未来への胎動




11







 どうしてくれようと思う。
こんなにも可愛い弟を、横道に引っ張っていった伊崎を殺してやりたいほど憎いと思う気持ちと、この男以上に楓を想って
くれる者はいないだろうという気持ちと・・・・・雅行はどちらの比重が重いかなど分からなかった。
 ただ、今雅行が思っていることは、こんな風に楓を泣かせたくはないということだ。
 「楓」
 「・・・・・っ」
 「泣くなよ」
そう言って髪を撫でてやると、背中に回っている手の力が更に強くなった気がする。綺麗な顔をしていても、楓が確かに男
なのだと分かって、雅行は苦笑を浮かべた。
(俺達の方が・・・・・変に守り過ぎたのか・・・・・)
 幼い頃から母に似て可愛らしかった楓を父が過剰に心配し、雅行も懐いてくる楓を周りから守らなければとずっと思っ
ていた。
普通ならば心配をしないはずの同性相手にも目を光らせ、それが必要以上に楓の交友関係を狭めて、その結果、楓の
目が伊崎に向けられたということは考えられないだろうか。
 もっと、普通の男のように友人達と騒ぎ、女にも目を向けていたら、今のような状況は・・・・・いや、もう遅いとは言い切
れない。
 「伊崎」
 「はい」
 「お前、どんなことがあっても楓から手を引かないつもりか?」
 「はい」
 きっぱりと言い切り、真っ直ぐに雅行を見返す伊崎の気持ちに迷いは見えない。
この場で指を切り落とせと言っても直ぐに実行するだろうし、その顔に傷を付けろといえば刃物や火で、醜く残る傷跡をつ
けるだろう。
そんなことで伊崎の気持ちは揺るがない。自分の組の組長に、その弟と身体の関係も込みで付き合っていると言ってくる
というのは、それ程の覚悟があるからだ。
 「お前の言い分は分かった」
 「・・・・・」
 「楓、お前の気持ちもな」
 「兄さん・・・・・」
気の強い楓の心細げな眼差しに、雅行は優しげに笑って見せた。




 結局、楓に助けられたのかもしれない。
どんなに怖がられている組長でも、実の弟は可愛いのだろう。
 「・・・・・」
情けないが、今はその楓の口添えも受け入れるつもりで、伊崎は頭を下げる。どうか、このまま自分達のことを認めて欲
しい。そして、勝手な言い分だとは思うが、このままこの組の一員として席を置かせて欲しい。もちろん、若頭の地位は返
上する覚悟だった。
 「伊崎」
 「はい」
 「俺は、認めることが出来ない」
 「・・・・・っ」
 畳に付いた手の爪が、グッと食い込むほどに力が入ってしまう。
やはり、駄目だったかという気持ちと、これからどうするか・・・・・一瞬のうちに頭の中で考え、今雅行の傍にいる楓の手を
掴もうと顔を上げた。
駄目ならば、このまま楓を連れて出て行くしかなかった。
 「勘違いするな」
 そんな伊崎の行動を読んでいたのか、雅行は鋭い声で制止してきた。もちろん、楓を抱きしめている手の力は緩むこと
はなかったし、楓も兄の様子を探るように見詰めているものの逃げようとはしない。
歳が離れているせいか、雅行が楓を可愛がり、楓は雅行に甘えるという構図は出来上がっているので、その態度も仕方
が無いといえばいえた。
 「お前の言葉をそのまま受け入れることは出来ないが、かといって楓をここから連れ出すことも許さない。楓、反対された
ら逃げ出そうなんて言われたんじゃないか?」
 「そ、それは・・・・・」
 どうしようという眼差しを向けてくる楓に、伊崎は自分が無理に頷かせたと言う。
 「楓さんは、この家を出たいとは思っていません」
 「・・・・・」
 「私が、どうしてもその手を離したくなくて、破門されたら連れ出すと言いました。私の勝手な思いです」
 「恭祐!」
 「そうなんですよ、楓さん」
まだ心が成熟していない楓に、自分の想いを植えつけていった。
楓は自分の想いに引きずられているだけだと分かっているものの、それでも伊崎は楓を離せない。楓しか、いらなかった。
 「組長、楓さんを・・・・・」
 「楓は妹じゃない。伊崎、そもそも、そこからお前は間違っている」
 「・・・・・」
 「いいか、伊崎、俺はお前達の関係を認めない。楓は将来俺が選んだ嫁さんと幸せになってもらうのが俺の夢だ」
 きっぱりと拒絶をされてしまった。
伊崎は唇を噛み締め、黙って雅行の言葉を聞くしか出来ない。
 「だがな、お前みたいな優秀な組員をこんなことで組から追い出したら、それこそ俺は馬鹿だ」
 「組長」
 「楓が成人するまで、俺や親父やお袋、そして組員の前でも、一切デキている気配を見せるな。・・・・・目に見えない
ものは、どうとでも誤魔化すことが出来る」
 「組長、それは・・・・・」
 今の雅行の言葉を、その言葉通り聞いたのならば黙認・・・・・見て見ぬふりをしてくれるということだ。
既に身体の関係もある自分達にとってはきつい条件かもしれないが、それでも雅行の言葉通りならば自分はこのまま日
向組にいることが出来るし、楓のことも諦めなくてもすむ。
 「あくまでも、これは暫定的な処置だ。俺は、とことんお前達を邪魔する」




