未来への胎動




17







 浅間の認識では、楓は《日向組のお姫様》だった。
前々から噂には聞いていたが、初めて会った時の楓の容貌は、それが中学生の少年という知識があったとしても、これま
で自分が見たことも無いほどの美貌で、そんな自分の驚きを誤魔化すように軽口を叩き、反対に牙を剥かれてしまった。
 黙っていても華のように艶やかだった容貌が、怒りを込めれば更なる鮮やかさを増して・・・・・将来どうなるかと思ってい
たが・・・・・。
(想像以上だな)
 目の前の少年は、あの時以上に綺麗になっている。男にその表現はおかしいかもしれないが、それは浅間の正直な感
想だった。
 「確か、高3だったな」
 「・・・・・」
 「こういう場所に入り浸ってるのか?」
 「・・・・・」
 ずっと無視をするつもりなのだろうか?それはそれで構わないが、もう少しこの綺麗で傲慢な少年の本意を見てみたいと
思い、浅間は少し考えてから口を開いた。
 「確か・・・・・伊崎だったか。お前の守役、今は若頭に出世しているようだが、あの過保護な男が良く許しているな」
 「恭祐の名前を口にするな」
 「どうやら、今もベッタリなようだな」
 高学歴で、周辺にも全くヤクザとの接点が無い伊崎という男が日向組に入ったという理由。それは聞かなくても、判る
ような気がしていた。
あの時も、楓と伊崎が互いを庇い合う様子は見えていて、強烈な結びつきを感じたくらいだ。
 ただ、中学生くらいの楓の、庇護欲というものを感じる風情から、高校3年生の今はもっと別の下世話な関係を想像
してしまう。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「見るな、減る」
 「見ただけで?」
 「俺の価値が下がる」
 きっぱりと言い切る姿勢はいっそ見事だ。チンピラなど、浅間の顔を見ただけでこそこそと逃げ出すくらいで、こういう姿を
見れば、この青年がヤクザの組の中枢にいるのだということを改めて思い知らされるような気がした。




(・・・・・ったく、何を言いたいんだ、こいつっ)
 出来れば胸倉を掴んで問い詰めたい気分だが、こんな奴に手を出せばどういう屁理屈を付けられて拘束されるか分か
らないし、なによりいけ好かない人間に触れたくはない。
 「・・・・・」
 楓はポケットの中で携帯を握り締めた。
今ここに伊崎を呼んでもいいかどうか迷ってしまうが、この男は簡単に自分を解放してくれそうにない。いくら、今回の拳銃
強盗と日向組が無関係だとしても、その証拠を示せと言いそうだ。
(やっぱり、恭祐は呼ばない方がいいかも)
 「おい」
 「・・・・・」
 「おい」
 「俺はおいって名前じゃない」
 「じゃあ、楓」
 「余計に嫌だ!」
(こいつ、俺を怒らせて楽しんでいるのか?)
 なんだか、当初の目的とはずれているような気がする。
始めは今回の強盗騒ぎの件で、日向組が関係していないかどうかを疑っているのだと思っていたが、今ではそれも単に
口実でしかなく、本当は自分と話したいのではないかと思ってきた。
こんな、ヤクザを虫けらのように思っている刑事でも、自分の容貌には一目置くのだろうか。
(・・・・・それなら)
 楓は一度深呼吸をしてから、じっと上目遣いに浅間を見つめた。気丈そうな、しかし、どこか弱さも見せるように、揺れ
た眼差しで男を見ながら言う。
 「俺を・・・・・どうしたいわけ?」
 先程までの切り捨てるような物言いではなく、本当に困ったという口調がミソだ。
案の定、おっというような視線を向けてくる男に向かって内心では舌を出しながら、楓はさりげなく男の太股に手を置いて
首を傾げる。
 「俺、本当に組のことは分からないんだ。これ以上、何も言えないよ」
 自分に多少でも興味を持っているのなら、つい、でも手を出してくるはずだ。その時こそ、淫行刑事だと罵って、股間を
蹴ってやろうと思う。それならば十分正当防衛だろう。
 「おい、楓」
 楓の意図を知ってか知らずか、牧村が声を掛けてきた。
内心、黙って見てろと怒鳴りながら、楓はさらに身を乗り出す。
 「ね、浅間さん」
(早くしろって!)
何時までこんな気持ちの悪い声を出させるつもりだと、楓はにっこりと笑いながら浅間を見つめた。




 どういうつもりか分からないが、自分に迫ってくる楓に浅間は口元を緩めた。
浅はかな子供の策に乗ってやることも教育の一つかもしれないと思い、持っていたグラスをテーブルの上に置くと、
 「あっ!」
浅間はいきなり楓の腕を掴んで引き寄せた。




