未来への胎動
14
渋井と別れた楓は、何だか心が軽くなったような気分で母屋の自室に戻った。
兄と、もう一度進学について話をしよう・・・・・そう思いつめていたが、渋井の言葉でおぼろげながら方向性が見えてきた
気がする。
別れ際、母屋の入口まで送ってくれた渋井は最後に言った。
「若頭が、坊ちゃんの好きなようにって言っているのは、けして突き放してというわけじゃないと思いますよ。きっと、坊ちゃ
ん自身に選択して欲しいんです。将来、誰かのせいでと言うんじゃなく、自分が決めたんだからと胸をはれるように」
(確かに・・・・・そうかもしれない)
ここで進学を断念しても、組のためにという言葉がずっとついて回りそうだし、心が定まらないまま進学を決断したとして
も、そう言われたからという逃げ場を作ってしまいそうだ。
それだけは、楓のプライドが許さない。
「・・・・・」
もう、そろそろ決断しなければならないだろう。
楓はベッドに寝転がり、じっと天井を見つめていたが・・・・・。
「あ」
机の上に放り出していた携帯が鳴った。
起き上がってそれを取りに行き、液晶を確認して苦笑が零れる。
「はい、何だよ、夜遅く」
『何言ってんだよ、夜遅くって〜。まだ10時にもなってないぞ?お前にとったら昼間じゃないか?』
「うちの組ではもう真夜中なんだよ。で、何の用?」
『冷たいなあ。この間中途半端に別れたからさ、どうしてるかって思ってさ』
「ば〜か。お前も何時までもフラフラしてるなよ、徹」
言いたいことを言い合える悪友という存在の牧村は、楓の家の事情も良く知っているし、楓自身の性格も熟知してい
る。
だからというわけではないが、このタイミングに連絡を取ってきたことに、楓は何だか意味があるような気がした。
「・・・・・お前、外にいるんだろ?」
人のざわめきと音楽が遠くに聞こえたのでそう言うと、帰ってきた返事は肯定で、場所は楓も何回か遊びに行ったことの
あるクラブだった。
「・・・・・行く」
『え?』
「あんまりありがたくは無いけど、お前にも色々と迷惑掛けたみたいだし。ちゃんと顔を見て礼を言ってやるから、そのまま
そこで待ってろよ」
多分、ただ声を聞くためだけに電話をしてきたはずの牧村の方が驚いているようだが、楓は電話の向こうで喚いている言
葉を一切無視して携帯を切った。
牧村に会いに行くとは決めたものの、この時間から出掛けると言って許してくれる保護者達ではない。
(俺だって子供じゃないんだし、ちゃんと自分を守ることだって出来るんだけど)
いくら自分の美貌に男までもがフラフラと寄ってくるとはいえ、もういい加減慣れているのでどういう風に切り抜ければいいか
は分かっているつもりだ。
「・・・・・」
楓はそっとドアを開けた。
(・・・・・いないな)
すでに、パジャマから服に着替えた。
「・・・・・」
廊下には誰の姿もない。何時も付いているはずの津山も、楓が母屋にいる時は席を外してくれている。伊崎も、多分ま
だ事務所にいるだろうし、父と兄は自室にいるはずだ。
(でも、古いから音が響くんだよな)
昔はよく夜中に家を抜け出していたが、最近・・・・・いや、伊崎と恋人同士という関係になってからは、夜遊びも控える
ようになっていた。こうして人の気配を探るのも久し振りだが・・・・・。
(えっと、確か今頃は見回りも事務所に戻っている頃か)
裏門から出るよりは、正門から堂々と出て行った方が案外バレない。これも経験だなと思いながら、楓は部屋から出て
庭を横切った。
渋井との時間を邪魔しない方がいいだろうと、伊崎はいったん母屋の自室に戻ってから、少し時間を置いて事務所へ
と戻ってきた。
その時には見回りの組員達も戻ってきていて、のんびりと茶を飲んでいる。
「若頭っ」
「お疲れ様です!」
若い組員達は伊崎の姿を見て直ぐに立ち上がって頭を下げてきたが、渋井は笑みを浮かべた顔で頭を下げてきた。
先程の楓との会話を自分が聞いていたことは知っているだろうが、渋井はそのことを何も言わない。きっと、自分から訊ね
ても口は開かないだろうということも分かっている。
何てことは無い、渋井も楓の味方だからだ。
「若い者を寄越すようにした」
「若頭、私はそんなに年寄りじゃないですよ」
「血の気が余ってる奴を使った方がいいだろう?」
「・・・・・」
渋井は笑い、そのまま若い者に茶を入れるように言う。
先程までは楓があたっていたストーブの前に、今度は自分があたりながら、伊崎はしばらく黙ったまま揺れる炎を見つめて
