未来への胎動
16
馬鹿は嫌いだ。
いや、素直で可愛い馬鹿ならまだいいが、可愛くない勘違い馬鹿は視界に入れたくない。そう思っている楓の頭の中に
は、年下の友人の顔が浮かび、思わずフッと笑ってしまった。
すると、その楓の笑みに何を勘違いしたのか、男の1人がいきなり楓の腕を掴んでくる。
「おい、駆け引きは必要ねえし」
「はあ?」
「俺達、お前みたいな美人なら無条件でOK」
「・・・・・」
(本当に、馬鹿だ)
自分の言葉が男との駆け引きに聞こえるなど、この男は顔や頭だけでなく耳も悪いらしい。昼間病院に行けと言うのも
嫌で、楓は男の腕を振り切ってフロアへと戻ろうと歩き始めた。
「おいっ、待てって!」
何だか騒がしい。
牧村はその方向へ視線を向けて、あ〜あと溜め息をついてしまった。
(またあんなの引っ掛けてるよ)
自分と別れてまだ5分も経っていないというのに、もう2人もの軽そうな男が楓の腕を掴んでいる。それが楓の望まない
行為であることは、綺麗な眉がしかめられていることからも分かった。
「・・・・・」
放っておいたら、騒ぎが大きくなってしまう。楓の立場からしてもここは撤収した方がいいだろうと、牧村はそのままもめて
いる3人のもとへと歩み寄った。
「楓」
「徹」
向けられた綺麗な眼差しが、遅いという非難を込めている。せっかく来たのにそれは無いだろうと思うが、これが楓なのだ
ともう慣れている牧村は、ごめんと笑いながら謝った。
「1人でも大丈夫そうだと思ったんだけど」
「それでも、暇なら来るもんだろう?俺だったらそうした」
「だから、悪かったって!」
そう言うと、牧村はさりげなく楓と男達の間に自分の身体を挟んだ。そして、そのまま楓の腰を抱くようにして店の外へと
連れ出したが・・・・・。
「おい!」
「あ〜あ」
(あそこで諦めていればまだ可愛げがあるのに)
馬鹿はこれだからと呆れていると、楓も同じ気持ちなのか、きつい眼差しを男達に向けた。
「どうする?」
「・・・・・」
「でも、出来ればここで騒ぎを起こさない方がいいと思うけど」
このままここで喧嘩をすれば、今拳銃強盗を捜して走り回っている警察の目に止まってしまうかもしれない。単に若者
同士の諍いと思われるのならばまだいいが、楓は日向組の組長の弟なのだ、何か変な風に考えられたら拙いだろう。
(さてと、どうするかな)
目立たないところに誘導しようか・・・・・そんな風に牧村が考えている間にも、男達はコケにされたとかなり頭にきている
ようで、今にも飛び掛ってきそうだ。
このまま自分をここで追い払い、楓をどこかに連れて行くつもりなのだろう。
(しかたない)
「あのなあ」
「ああっ?」
全く聞く耳を持たないような反応に、牧村が一歩足を踏み出した時、
「おい、何をしている?」
低い声が恫喝するように響いた。
全く引こうとしない馬鹿な男達は、2対1という人数に自分達の方が優位だと思っているのかもしれないが、牧村がか
なり強いことを知っている楓は特に心配はしなかった。
それよりも、どうして分からないのだという苛立ちを感じてしまう。せっかく、怒られることを覚悟して伊崎に電話したという
のに、全く関係ないこの男にその電話を切られたのだ。
(それに、勝手に人の腕に触るなよっ)
「あのなあ」
「ああっ?」
牧村も同じようなことを考えているのか、少し呆れたような口調で男達に声を掛けるが、その声にも無意味に攻撃する
ように反応する様子にますます眉根が寄った。
その時、
「おい、何をしている?」
「?」
(・・・・・誰?)
これだけ大勢の人間が街を行き交っているというのに、喧嘩に係わろうという人間は皆無だ。そんな中で、お人よしにも誰
が声を掛けたのだと皮肉に思いながら振り向いた楓は、そこに見たことのある顔を見て慌てて顔を逸らした。
(ど、どうしてっ、このおっさんがいるんだよ!)
「楓?」
急に楓が自分の背中に隠れたので、牧村は不審に思ったのか声を掛けてくるものの、楓はその自分の名前を呼ぶなと
心の中で叫ぶ。
(ここっ、あいつの管轄だったっけっ?)