(こ・・・・・れって、どうなんだよ?)
 結局、兄は自分と伊崎のことを認めてくれるのか、否か。回りくどい言い方をされると分からないだけで、楓は掴んでい
る雅行の服を揺らした。
 「兄さんっ、俺と恭祐のこと認めてくれるのっ?」
 「楓」
その言葉には直接答えず、雅行は真っ直ぐに楓の目を見詰めて言う。
 「いいか、お前はまだ未成年だ。愛だの恋だのを軽い気持ちで楽しむ分には構わないが、まだ命を掛けるほどの本気の
恋には早い」
 「そんなことない!俺は、恭祐が俺のものになるんならっ」
 「それが甘いんだ、楓。このままお前達が一緒に家を飛び出して、どうやって食っていくつもりだ?伊崎はもう長いことこ
の世界でしか生きていないし、お前はバイトさえしたことが無い箱入り息子だ。甘いことが言えるのは、この家があるからだ
ぞ、楓」
 「・・・・・」
(だって、だって、兄さん達がバイトを許してくれなかったからじゃないか!)
 高校生になった時、人並みに・・・・・というより、少しでも家の役に立ちたいと思ってバイトをしたいと切り出したが、不特
定多数と接する仕事は危険過ぎると、兄だけでなく、父も、伊崎も、組員も総出で反対をした。
 小遣いが欲しいわけではないと訴えたのだが、どうしても許してくれなかった。それを、今更世間知らずだという言葉で片
付けて欲しくない。
 「伊崎とのことは・・・・・お前が、自分の行動に責任を取れるようになるまで保留だ、いいな」
 「ええ〜っ!」
 「そんなことよりも、進学のことを考えろ。大学へ行け、いいな?」
 「・・・・・今、関係ないじゃん」
 それは反則だろうと雅行を睨むものの、楓の睨みくらいでは組長である兄は動じることも無いらしい。
 「関係あるだろ。大学に行けばお前の世界はもっと広がる。それこそ、お前と同世代の人間が男も女もうじゃうじゃいる
だろ」
 「・・・・・」
 「それともなにか?今じゃないと駄目なのか?そんなにも自分達の思いに自信が無いのか?」
そんなことは絶対に無いと言い切ろうとしたが、楓はなぜか口篭ってしまった。それは、自分の想いに自信がないということ
ではなく、何年も伊崎が待ってくれているだろうか・・・・・その方が不安だった。




 急に勢いがなくなってしまった弟の顔を雅行は覗き込んだ。
大人に近付いた、綺麗な顔。それでも、感情豊かな表情は幼い頃から少しも変わらず、雅行は自分の言葉に傷付き、
悩む弟を見て、自分自身も息苦しくなった。
 しかし、ここで素直に伊崎との関係は認められない、いや、認めたくは無かった。
成人までという時間は楓には長いかもしれないが、雅行にとってはとても短い。その間に、楓にまともな恋愛をさせなけれ
ばならないのだ。
 「楓」
 「・・・・・」
 「おい」
 「・・・・・バカ」
 悪態も、力が無ければ寂しく響く。ただ、ここで楓が可哀想だからと意見を曲げることは出来なかった。
伊崎との関係は面白くないことだが、楓の進学の話を進めるのには丁度いい条件かもしれない。雅行は唇を噛み締め
る楓に更に言い募った。
 「自分の気持ちを認めさせたいのなら、相手の話も聞くべきだと思うぞ。楓、俺の言っていること、分かるか?」
 「・・・・・」
 「伊崎、お前はどう思う」
 答えない楓から視線を移し、雅行は伊崎を見た。
自分が何を考えているのか、多分、この頭の良い男なら分かっているだろう。だからこそ、今この男にこの質問を投げかけ
た。きっと・・・・・。
 「その方がいいと、思います」
自分の想像通りの答えが伊崎の唇から零れる。
楓の見聞を広めるためには大学に行った方がいいと訴えていた男は、そこに自分が別の思惑を潜ませたと分かっても、そ
う言うしかないのだろう。
 「楓さん、楓さん、私を見てください」
 だが、頭の良い男は、雅行の考え以上のことも素早く計算していたらしい。
 「たった、2年です」
 「・・・・・」
 「2年たてば、正々堂々、私達の関係を皆に認めてもらいましょう」
 「恭祐・・・・・」
 「伊崎!」
誰が認めると言ったと鋭い眼差しでねめつければ、優男である伊崎の顔にはぞっとするほどの鬼気迫った笑みが浮かん
でいた。こんな伊崎を見るのは初めてで、雅行は一瞬だけ声が詰まる。
 「成人するまでと期限を決められたのは組長です。違いますか?」
 「・・・・・っ」
 キリの良い数字を言ったつもりだし、その間に絶対楓の目を他に向けさせるつもりだ。
ただ、一方で雅行は伊崎が勝算の無い勝負をする男でないことを知っていたし、弟である楓が見掛けからは考えられな
いほど頑固で、古風な考えの持ち主だということも知っている。
それこそ、一度好きになった相手をそう簡単に諦めてしまわないほどに・・・・・。
(・・・・・っ、言質を取られたか)
 楓に分かりやすく期限を付けたのが、かえって墓穴を掘ってしまったかもしれないが・・・・・雅行も、そう簡単に諦める男
ではなかった。
 「違わない」
(覚悟しろよ、伊崎)
組の中では自分の大切な片腕だが、楓を巡っては弟を奪おうとする憎い男だ。雅行は絶対にこの勝負に負けるつもりは
無いと、腕の中にいる楓を強く抱きしめた。