未来への胎動
3
幾ら居心地がいいといっても、何時間も喫茶店にいるのもつまらないと、楓は牧村や津山に声を掛けずに椅子から立
ち上がった。
「楓?」
「・・・・・」
楓はそのまま店の中を歩き、何時の間にか数人増えていた客の視線を一切無視して店の外に出る。
「おいって!」
後を追い掛けてきた牧村は、何気なく楓の隣に並ぶ。その数メートル後ろに津山がついてきているが、楓はそれを自分の
目で確かめることはしなかった。
「・・・・・そろそろ、どこか開いてるんじゃないか?」
「店?そりゃ、どっかは開いてるだろうけど、今行ったって若い奴で煩いと思うぜ」
「・・・・・」
(お前、いったい幾つのつもりなんだ?)
自分達もまだ高校生(もう、卒業を控えているが)で、世間から見ると若い部類だ。
既に中学生の頃から色んな遊びを一通りこなし、今はもう達観しているような感じで遊んでいる牧村と、自分の家のこと
を考え、どこか馬鹿になりきれない自分は、似ているようで・・・・・真逆のような気がする。
それでも、高校のほぼ3年間、自分の遊びに付き合ってくれた牧村のことを、楓は自分の境界線の中に入れていた。
「少々、煩くても仕方ないかな」
「そうなのか?」
楓の好みの雰囲気を知っている牧村は、歩きながら店を考えているようだ。そういうことは楓よりも遥かにマメな牧村に任
せておけばいいだろうと思った楓は、歩いている店のショーウインドーに映る津山の姿をチラッと見た。
(・・・・・恭祐に、連絡したんだよな)
帰宅時間が遅くなるということだけは、電話で連絡することは許した。その楓の言葉に、津山は楓の目の前で電話をし
たのだ。
しかし、その後は津山は連絡をした様子は無く、自分の携帯も鳴らない。伊崎から電話が掛かっても出てやるもんかと
思っていたが、こうも反応がないと、子供っぽい自分に呆れたのかも知れないという不安が生まれてしまった。
(でも、俺から謝るなんで・・・・・)
「俺は、悪くない」
「楓?」
呟いた声を聞き取ったのか、牧村が顔を覗き込んでくる。
思わず顔を上げてその顔を見つめ返してしまった楓に、牧村はなぜか苦笑しながら馬鹿と頭を小突いてきた。
「その顔、反則」
楓がどんな表情をしているのか、後ろにいても津山は分かるような気がした。
きっと縋るように、それでも、自分の思いがブレないように・・・・・アンバランスな楓の表情は、きっと強烈に綺麗で、色っぽ
いと思う。
その楓に堕ちないこの遊び友達という男は、若いながらかなりの精神力だと思うが・・・・・。
(あ・・・・・)
歩いている歩道の横に、一台の車が急ブレーキを掛けて止まった。
(・・・・・来たか)
楓が唯一、その身も心も許している相手が訪れれば、自分の役割はそこで終わりだった。
キキーッ
「・・・・・っ」
高いブレーキ音に、楓は煩いと思いながら視線を向け・・・・・そして、足を止めた。
「・・・・・恭祐」
見慣れた車の運転席から降りて来た、見慣れた姿。歩いている若い女達が思わず視線を向けるような、綺麗だがけし
て女っぽくは無い、整った容姿の男。
一瞬、駆け寄ろうとした楓の足は、強固な意志で止める。
(・・・・・バカッ)
自分が焦がれているということが分かっていて、こんなにタイミングよく姿を現すなんて卑怯だと思う。こんな風に自分の心
を揺らすことが出来るのなら、自分の本当の気持ちを分かってくれてもいいのではないかと思うのは・・・・・自分の我が儘
だというのだろうか。
「・・・・・」
「楓さん」
「・・・・・」
手が届く、少し手前で足を止めた伊崎の声は、何時もと変わらずに冷静な響きに聞こえた。
急な予定変更をしても怒るどころか、かえって呆れているのだろうということが分かって、楓は頑なに伊崎から視線を逸らし
ながら、それでも俯くことだけはしなかった。
「津山」
楓が口をきかないということを伊崎も予想していたのか、その声は津山の名前を呼んだ。
「申し訳ありません」
「・・・・・楓さんの我が儘だが、あしらうことが出来ないのはお前の力量不足だ」
「・・・・・っ!」
その言葉に頭にきた楓は、パッと伊崎を振り向いた。
「津山を責めること無いだろ!何をしていたんだって、俺を怒ればいいじゃないか!」
「楓さん」
久し振りに真正面から見た伊崎の顔は、楓が危惧したような呆れた表情や、かといって怒っている表情でもなかった。
幼い頃から傍にいる楓だからこそ分かるその表情は・・・・・心底、目の前の相手、自分を、心配してくれているものだ。
(・・・・・卑怯)
こんな表情をされると、自分は何も言えなくなってしまう。
楓は、待ち望んだ相手を見た途端に揺れてしまった自分自身に、口の中で鋭い舌打ちをうってしまった。
