未来への胎動
15
家から少し離れた場所で、タイミングよく走ってきたタクシーの空車に乗った楓は、そのまま牧村と待ち合わせしているク
ラブへと向かった。
正門から堂々と出てきたが、どうやら誰も自分が抜け出したことには気付いていないようだ。
「・・・・・ったく、あんなので、誰か殴り込みに来たらどうするんだ?」
(今度、兄さんに言っておかないと)
組の内情を知っている楓だからこそ、見咎められずに済んだということは確かだろうが、それでも組員の教育はきちんとして
おいた方がいいと思った。
それからしばらくして、タクシーは六本木に着いた。
少し渋滞し始めたのでここら辺で下ろして欲しいと言えば、初老の運転手はわざわざ振り返って大丈夫かねと声を掛け
てくる。
「1人でこんな繁華街に来て・・・・・」
「あ」
どうやら、自分のことを心配してくれているらしい。楓はふっと笑ってありがとうと言った。
「ちゃんと仲間が待っているから」
確かに、この場所から目的の店までは15分くらい歩かなければならないし、きっと煩く纏わりついてくる暇な人間がいる
だろうが、慣れているのでたいした問題ではない。
たった数十分乗っただけのタクシーの運転手から気遣う言葉を貰って、楓は何だか気持ちが優しくなった気がした。
クラブで飲んでいるのはノンアルコールだ。
今まで一度も飲んだことがないという嘘は言わないが、楓といる時は意識して牧村はアルコールの類を飲まないようにし
ている。それは、楓に何かあった時、自分が直ぐに動けるためだった。
女よりも綺麗で、我が儘で、それでいて可愛い性格の楓。本当はその身体も心も欲しいと思っていたが、残念ながら
楓の傍には最強の男が立っていた。
それならば、悪友という形で、誰よりも楓の傍にいよう・・・・・早々に自分のスタンスを決めた牧村の思惑通り、楓は牧
村に異性を見ないが、恋人以上に気を許してくれることもあったと思っている。
「・・・・・卒業か」
牧村の進学は決まっていた。同じところを楓も受けて、彼も受かっていることは知っている。
後、少なくとも4年間は、まだあの綺麗な存在の傍にいられると思っていたのだが、楓はいまだに自分の進学ということに
踏ん切りがついていないらしい。
「・・・・・」
その時、空気が揺れ、ざわめきが消えた。
「来たか」
その反応で、そこに誰が来たのか、牧村は嫌と言うほど分かっている。
「楓、ここ!」
「・・・・・」
入口を向き、カウンター席から軽く手を上げると、楓の眼差しが真っ直ぐに向けられた。
ジーンズに、黒いハイネックのニットセーター、そして、白いダウンジャケット。クラブに来るにはシンプル過ぎるファッションかも
しれないが、楓の容貌をこれ以上無く引き立てる装いだ。
(ほ〜んと、どこでも注目浴びる奴)
楓の後ろからは、まるで金魚のフンのように何人もの男達が店に入ってきていた。多分、1人でいる楓と何とかお近づき
になろうとしたのだろうが・・・・・。
「徹」
紅い唇が自分の名前を呼んだ。
楓の動きに自然についてくる無数の視線。この人形のように美しく、艶やかな男が誰を見ているのかが分かると、今度は
嫉妬の眼差しが自分へと向けられてくる。
男としては心地良いその視線に、牧村は思わず笑ってしまった。
「何笑ってるんだよ」
「あー、ごめん、ごめん。本当に来たんだな」
「待ってろって言ったろ?」
楓はそう言うと、牧村の隣に座る。楓の視線は牧村が飲んでいるグラスへと向けられた。
「つまんないの飲んでるな」
「俺、未成年だも〜ん」
肩を摺り寄せるようにしながら言えば、楓は煩そうにその身体を押し返してくる。触れたら直ぐにでも堕ちそうなくせに、こん
な風に潔癖なところが可愛いのだ。
(本人には絶対に言えないけど)
「とっくに、大人の遊びをしているくせに」
「楓といる時は歳相応の俺なんだよ。お前も、今夜は飲むなよ?」
真面目に言ったのだが、楓は何を言うのだと呆れた眼差しを向けてくる。
「今更、真面目なこと言っても似合わない」
「本当に、今日は止めとけって。外にワンコ達がウロウロしているんだよ」
「ワンコ?」
「近くで強盗があったらしい。犯人はまだ逃げてるみたいなんだけど、銃を持っているらしいからワンコの数も半端ないん
だって」
「強盗・・・・・」
あれだけ街の中がざわめいていたというのに、楓は全く気がついていなかったようだ。敏いようで抜けている楓に代わって、
牧村はオレンジジュースと注文した。
(そんなことがあったのか・・・・・)
確かに、平日の夜なのに何時も以上に渋滞していたし、街の中もざわめいているような気はしたものの、楓はうっとおし
く纏わりついてくる男達を振り切ることに神経が向いていて、全く事件のことには気付かなかった。
(銃が関係あるんなら、もしかしたら組の方も・・・・・)
「楓?」
「・・・・・」
「ここって、日向組のシマじゃないだろ?」
「違うけど、隣り合わせているから。こういう時に奴らはズカズカと乗り込んでくるし」
楓も、何度か組にやってきた警察と居合わせたことがあるが、彼らは最初からヤクザ=悪という方程式が出来上がって
いるので、証拠も無いくせに恫喝したり脅したりと、平気で職権乱用をする。
特に、若い刑事達はそれが顕著で、楓はあまりにも腹立たしい物言いをする彼らに食って掛かったこともあった。
その時は伊崎や兄、そして、昔から日向組を知っている初老の刑事が宥めてくれて収まったが、嫌な思いは後々も続い
てしまったくらいだ。
「面倒」
「出るか?」
「・・・・・ちょっとメールする」
一応伊崎に知らせておいた方がいいかもしれない。
結果的に、自分が黙って家を抜け出したことが知られて叱られると思うが、それでも組に係わることを知って見逃すことは
出来なかった。
「あ」
(着信に・・・・・メール?)
