未来への胎動




18







 大東組系、日向組の若頭、伊崎恭祐。
この男が国立の大学院にまで行った頭の良い男で、家柄も良いということは資料で確認していた。
容姿も良く、頭も良く、家柄も良い、全てが恵まれたこの男がどうしてこんな裏社会へと足を踏み入れたのか、その原因
は不明とされていたが、浅間は何となく予想が付くような気がした。
 伊崎が日向組に入った頃、次男である楓はまだ幼稚園児くらいの歳だったはずだが、直ぐにその子供の教育係へと就
任したことから見ても、伊崎の目的は楓だったのだと思える。
 それも、ただの子供好きというのではなく、小児愛好家という危ない思想からでもなく、多分・・・・・楓という少年自体に
惹かれたのだろう。
(・・・・・分からなくも無いが)
 中学生でも、少し大人になりかけの危うい色香があったが、それほどに幼い頃ならば、愛くるしいという言葉がピッタリの
容姿だっただろう。
自分の全てを捨て、人から後ろ指を指されるこの世界に飛び込んだ理由がたった1人の子供のため・・・・・そんな理由が
あっても面白いではないか。
 「浅間さん」
 「よお、伊崎」
 「思い掛けない所でお会いしますね。少年課に異動されたんですか」
 「まさか。俺にガキのお守りが出来るはずないだろ」
 「ええ、分かっています」
 「・・・・・」
(相変わらず、面白みの無い奴)
 頭が良いだけに、伊崎は警察への対応も熟知している。どんなにこちらが怒らせようと際どいことを言っても、涼しい顔
で受け流すことが出来る男だ。
いや、反対に弁護士を出してくるかもしれない。
(まあ、聞きたいことだけもらっておくか)




 浅間は他の暴力団担当の刑事達のように良い意味で馴れ合うということをしない。
警察と、ヤクザは、底辺の部分では驚くほどに近い存在で、お互いにお互いを利用しているのだが、この男は直感と嗅
覚でここまでのし上がってきたのだ。
それだけに厄介で、伊崎は揚げ足を取られないように気を引き締めた。
 「今夜の事件のことは知ってるな?」
 「ええ」
 「ここがお前のところのシマじゃないっていうのは分かっているが・・・・・少しでも関係・・・・・」
 「ありません」
 「言い切るな」
 「今時のヤクザは、銃を持って強盗するという危ない橋は渡りませんよ。私達への銃規制は厳しいものですし、案外、
素人の方が簡単に手にすることが出来るんじゃないでしょうか」
 あくまでも私的な見解だが、あながち外れてもいないと思っている。世間はヤクザには厳しいが、素人の動きには全く頓
着しないものだ。
 「・・・・・まあ、考えられないことでもないがな」
浅間も似たようなことは考えていたのか、伊崎の言葉にあからさまな反意は見せなかった。
 「・・・・・ん〜、まあ、お前のところは関係ないとも思っていたが」
 「ありがとうございます。それでしたら、彼を返していただいてもよろしいですね」
 「たまには目の保養もしたかったんだがな。むさ苦しい男相手じゃ腐っちまう」
 「それがあなたの仕事でしょう」




(本当に、ムカツク野郎だな)
 なまじ、学歴があるだけに言葉で負かすことも出来ないし、容姿を貶すことは尚更無理だ。
反応の面白い楓ともう少し遊んでいたかったが、今は捜査中でもあるし、迎えに来たのがこの男ならばそろそろ引いた方
がいいだろう。
 「オジョウちゃん」
 最後にと楓を振り返ると、その呼び方にムッとした表情をしている。それでも十分鑑賞に耐えうる顔だなと、浅間は感心
していた。