 勢いで楓の身体は浅間の腰の上に乗った状態になり、顔も数センチというごく間近な距離になってしまう。
(ちょ、ちょっと〜)
 これでは股間を蹴ってやれないぞと身体を引こうとすれば、浅間の拘束はますます強くなってきた。外見に見合う強い
力に、楓は次第に焦ってしまう。
 「ちょっ、ちょっと!」
 「ん?」
 「んじゃないって!離せよ!」
 「そっちから誘いをかけてきたくせに?」
それは作戦なのだと声に出して言い返したいが、そう言ったらこの男はますます面白がるのではないかとも思ってしまう。
どうしたらいいのだと焦る楓の耳に、楽しそうな笑い声が聞こえた。
 「せっかくの据え膳だ、少し味見をさせてもらうか」
 「い、淫行だぞ!」
 「18歳になってるだろ、とっくにな」
 「・・・・・っ」
 近付いてくる唇に楓は顔を背けようとするが、大きな手がしっかりと後頭部を掴んで固定してしまう。
 「あんたっ!」
牧村が止めようと声を出してくるが、下手に手を出せば公務執行妨害だ。
(くっそ〜っ!)
無関係の牧村をそんな目には遭わせられないと、一瞬のことだからと楓は目を閉じて覚悟しようとする。ほとんど唇が触
れ合っていると思ったその時、

 バンッ

勢い良くドアが開いたかと思うと、
 「わっ」
いきなり腕を引かれた楓は、あっという間に浅間から距離を取らされてしまった。
(な、何?)
 いったい何が起こったんだと目を瞬かせる楓とは反対に、目の前にいる浅間はますます笑みを深くしている。
 「こんな所にまで、御苦労だな、若頭」
 「え?」
その言葉に慌てて振り向いた楓は、自分を抱きしめているのが伊崎だということを初めて知った。




 かなりバイクを飛ばして伊崎が楓の言っていたクラブに着いた時、懸念していた騒ぎはかなり収まっているようだった。
まだ拳銃強盗が捕まったという情報は耳に入っていなかったが、もしかしたらこの一帯から逃げたということなのかもしれな
い。
 それならばそれでいいと、伊崎は直ぐ店の中に入った。
 「日向楓は来ているか?」
楓の常連のこの店には、伊崎も何度も迎えに来ている。その顔を見知っているバーテンは、くいっと顎を上へと向けた。
 「今VIPですけど、拙いですよ」
 「拙い?」
 「サツが一緒。あれって、確か○暴の・・・・・」
 その言葉を最後まで聞かず、伊崎は階段を駆け上がった。
まさか、楓が警察に捕まっているとは想像していなかったが、多分それ専門の刑事ならば楓が日向組の人間であること
は分かっているはずだ。
今回の事件と自分達は関係ない上、未成年の楓に手を出すなど、伊崎はその刑事にどう文句を言ってやろうかと思い
ながら、1つだけドアが閉まっている部屋へと踏み込んだ。

 「!」
 その瞬間に見えたのは、男に抱きしめられた楓の姿。しかも、その顔は接近していて、今にもキスをしてしまいそうな距
離だ。
 「・・・・・っ」
 相手の男の顔は見えなかった。
伊崎はそのまま楓の腕を引っ張ると、後ろからしっかりその身体を抱きしめる。そうして、ようやく相手の顔を見て、伊崎の
眉間の皺は深くなった。
(浅間・・・・・)
 この男がどういう男か、伊崎も多少なりとも知っているつもりだ。限りなくヤクザに近い刑事・・・・・表立っての不正は見
付からないものの、色々と胡散臭い噂があって、一時一線を退いていたくらいだ。
 今は再び表舞台に立っているが、伊崎はこの男を・・・・・もちろん警察全般が好きではないが・・・・・あまり良く思っては
いなかった。

 「こんな所にまで、御苦労だな、若頭」
 嫌味を含んだ浅間の言葉に、腕の中の楓が慌てたように振り返った。
 「恭祐・・・・・」
どうやら、いままで自分を抱きしめているのが誰の手なのか分からなかったらしい。それはそれで、後でよく言い聞かせなけ
ればと思ったが、その前に伊崎は楓に聞いた。
 「何かされましたか?」
 「え?」
 「この犬に」
 わざと揶揄して言っても、浅間の顔からは笑みは消えない。自分がどう思われているのか気にもしていないのかもしれな
かった。
 「さ、されてない」
 「本当に?」
 「う、うん」
 楓の反応を見ていた伊崎は、少し離れた場所にいる牧村に声を掛けた。
 「牧村君、本当に?」
 「え、ええ。される寸前だった、けど」
その言葉に、伊崎はようやくほっと安堵の息をついた。楓が自分に嘘を言うとは思わなかったが、自身のプライドのために
事実まで言わない可能性があると思ったからだ。
しかし、どうやら本当に何も無かったのだと、自分が間に合ったのだということが分かって、伊崎は意識を切り替えて浅間と
向き合った。