「ガキが、こんな時間にウロチョロ・・・・・あぁ?そこにいるのは・・・・・」
「・・・・・っ」
「・・・・・なんだ、お前、組のために様子を見に来たのか」
「・・・・・え?」
何を言っているのだと思わず顔を上げると、その楓の眼差しをしっかりと捕らえた男が、にやりと意味深な笑みを口元に
浮かべた。
「ああ、やっぱり、日向組のオジョウちゃんか。そのツラ、隠しようがねえからな」
「・・・・・っ」
「楓、知ってるのか?このおっさん」
楓の様子に、牧村はそう言いながらも庇うように背に隠してくれる。どんなに体格差があり、強面の相手でも簡単に引か
ない楓が、こんな態度を取るということは分け有りだと感じたのだろう。
そんな牧村の挑発するような物言いに、男は胸元から黒い手帳を取り出しながら言った。
「その言葉、俺が寛大じゃなかったら公務執行妨害で引っ張ってたぜ」
「へえ、日向組にはこんな美人なオジョウちゃんがいるのか。これだったら将来安泰だな、どんな爺さんでもタラシこめるっ
てもんだ」
そう言われたのは、確か楓が中学3年生の頃だったはずだ。
父や兄、そして、冷静沈着なはずの伊崎をも激怒させ、その時、間に入った刑事が日向組と昵懇(変な意味ではない
が、祖父の頃からの付き合いがあるらしい)でなければ、3人のうちの誰かこの男を殺していたかもしれない。
(くっそ〜、嫌な奴に会った・・・・・)
浅間修哉(あさま しゅうや)、警視庁の暴力団担当の・・・・・警部だ。
初めて会った時は、諸事情で所轄に出向という形になっていたらしいが、今ではそれなりの地位になっているらしい。
「また、よろしくな」
そんな挨拶に来ていた男の声を、楓は事務所の奥、兄の部屋で聞いていた。絶対に顔を出すなと言われたこともある
が、楓自身浅間には会いたくなかったからだ。
それから1年、今まで会わなかったのだが・・・・・。
(こんなトコで会うなんて・・・・・)
「おい」
「・・・・・」
「楓」
「無視もいいが、ここで俺を怒らせたら、日向組の手入れをする可能性だってあるぞ」
「なっ」
思わず楓が声を上げると、浅間は目を細めた。
伊崎とは違う、男くさい顔。体格のいい身体にピッタリと合っているスーツはオーダーかも知れない。短く刈った髪から見え
る耳たぶにはピアスがしてあって、パッと見はとても警察官には見えない男だ。
(歳のいったジゴロって、兄さんの言葉通りだよ)
「今夜、何があったか知っているな?」
「・・・・・さっき、聞いた」
無視をして、また組の名前を持ち出されても嫌だと、楓はぶっきらぼうに答えを返した。
「そうだ。強盗だけなら所轄が表立って動くが、使われたのが拳銃だからな。警視庁も借り出されて、この辺りは大々的
に調べて回っている」
「・・・・・」
「日向組のシマじゃないが、隣りあわせだからな。後で色々と話を聞こうと思っていたんだが、組長の弟がここにいるって
ことは・・・・・」
「関係あるはず無いだろ!うちの組は銃と薬は厳禁だよっ!」
何時の間にか、しつこいナンパ男の姿は消えていた。突然現れた刑事と、ナンパしようとした相手が組関係だと聞いた途
端、係わり合いになりたくないと思ったのだろう。
(逃げるなら、声掛けてこなかったら良かったんだっ)
あの男達が声を掛けてきたので店を出る嵌めになってしまい、街中でもめるような状態になって、嫌な男と出会うことに
なったのだ。
「おい、楓」
「徹、悪いけど家まで送って」
「それはいいけど、お前・・・・・」
「逃げる気か?」
「・・・・・っ」
それだけは言われたくない言葉だと、楓は唇を噛み締めた。
結局、楓と牧村、そして浅間の3人は再びクラブの中へと戻った。
楓はパトカーに乗るのは絶対に嫌だったし、楓が家に戻ることは浅間が許さなかったし、牧村が間を取る形でクラブのVI
Pルームでということを提案した。
牧村はここのオーナーと昵懇で、今夜は強盗騒ぎのせいで客も少なくて部屋が余っていると、楓が来る前にバーテンダ
ーに聞いたばかりだったからだ。
「酒は?」
「水割り」
「勤務中だろ」
「俺にとっちゃ水と同じ」
楓も精一杯この男に対抗しているようだが、どうも分が悪いようだ。
自分がヤクザの身内だということを負い目に感じているのかもしれないが、傍から見れば子猫が毛を逆立てているようにし
か見えず、普段の楓からはあまり見ることが出来ないその様子に、牧村は内心楽しいと感じていた。
「楓は?どうする?」
「何もいらないっ」
「・・・・・一応、ジュース頼んでおくか」
牧村が電話でそれを伝えた後、再び部屋の中は静まり返る。
さて、この刑事はいったい楓に何を言うのだと、楓には悪いが牧村は傍観者のような気持ちになって視線を向けた。
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