いた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「楓が成人するまで、俺や親父やお袋、そして組員の前でも、一切デキている気配を見せるな」
雅行とした約束がある限り、まだ当分自分と楓の関係は話せない。
それが、たとえ周りが薄々感じていることだとしても、雅行の心の平穏のために、そして、いずれ確実にくる正々堂々と楓
と自分の関係を告げる時を、今は静かに待っているしかないだろう。
(楓さんは随分不満そうだったがな)
雅行に詰め寄っていた時の楓の姿を思い浮かべ、伊崎の頬に僅かな笑みが浮かぶ。
(この後・・・・・会いに行くか)
不満が積み重なって大爆発しないように、小出しに自分にぶつけてもらう方がいいかと思い、どうやって宥めるかを考える
だけで、伊崎の気持ちは湧き立った。
しかし ------------------- 。
平穏な時間は長くは続かなかった。
伊崎が事務所にやってきてから1時間経つ前に、事務所のドアが荒々しく開けられる。飛び込んできたのは組員の1人
だった。
「若頭っ!」
「・・・・・」
のんびりとしていた事務所の中が一瞬にして緊迫した空気になる。
「どうした」
「発砲事件があったようです!」
「発砲?」
組員の話によると、丁度飲んでいた飲み屋が入っている雑居ビルの向かいのサラ金に強盗が入ったらしい。
使ったのは刃物ではなく拳銃で、2発撃った中の1発が社員の腹に命中して重体。犯人は金を持って逃走中で、警察
が規制線を張っているとのことだった。
「うちのシマに隣接する場所なんで、サツがここぞとばかりにガサをいれてきてます!」
「若頭っ」
「・・・・・出ている者に至急連絡を取れ。こっちは警察に調べられても構わないが、痛くない腹は探られるだろうしな、対
策は早めに取っておこう。後は、銃のルート・・・・・渋井」
「声を掛けてみます。最近は素人でも容易に手に入れることが出来るんで、こっちの人間じゃないかもしれませんがね」
「頼む」
自分達には全く関係の無い事件。一般人なら胸を張ってそう言えるだろう。
しかし、こういう生業をしている自分達は銃というだけで色眼鏡で見られてしまうのだ。
(今更なことだが・・・・・)
日向組のシマの外の事件とはいえ、隣接している場所だというのは始末が悪い。きっと、警察はここにも来ることは確
実なので、伊崎は雅行に報告するために足早に母屋へと向かった。
「ヘタにビクビクしないでいいが、血の気の多い奴には気をつけるように言っておけ。うちは所轄とは良好だが、本庁の四
課は世間話の通じる相手じゃないだろう」
「分かりました」
「・・・・・ったく、どこの馬鹿だか知らないが、チャカで悪戯をするなって」
苦々しく言う雅行の気持ちはよく分かる。
拳銃=暴力団、ヤクザという図式はもう決まってしまっていて、他の可能性・・・・・それこそ、一般人に目が行くまでに時
間が掛かってしまうのだ。
「俺も事務所に行っておこう。ああ、伊崎、楓には絶対に顔を出すなって言っておけ。あいつは全く関係ないからな」
「はい」
「頼む」
事務所に警察が来たとなれば、自分の組の人間を愛する楓が食って掛かるのも予想がつく。いや、今までも何回かそ
ういうことがあったので(反対に、刑事達が怒り捲くった楓の美貌に見惚れてしまったというオチが着くが)、雅行の心配も
過剰なものとは思えなかった。
伊崎は直ぐに楓の部屋へ行ってドアをノックする。たとえ身も心も許しあった恋人同士だとはいえ、勝手に部屋の中に
入るつもりは無かった。
「楓さん、私です」
何度かノックを続けるが、中からの反応は無い。
(もう寝たのか?)
「若頭」
そこへ、騒ぎを聞きつけたのか津山が姿を現した。
寛いだ部屋着ではなく、直ぐにでも出かけられるほどにきっちりと身支度を整えている津山に手短に事情を説明し、伊崎
は開けますよと声を掛けてからドアを開く。
「・・・・・津山っ」
「・・・・・っ」
ベッドの中に求める姿が無かった瞬間、伊崎は鋭く津山の名前を呼び、津山も素早く部屋から出て行った。母屋の中
に楓の姿を捜すためだ。
「・・・・・」
(頼む・・・・・いてくれ・・・・・っ)
胸騒ぎを感じたまま、伊崎は楓の部屋の中を見渡す。そして、
「・・・・・」
ふと、違和感を感じたベッドの上掛けをめくると、そこには脱ぎ捨てられた楓のパジャマがあった。少し前、渋井と話してい
た時に、確かに楓が着ていたものだ。
「楓さん・・・・・っ」
伊崎はそこでようやく、楓が家を抜け出したことを悟った。
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