未来への胎動
12
「兄さんは横暴だよなっ。俺達が付き合ってるってことを分かった上で、成人までイチャイチャするなって!」
愛らしい口が、次々と文句の言葉を紡ぎだす。
「そんなの、絶対無理!」
「楓さん」
「皆だって、俺が恭祐のこと好きだっていうこと知ってるはずだぞっ?」
ベッドに腰を下ろし、枕をぎゅっと抱きしめながら言う楓を抱きしめたいと思う気持ちを抑えながら、伊崎はそのまま扉の近
くに立っていた。
「・・・・・」
(それは確かにそうなんだが・・・・・単に暗黙の了解と、はっきりと口で言うには、雲泥の差があるんですよ)
楓の疑問はもちろん伊崎も分かっている。自分達の関係は、古参の組員達はもちろん、若い者達も薄々と感じている
だろう。
楓は自分に対する気持ちを全く隠さないし、伊崎も楓のことでだけは理性がきかないしと、ある意味バレバレの関係で
あるが、それでも雅行が禁止と言うのならばそれに従うしかなかった。
ただ、既にこの肌を知っている自分の欲望を、後数年抑えることはとても無理だと、伊崎はあっさりと諦めている。要は、
バレないようにすればいいのだ。
「それでも、組長にとったら過大な譲歩でしょう」
「・・・・・っ」
「本当ならば、その場で性器を切り落とせと言われても文句は言えなかった。それを、言葉を変えてでも許してくださった
組長に感謝をしなければ」
「恭祐・・・・・」
「違いますか?」
「・・・・・分かった」
基本的に兄にべったりな楓は、口先だけで文句を言っていたのだろう。
兄の気持ちを考えて頷く様子を見て、伊崎も笑った。こんな風に、変わらずに楓の傍にいることが出来て、笑えて、本当
に雅行に感謝したい。
「私はもう一度事務所に戻りますから。楓さんは色々疲れたでしょう?もうお休みなさい」
「あ」
「何ですか?」
「・・・・・キスも、してくれないのか?」
「・・・・・」
口を尖らせ、とてもねだっているとは思えない口調で言う楓の様子に更に深い笑みを浮かべると、伊崎はゆっくりと歩み
寄って腰を屈めた。
「誰にも秘密ですよ?」
伊崎との関係をはっきりと兄に告げ、その許可は成人まで待たなければならなかったが、楓の気持ちはかなり楽になっ
ていた。
どんなに兄が駄目だと言おうとも、自分から伊崎にくっ付いたらいいのだと気持ちも割り切った。
すると、今度頭が痛いのは進学の問題だった。
兄はあの時に自分が言った言葉で楓が進学をするつもりでいるようだし、伊崎もきちんと考えるようにと、この件に関して
は兄の味方だ。
「・・・・・」
(進学かあ)
楓は重い足取りで職員室に向かっていた。
どうやらこの時期になってもはっきりとした進路を学校側に伝えない者は呼び出しを掛けられるらしい。自分以外にもそん
なヤツがいるのかと思いながら歩いていた楓は、
「日向先輩!」
背後から掛かった声に、反射的に笑顔を浮かべて振り向いた。
(え・・・・・と、誰だっけ)
そこにいたのは自分よりも背の高い、しかし、校章の色を見れば2年生だと分かる男だった。
全校生徒、職員に至るまで、彼らは自分の顔も名前も知っているらしいが、楓の方は全員を知っているわけではない。
ほとんどは一方通行という感じだが、あと僅かな高校生活を円滑に終わらせるためにも、楓はにっこりと笑みを崩さないま
ま首を傾げた。
「ごめん、誰だったかな」
変に知った風なことを言って、後で辻褄が合わなくなる方がややこしい。楓は分からない時は正直にそう言い、相手も
特にそれを怒ってとる者はいなかった。
「生徒会の2年、永津(ながつ)です」
「あ」
(どうりで、どこかで見たことがあると思った)
二学期に代替わりをした生徒会執行部。その中で確か・・・・・。
「書記、だったよね?」
「はい!」
自分のことを知っていたというのが嬉しかったのか、弾んだ声で返事をする男が可愛い。自分よりも縦も横も大きいが、ま
だまだ子供っぽいなと、今度は本当の笑みが零れてしまった。
「今授業中じゃない?あ・・・・・サボリ?」
「ち、違いますっ。俺達のクラス、自習で、俺、卒業式の準備を手伝っているんでっ、今のうちに少しでもやっておこうと
思って、それでっ」
「そうなんだ。ありがとう、僕達のために」
「いいえっ、日向先輩こそ、自由登校になる寸前まで生徒会のことを色々手伝ってくれて、俺達凄く助かりました!」
顔を真っ赤にしてありがとうございますと礼を言われるものの、楓にとっては単なる時間つぶしの意味もあった。
どうせ自分は進学しない、家業を手伝うという意識があったので、他の同級生よりも時間を自由に使えたし、1年の頃か
ら生徒会には否応無く出入りしていたので雑事には慣れていた。
