未来への胎動
13
母屋にずらりと並んだ厳しい顔の男達、十数人。
「どうぞ」
「ありがと」
楓の前に味噌汁の椀を持ってきてくれる者も、歳の若い、少しチンピラっぽい雰囲気の男だ。
(毎日、よく皆揃うよ)
日向組の規模はけして大きくない。
去年の暮れまでに、引退した者は2人、足抜けした組員は3人。
住み込みとして事務所と母屋に暮らしている者は15人。家族がいる者や、実家暮らし、1人で外で暮らしている者は
合わせて20人。準構成員としている十代の5人。
相談役の父と、組長である兄、若頭の伊崎を足して、丁度43人だ。
住み込みをしている者は、20代前半から、30代半ばと歳はばらけているが、食事や掃除洗濯など、みなきちんと割り
当てられて回っていた。
元々身体の弱い母も頑張って世話をしてきたが、それも倒れる原因になったのかもしれないと兄がこの当番制を義務
付けたのだ。
それでも、住み込みの組員達を追い出さなかった兄は凄いと思う。
「よし、皆揃ったな」
「はい」
一同の返事に、雅行は厳かに頷いて手を合わせた。
「いただきます」
「「「いただきます!!」」」
雅行の号令に、その場にいた全員が手を合わせて合唱した。
夕食は出来るだけ一緒に。
それは日向組の初代からの伝統らしく、今日も急用で不在の2人を除いて、みなきちんと揃っていた。
(今時、普通の家庭でもこんなトコ少ないと思うけど)
伊崎はチラッと上座に座る楓を見た。
(変わった様子は無いが・・・・・)
自分との関係を兄である組長の雅行に話したのは昨日だ。明らかに安堵したといった表情の楓を伊崎も穏やかな気持
ちで見つめることが出来たが、楓にはもう1つ、問題が残っている。それは進学問題だ。
「・・・・・」
意地っ張りな楓には、頭から説得しても受け入れないだろうと傍観者の立場をとっていたが、彼が受かった大学の入学
申し込みの期日はもう間近に迫っている。
勝手に手続きをした方が早いという雅行を何とか説得して、楓の気持ちが良い方に固まるのをずっと待っていたが、そ
の時間ももう残り少ないのだ。
「楓、オクラを残すな」
「ネバネバ嫌い」
「山芋は食うだろ」
「味が違う。なあ、これ食べて?」
丁度お茶を運んでいった組員ににっこりと笑って言う楓は愛らしく、その組員は顔を真っ赤にして困惑してしまっている。
本当は楓の手から小鉢を取りたい気持ちは山々なのだろうが、隣で睨んでいる雅行の視線が怖くて動けない・・・・・そう
いうところだろう。
「す、すみません」
泣きそうな声で言って頭を下げる組員から視線を逸らした楓は、今度は雅行の眼力が通用しない相手ににっこりと笑
いかけていた。
「父さん、食べて?」
「おお、いいぞ」
「親父」
「仕方が無いだろう。人には好き嫌いってもんがある」
「そーだよ!兄さんだって本当はニンジンが嫌いなくせに!何時も自分のカレーのニンジン除けさせてるの知ってるんだか
らねっ」
「・・・・・」
兄弟の言い合いに組員達の忍び笑いが漏れるが、雅行の一睨みでそれはすぐに収まる。しかし、雅行と楓の言い合
いは続いて、間に入ってくる雅治はやはり楓の味方で・・・・・。
とてもヤクザの組とは思えない平和な光景に、伊崎はここに自分が残ることが出来て本当に嬉しいと感じた。
「あれ?兄さんは?」
「組長なら風呂に行かれましたよ?会いませんでしたか?」
「俺、母屋の内風呂に入ったから・・・・・そっか、いないんだ」
風呂に入って、また1人で考えた。だが、どう考えても自分の考えは決まらなかった。
(それでも、絶対に嫌だとは思わなくなってきているけど・・・・・)
兄や父の言葉や、担任の言葉。自分のことを思ってくれている人々の言葉を、楓はそのまま聞き流すことはとても出来な
かった。
ただ、そこにはどうしても理由が欲しい。
その理由を見つけたいと、もう一度兄と話そうと思い、思い切って事務所までやってきたのだが・・・・・不在だと言われると
何だか肩透かしをくった気分だ。
「坊ちゃん」
「ん?」
「少し話して行かれませんか?今私1人で退屈なんですよ」
「え?今日はシブさんが夜番?」
「嫁さんが産気づいたらしくってね、代わったんですよ」
私は暇ですからねと笑う渋井は古参の組員だ。
楓はおろか、兄のオムツも替えたという人で、穏やかな物言いがとてもヤクザとは思えない男だった。
「昔はドスを片手に先頭で抗争に出たらしいぜ」
兄はそう言っていたが、楓も何度か一緒に風呂に入って、その体にある無数の傷に彼の過去を垣間見る気がしたもの
だった。
本来ならもう60に近い彼はそろそろ引退を考える歳だが、死ぬまで日向組にいたいと言って、若い者達を教育する役
目を担ってくれている。日向組にはそんな組員が数人いて、その誰をも楓は本当の祖父のように慕っていた。
「ったく、シブさんに番を任せるなんてっ。後で母屋に戻ったら誰かを寄越すから」
「いいえ、昔とは違って今は平和だ。私はここで茶を飲んで、ゆっくりと時間を過ごすだけなんで、ちっとも身体の負担に
はなってないんですよ」
「・・・・・そう?」
楓は渋井の前のソファに腰を下ろす。
パジャマの上に半纏を羽織った姿はファンの者が見れば嘆くかもしれないが、楓はそんな外見に全く頓着しなかった。自
分の容貌がそれに負けるとは思わないからだ。
(あ・・・・・シブさんにも聞いてみようかな)
ずっと、家族のように接してくれてきた渋井だ。彼が自分の進路のことをどう思っているのか、楓はふと気になって聞いて
みた。
(楓さん?)