黙りこんでしまった楓に声を掛けても、きっと反発するだろうということは予想がついた。
楓とは場所を変えてゆっくりと話す方がいいと思った伊崎は、そのまま面白そうに笑いながら成り行きを見ている牧村に視
線を向けた。
「牧村君」
「はい」
「楓さんが迷惑を掛けました」
丁寧にそう言うが、多分今の自分の目は笑っていないだろう。弱っている時、楓が自分ではない相手、この牧村を頼っ
たことは、けして面白いことではなかった。
「いえ、俺も楓を連れてると優越感に浸れるし。楓、今日は保護者が2人もいるんじゃ、遊びはまた今度になるな」
「牧村・・・・・ごめん」
素直にそう言う楓に、不意に牧村は手を伸ばすと、
「え?」
「・・・・・っ」
腕を引っ張り、自分の方へと楓を引き寄せた牧村が、その柔らかな白い頬へと唇を寄せようとした。もちろん、自分の目
の前で楓に触れることなど許さない伊崎が、牧村の腕を反対に捻り上げる。
「・・・・・って、ギブギブ」
優男に見られがちな伊崎も、この裏社会に身を置くぐらいなのでそれなりの心得はあった。素人を黙らせるくらいは簡単
なことだが、もちろん楓の友人ということを考慮して、いくらかは手加減していた。
「公道でこんなふざけた行動は止めた方がよろしいですよ」
「は〜い、分かりました」
「恭祐っ、手を離してやれよ!徹っ、お前も、変な冗談止めろよな!」
自分達の間にある緊迫感の種類が分かっているのかどうか、楓は必死にそう訴えかけてくる。一週間も自分と口を聞
かないくらい怒っていたはずなのに、この男のためには自分に訴えてくるのか。
(・・・・・面白くない)
面白くは無いが、これ以上大人気ない真似は出来ない。
伊崎は牧村の腕から手を離すと(赤い痕がついていた)、今度はその手で楓の腕を掴んだ。今日こそは顔を見て、こじれ
た感情を解いていきたい。
「帰りますよ」
「・・・・・つ、津山は?」
伊崎は津山を見た。
「どうする」
「私はタクシーで帰ります」
そう言った津山に助けを求めるような視線を向ける楓を見なかったことにして、伊崎は助手席のドアを開けると、半ば強
引にその身体を中に押し込めた。
伊崎は、優しい。
幼い頃は楓がどんな悪戯をしても優しく注意してくれたし、恋人同士という関係になってからも、どんな時も大人の対応
をして、こちらが焦れてしまうほどに感情のブレがない。
そんな彼がこんなに怒っている姿は、ほとんど見ないくらい珍しい姿だった。
「・・・・・」
「・・・・・」
何時もならば、伊崎と2人きりで車に乗れば、このままどこか行きたいと我が儘を言うところだが、今は冷たく整った横顔
に声を掛けることが出来ない。
伊崎の方から自分の名前を呼んでもらうことを待っていることが情けなくて、頑なに窓の外を見つめている楓に、車が走
り出してしばらくして、ようやく伊崎が声を掛けてきた。
「皆、心配していましたよ」
「・・・・・」
「人のことを気遣えるあなたがこんな無茶をするなんて・・・・・もう、高校も卒業をするんですよ」
「・・・・・っ」
どうして、こんな他人行儀な言い方をするのだろうか。
一発でも頬を打って、心配させるなと怒ってくれたら、自分だって言いたいことを言うことが出来たかもしれないのに・・・・・
こうして諭されるように言われると、何を言っても仕方がないという雰囲気にされてしまいそうだ。
「お母様も、楽しみにしてらしたんじゃないんですか」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
意地になって黙っていると、溜め息をつく気配が聞こえる。
「・・・・・」
(絶対に、口をきいてやらない)
さらに伊崎から顔を逸らそうと身体を動かした楓は、ふとその景色が自分の家の方向のものではないということに気がつい
た。いや、むしろ全く逆の方向といってもいいだろう。
(どこに向かう気だ?)
早く自分を連れて帰って、父や兄に謝罪をさせるのではないかと思ったが、それが違うというのならばどこに向かっている
のだろうかという不安が頭をもたげてきた。
「家には戻りませんよ」
楓の疑問が分かっているかのように、伊崎が前を向いたままそう言う。
「・・・・・」
「2人きりになれる場所に行きましょう」
「・・・・・恭祐?」
「・・・・・」
その言葉に思わず振り返って名前を呼んでしまったが、今度は伊崎の方がその後の言葉を続けない。いったいどこに行く
つもりなのか、楓は嬉しさよりも不安の方が大きく、膝の上の手をギュッと握り締めてしまった。
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