(こんな風に感謝される方が申し訳ないけど)
「俺達っ、日向先輩が卒業していくの寂しくて・・・・・でもっ、2年間、同じ学園生活が送れて良かったです!」
「・・・・・」
「あの、大学はどこに行くんですか?」
俺も頑張ったら行けるでしょうかとドモリながら言う永津に、楓は曖昧に言葉を濁した。まだ何も決めていない・・・・・とて
もそうは言えなかった。
永津と別れても、楓は同じ問題で頭を悩ませた。
「せっかく合格したんだ、進学したいと思わないのか?」
楓の担任は、もう50も半ばの男だ。おっとりとした話し方で、特殊な家庭環境の楓を特別扱いもしない。どこか父親に
似ているその担任のことは楓も好ましく思っていて、彼の困ったような言葉は聞きたくないとも思っているのだが・・・・・。
「・・・・・」
「お家の誰かが反対している?」
「いいえ、家の者は、皆進学をした方がいいと言っています」
「じゃあ、後は日向の気持ちの問題か」
「・・・・・」
進路相談室の中は静かだ。時計の時を刻む音を、楓は俯いたまま聞いている。
「日向」
「・・・・・」
「私は、お前は良い子だと思っている」
「・・・・・」
「もしも、進学を家のことで諦めると言うのなら、きっとそれは間違っていると思う。自分の可能性を自分で摘むことだけ
は止めなさい」
「先生・・・・・」
「あと数日だけだと思わないで、数日もあると思って、後悔しないように考えなさい」
普通のヤクザとは違い、任侠と呼ばれる日向組のことをあからさまに厭う人間はそれ程多くない。もちろん、ヤクザという
もの自体に嫌悪を抱く者は多いが、それ以上に日向組は地域に溶け込んでもいた。
だからか、学校の人間も自分には優しい。表面的にそういう態度を取っている者もいるかもしれないが、それでも楓は不
快に思うことは随分少なかった。
担任も、最後の最後にこんな我が儘を言う自分のことを、きっと扱いにくい生徒だと思ったのではないか・・・・・そんな風
に感じていたが、思い掛けない言葉を掛けられ、決意していた気持ちが揺れてしまうのを感じる。
「自分の可能性を自分で摘むことだけは止めなさい」
その、担任の言葉と、
「自分の気持ちを認めさせたいのなら、相手の話も聞くべきだと思うぞ」
あの兄の言葉は、結局は同じ意味なのではないだろうか・・・・・楓はそう思えた。
(俺が・・・・・決めるしかないのか?)
これからまだ4年間、自分だけがのうのうと学生として生活していくのが許されるのだろうか。
「・・・・・」
これだけは伊崎も兄と同じ意見なので相談することも出来ず、楓は登校した時と同じように重い足取りで、今度は家
に帰ることになった。
校門を出ると、そこには何時ものように津山が立っていた。
「・・・・・」
(津山は・・・・・どうなるんだろ?)
自分が大学に進学した場合、きっと津山は、今のように自分にずっと付いているはずだ。
しかし、楓が組の仕事を手伝うようになったらどうだろう。津山の守役としての役割はその時点で終わってしまうはずだ。
「津山」
「はい」
「・・・・・」
名前を呼んだが、直ぐに言うべき言葉が見付からなくて、楓はそのまま歩き始める。その自分の後ろを黙って付いてくる
津山が、いったい何を考えているのか少しも分からなかった。
伊崎以上に読めない男に、楓はしばらく歩いてからもう一度声を掛ける。
「なあ」
「はい」
「お前は、俺が大学に行くか行かないか、どっちがいいと思う?」
「・・・・・」
直ぐには返事が返ってこなかった。楓は立ち止まり、そのまま後ろを振り返って男の顔を見つめた。
(・・・・・変わらない)
無表情な顔は変わらない。いったい津山はどう考えているのか、楓は男の返事をじっと待った。
「どちらでも、楓さんがいいように」
「・・・・・」
「あなたが望むように」
以前の守役の伊崎と、今の守役の津山が同じ言葉を言うとは思わなかったが、もしかしたら自分にそう思わせる雰囲気
があるのかと気になってしまった。
確かに、誰かに命令されることは嫌いだが、かといって、唐突に手を離されるとどうして良いのか分からない。
「・・・・・」
楓は再び津山に背を向けて歩き出す。その楓の後ろを、津山もまた歩き出した。
(俺は、強くない)
「・・・・・」
(自分の人生をすっぱりと決めるのなんて・・・・・怖くて、出来ない)
口では進学しないと堂々と言ってはいても、本当にそれを自分だけで決めてしまうことには躊躇いがある。いったいどうした
らいいのだと何度も胸の中で呟きながら、楓はもう後ろを振り向かなかった。
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