母屋と事務所を繋ぐ渡り廊下を楓が歩くのを見掛けた伊崎は、そのまま後を追ってきた。
まだ3月、風呂から上がったばかりの身体で歩き回れば湯冷めをするのではないかと心配になったが、どうやら楓はそのま
ま事務所に入っていき、そこにいた渋井と話し始めた。
今夜の夜番だった3人の組員のうち、1人は妻の出産で帰され、他の2人は多分敷地内の見回りにでも出ているのだ
ろう。
(後で誰かやろう)
実年齢以上に若い渋井とはいえ、3月の夜はまだ冷える。住み込みの若い者はいるんだしと伊崎が思っていると、
「・・・・・」
「・・・・・」
(気付いたか?)
ちらっと、ドアの影にいる自分を渋井の視線がとらえ、それを合図にそのまま中に入って行こうと思ったが、なぜか眼差しで
待てという様な合図をされて、伊崎の足は止まってしまった。
「坊ちゃん、学校はどうされるか決めたんですか?」
「・・・・・まだ」
楓は石油ストーブに手をかざす様にしながら言った。
事務所の中にはもちろんヒーターもあるのだが、建て増しを続けてきた古い事務所は隙間風もかなり入るし、昔、楓がこ
のストーブで餅を焼くのを楽しみにしていたという記憶が古参の組員や雅行には残っていて、そのまま同じものをもう10年
以上も使っているのだ。
「シブさんはどう思う?」
「私ですか?」
「大学、行った方がいいと思う?」
自分や雅行相手とは違い、楓は素直な言葉で渋井に訊ねている。その楓の言葉に、渋井も相変わらず穏やかな口
調で答えた。
「そうですねえ、行けるもんなら行った方がいいと思いますよ」
「・・・・・そっか」
「私みたいに中卒で学の無い者には到底無理なことですが、この歳になってよく思いますよ、学校に行っていたら今の自
分はどうなってたかなってね」
その言葉に、楓は声を落とす。
「ヤクザになったこと、後悔してる?」
「先代に拾われたことは、これ以上ない幸運だったって思いますよ。私のようなもんでも連れ合いが出来たし、子も生ま
れて成人させることが出来た。日向組に入ったことは、私にとっちゃ幸運の選択だったと思います」
「・・・・・」
「ただね、可能性ってヤツを考えると、粋がって勉強しなかったあの頃のことをよく思い出すんです」
渋井の言うことは、伊崎にも分かる気がする。
大学院に入って間もなく、幼い楓と出会ったことは伊崎にとっては幸運だった。自分は渋井のように、あの時、もしもなど
とは考えず、楓を選んだ自分の選択を正しいと思っているが、人は誰でもあの時・・・・・という可能性を考えることは多い
のかもしれない。
(楓さんは、今がその選択の時なのかもしれない)
「坊ちゃんは勉強、嫌いですか?」
「ん〜。別に好きでもないけど、やっぱりヤクザは学が無いなんて言われるのも悔しいから」
だから勉強するのだという楓の理由に、伊崎は思わず笑みを浮かべた。
意地っ張りの楓らしい理由だが、ずっと楓を見てきた伊崎には、楓がそれを言うだけの努力をしてきたということも知ってい
る。
出来ないことは言わない。まさに、有言実行の人なのだ、楓は。
(そんな苦労をしている姿を、絶対に人には見せたがらないが)
「俺ね〜、迷ってる」
「迷ってるんですか」
「もう、ずっと考えてる。リミットはもう目の前で、父さんも兄さんも恭祐も心配しているのが分かるんだけど・・・・・。自分
がこんなに決断力が無いなんて思わなかった」
「そんなことありませんよ。坊ちゃんほど男らしい子は知りませんねえ、私は」
「ふふ、シブさん、肩揉んであげる」
男らしいという言葉が嬉しかったのか、それともそう言ってくれる渋井の気持ちが嬉しかったのか、楓は立ち上がって渋
井の背後に回ると、まだまだ体付きのいい渋井の肩を揉み始めた。
「シブさんいい身体してるよね〜。俺ももうちょっと逞しくなりたいんだけど」
「坊ちゃんはそれでいいんですよ」
「え〜、最近はお風呂一緒に入ってないから知らないだろ?」
「服の上から見ても分かりますよ。綺麗な顔に見合った、綺麗な身体です」
「・・・・・ありがと」
小さく答える楓の声を聞いて、伊崎はもうしばらく2人きりにしてやろうと、ドアに背を預けて目を閉じた。
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