家を抜け出す時、万が一音が出てはならないと電源を落としていたのだが、今電源を入れると何件もの着信やメール
が来ていることが分かった。
それは、伊崎だけではなく、事務所の番号もある。
(・・・・・バレてるんだ)
どうやら、自分が抜け出したことはもうとっくにバレているようだ。どれだけ怒られるだろうと思いながらも、楓はそのままトイ
レへと向かう。店の中で一番静かなのがその場所だからで、そのまま伊崎へと電話を掛けた。
『楓さんっ?』
「あ、恭祐?ごめん、俺・・・・・」
『今どこにいるんですかっ?』
怒っているというよりは、どこか、焦っているというような口調。伊崎のそんな様子は珍しくて、楓は急に胸騒ぎを感じてし
まった。
「今、六本木の《EGOTIST》だけど、あのさ、今徹に聞いたんだけ・・・・・あっ!」
話の途中、いきなり背後から携帯を取られた。パッと振り向いた楓は、そこに若い2人の男を見る。
「・・・・・」
にやにや笑いながら、勝手に携帯を切った男達に、楓の眉がしんなりと顰められた。
『今、六本木の《EGOTIST》だけど、あのさ、今徹に聞いたんだけ・・・・・あっ!』
「楓さんっ?」
楓の不在が分かってから、何度も携帯に連絡をした。
そして、ようやく繋がったと思ったら、話の途中でいきなり途切れてしまう。
(何があったっ?)
不自然なその切れ方は、楓の身に何かがあったということだ。
「若頭っ」
「六本木の《EGOTIST》だっ!」
自分の電話に耳を済ませていた津山に早口に答えた伊崎は、そのまま雅行の居る奥の部屋へと向かった。
「組長っ」
「伊崎?」
「バイクをお借りします!」
「楓か?」
楓が家を抜け出したことは、もう雅行には報告していた。雅行は苦々しく舌を打っていたが、彼が楓のことを心配してい
るというのはよく分かった。
「分かった、頼む」
何も聞かず、雅行は直ぐに許可をくれた。伊崎は頭を下げ、そのまま車庫へと向かう。
ここから六本木まで、どんなに車を走らせたとしても30分以上は掛かるし、拳銃強盗の規制線のせいできっと渋滞して
いるはずだ。
それならばと、雅行がまだ組長になる前によく乗っていた愛車、カワサキ ZZR1100で向かうのが一番早いだろうと伊崎は
判断する。バイクならば最短の道を通れるし、多少スピードを出し過ぎても、警察を振り切ることは可能だ。
「・・・・・っ」
今はほとんど乗る機会は無いが、暇があると雅行はバイクの手入れをしていた。だからか、随分昔の型だが、エンジンの
音もよく、伊崎はスムーズに発進出来た。
「返せ」
楓は手を差し出す。すると、鼻ピアスをした男が口笛を鳴らした。
「顔もそうだけど、手まで美人だな、あんた」
「・・・・・気持ちの悪いことを言うな」
「気の強いとこもサイコー」
そう言って、顔を見合わせて笑う2人の男を、楓はうんざりとした思いで見つめた。
(・・・・・暇人って、どこにでも居るんだな)
男達の目的がナンパだということは嫌というほど分かっている。自分がいかに同性の気を惹くかということは、楓も十二分
に自覚しているつもりだが、今は相手をしてやる気も無い。
ただ、携帯だけは返してもらわなければと、楓はわざとにっこりと男達に笑い掛けた。
「ねえ、お願い」
「え・・・・・な、なんだよ」
「それ、返して?」
首を傾げてそう言うと、携帯を持っていた男が反射的にそれを差し出してくる。堂々と手を伸ばしてそれを受け取った瞬
間、楓はガラリと笑みの種類を変えた。
「最初から返す気なら、始めから取るなよ、馬鹿」
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