと見ていた。