 「・・・・・ん〜、まあ、お前のところは関係ないとも思っていたが」

 浅間の言葉に、楓は口の中で毒吐いた。
(そう思ってるのなら最初から言えって!)
きっと、ヤクザの家の息子である自分を貶したかったのだろうが、そこで暴れるほどに楓も子供ではないつもりだ。
いや、今こうして伊崎が傍にいてくれるからこそ言えることかも知れないが、楓は本当に最悪と思っていた。
(せっかく、気持ちよく徹に礼を・・・・・って、あ)
 そこで、ようやく楓は牧村の存在を思い出した。
慌てて視線を向ければ、賢明にも伊崎と浅間の視界には入らない場所で、面白そうにその光景を見つめている牧村の
姿がある。
(面白がってるな)
 「・・・・・」
 「・・・・・」
楓がじっと見ていると、その視線に気付いた牧村が手を振ってきた。
(暢気にしてるな、馬鹿!)
 「オジョウちゃん、いい歳して、何時までそうやって守ってもらうつもりだ?」
 「え?」
 「浅間さん」
 浅間の言葉に反応した楓に、伊崎はその視界を遮るように前へ立つ。それでも、浅間のからかうような言葉は耳に届い
てきた。
 「もうそろそろ、自分のことも考えた方がいい。それとも、ヤクザの姐さんにでもなるのか?」
美人だろうがという言葉を聞く前に、伊崎の身体を押し退けた楓は、そのまま自分よりも遥かに大柄な浅間の襟首を両
手で掴んで締め上げた。
 「俺を侮辱する気か!」
 素人ではないのだ。腕力が無く、細い腕でも、どういうやり方をすれば相手にダメージを与えられるかは知っている。
襟首を締め上げる力も手加減などしていなかったが、頭上にある浅間の顔にはうっすらとした笑みが浮かんだままだった。
 「侮辱?事実だろう」
 「お前!」
 「楓さんっ」
 「自分の生きる方向も決めないまま、こうして何時までもブラブラしているだけじゃ、今の俺の言葉と大差ない未来しか
ないぜ、オジョウちゃん。もっとも、俺は強面の男達相手よりも、綺麗な顔のお前と睨み合っていたいがな」
 そう言うと、浅間は片手を伸ばして楓の両手を掴む。
 「・・・・・っ」
(痛・・・・・っ)
大きな手で軽く捻られると、楓の手は呆気なく浅間の襟首から離れてしまい、軽く突き放されたところを伊崎が後ろから
抱きとめた。
 「子供相手に無茶をしないでもらいたい」
 聞いたことが無いような冷たい伊崎の声に、言われた本人ではない楓の方がブルッと身を震わせてしまうが、言われた
当人は全く気にも留めていないようだ。
 「伊崎、何時までこの子を子供扱いする気だ?お前が一生囲って面倒を見るつもりがあるんなら、俺の今の言葉はい
い迷惑だったかもしれないがな」
 「・・・・・こ、ども?」
(恭祐が、俺を・・・・・そう、扱ってるって?)
 楓は自分を抱きとめてくれている伊崎を振り向くが、綺麗な男の眼差しは冷酷な光を帯びて、真っ直ぐに浅間に向け
られていた。




(俺は、楓さんを子供扱いにはしていない)
 むしろ、彼を立派な1人の人間として見ていると、声を大にして言うことが出来る。
それなのに、まるで縋るように自分を見つめる楓の眼差しに応えられなくて・・・・・伊崎は敵である浅間をただ睨み続けて
いた。
 「ん?」
 その時、場違いなアニメの主題歌が静かな部屋に響く。
どうやらそれは浅間の携帯の着信音だったらしく、男はそのまま胸元から携帯を取り出した。
 「俺だ。ん?遊んじゃいないって」
 どこにいるんだと喚く声が、電話越しに聞こえる。
 「直ぐ行くから、待ってろ」
相手の言葉をまともに聞かないまま、浅間はあっさりと電話を切ると伊崎に笑いかけた。
 「残念、タイムオーバーだ」
 「・・・・・」
 伊崎は内心安堵する。
もしも、これ以上浅間の言葉を聞いていたら、頭に来てどんな風に自分の感情が爆発したかも分からないからだ。
(俺は・・・・・楓さんを人形のように扱っているわけじゃない)
 大切に思うからこそ、楓の思うまま、したいままにさせてやりたいと思っている。
大切に思うからこそ、目を放さずに守りたいとも思っている。
それが、楓のためではなく、伊崎の側のエゴではないか・・・・・あの男は言外にそう言ってきたのだ。
 「・・・・・っ」
 そして、そう思っているのに、反論出来なかったことが悔しい。伊崎はそのまま悠然と部屋から出て行く浅間の後ろ姿を
黙って見送るしか出来なかった。




 「楓っ?」
 浅間が部屋から出て行った瞬間、楓の足がガクッと折れてしまったことに驚いた牧村だったが、その身体はしっかりと伊
崎が支えていた。
 「楓さん、大丈夫ですか?」
 「・・・・・ん」
 「・・・・・」
(ここまでか)
 張り詰めた男達のやり取りを間近で見てスリルを楽しんだつもりだったが、牧村自身も相当精神的に疲れてしまってい
た。自分はもう話の分かる男だと思っていたが、あの2人に比べればまだ甘かったらしい。
 「楓、帰れよ。俺も、今日は寝る」
 「徹・・・・・」
 揺れる眼差しは頼りなくて、日頃の気の強い楓とのギャップが激しいが、それも可愛いなと思ってしまう自分は立派な
楓フリークだ。
 「・・・・・ごめん、また連絡する」
 「待ってる」
 「牧村君」
名前を呼ばれ、牧村は伊崎を振り返る。
 「楓をよろしく、伊崎さん」
 「お世話を掛けました。まだ騒ぎは収まっていないようですので、気をつけてお帰り下さい」
 「うん、さっきみたいな刑事さんには捕まらないようにしますよ」
 その場を和ませるためのジョークのつもりだったが、返って楓の顔が先程よりも青白くなってしまったのに気付くと失敗した
ことが分かった。
正義の味方という立場のくせに、持っているものは相当強い毒のようだ。
 「・・・・・気をつけろよ、楓」
 それでも、自分がここにいても楓には何もしてやれない。楓には、この男しか・・・・・伊崎しか必要ないのだと、少し寂し
い気もするが牧村は思い知っていた。