未来への胎動
5
自分の家族は自分に甘い。
父を始め、兄も、そして組員達も、自分を叱ることはあるものの、基本的にはどんなものからも楓を守ろうと身体を張って
くれていることは分かっていた。
そして、母も、もちろん・・・・・甘い。
だが、母の女という立場を考え、楓はただ甘えるだけではなく、自分が守らなければならない相手だという意識がある。
だからこそ、父達に甘えるように母には甘えることが出来なかった。
「顔を見せて、楓」
「母さん」
「・・・・・うん、いい生活を送っているいい顔だわ。安心した」
「・・・・・」
(嘘、だ)
今の自分の顔がどんなものか、楓は分かっている。きっと、色んなことを悩み、周りを拒絶している、嫌な表情をしてい
るはずだ。それなのに、そんな風に言う母が憎らしくて・・・・・嬉しかった。
(母さんにだけは心配掛けたくない・・・・・全部終わってから知らせたかったのに・・・・・)
どうして伊崎は自分をここに連れてきたのだろうか。
「2人きりになれる場所に行きましょう」
「私達には、やっぱり言葉が足りないようですね。楓さん、口をきかないという意地悪は止めて、今日は私と向き合って
話してください」
あの言葉を聞いた時、楓は2人きりで話すのだろうと思ったのだが、そこに母の存在をもってくるとは卑怯過ぎると思う。
「恭祐」
母の手前、出来るだけ怒りを声に含まないようにして、楓は伊崎の名前を呼んだ。
「母さんが風邪をひいたらいけないから、部屋に戻ろう」
「・・・・・楓さん」
「楓、伊崎さんとどんな内緒話をするつもり?」
「な、内緒話って、俺っ」
「私にも言えないような秘密?」
「・・・・・っ」
言えない秘密など、ほとんどない。楓はどんなことでも母に話してきた。
夜の街で遊んでいることを話した時は、
「男の子なら、少しくらいやんちゃでもしかたないわね」
と、言って笑っていたし、学校内では大きな猫を被っていると話した時も、
「そんなに大きな猫なら、餌もたっぷりあげないと。最近、痩せ過ぎよ?」
そう言って、差し入れに持っていったケーキを一緒に食べさせられた。
何でも話せる優しい母。母に言えない秘密など・・・・・1つしかない。ただ、それは楓にとっては一番大きく、重大な秘
密で・・・・・。
(恭祐との関係だけは・・・・・まだ、言えない)
自分がどんな容姿をしていても、きちんと男として見てくれる母に、同じ男である伊崎と恋愛関係を待っていることなど
なかなか言えるはずが無い。
外見で見れば、あきらかに自分が伊崎に抱かれる側だということも分かるだろう。もちろん、生々しい話を聞かせるつもり
は無いが、もう少し・・・・・後、少し・・・・・。
「母さん、秘密なんて、俺達は・・・・・」
誤魔化そうと切り出した楓だったが、
「奥様、お許し下さい」
いきなりそう言ったかと思うと、伊崎が母の車椅子の前で土下座をし、地面に額をつけた。
「恭祐っ?」
悲鳴のような楓の声が聞こえるが、伊崎は顔を上げるつもりは無かった。いや、許しを得るまではこの姿勢のままどれだ
けでもいるつもりだ。
「・・・・・どうなさったの?伊崎さん。私に謝ることでも?」
「・・・・・私は、楓さんとお付き合いさせて頂いています」
楓が息をのむ気配がする。大切な彼に許しを得ないまま、こんな大切な告白をするというのは間違いだと分かっているも
のの、伊崎は今、ここで言わなくてはならないと感じていた。
当初は、本当に2人で話そうかと思っていたのだが、不意に頭の中に椿の存在が浮かんだのだ。
この先、楓の父である相談役の雅治、そして、最大の難関である兄で組長の雅行にも、自分達の関係を言わなけれ
ばならない。
どんなに反対をされようと、たとえ破門の宣告を受けようとも、絶対に楓の手だけは離せないと、それだけは心に決めて
いるので、ここで先ず、楓の前で、楓にとって大切な存在である椿の許しを得たいと、伊崎は膝を折った。
「・・・・・お付き合い・・・・・」
「そうです。守役としての使命を超えて、楓さんを・・・・・愛してしまいました」
「・・・・・」
「このたび、楓さんが高校を卒業することを期に、先代と組長には話をするつもりです。どんな結果になるかは分かりま
せんが、私が楓さんを諦めるということだけは絶対にありえません」
「・・・・・雅治さんや、雅行が、あなたを破門にしたら?」
「・・・・・その時は、楓さんを攫って逃げます」
きっぱりと言い切ると、楓が自分の隣に座り込む姿が目に映った。膝の力が抜けてしまったのだろうか、心配になって手
を伸ばそうとすると、その前に楓の方から手を伸ばしてきて自分の腕にしがみ付いてくる。
その温かさと力強さに、楓も同じ気持ちなのだと分かり、伊崎の言葉にはさらに力が入り、顔を真っ直ぐに上げて椿を見
つめた。
「もちろん、家族を大切に思っている楓さんにそんな思いはさせたくありません。出来うる限り言葉をつくすつもりです。奥
様、お身体が完全ではない時に、突然こんなことをお聞かせして、本当に申し訳ありません」
自分の言いたいことだけを一方的に告げて申し訳ないと、伊崎はもう一度深く頭を下げる。
「楓」
椿が、楓の名を呼んだ。自分にではなく、楓を非難されるわけにはいかないと、伊崎は楓を自分の背に隠そうとしたが、そ
の前に楓が叫ぶように言った。
「俺がっ、恭祐を好きなんだ!」
「楓さんっ」
「俺がっ、俺の感情に、恭祐を巻き込んで・・・・・っ。俺が恭祐を誘惑して、押し倒したんだ!母さんっ、恭祐は何も悪
くないんだ!」
「楓さん・・・・・」
自分を庇うために言う楓に、伊崎は愛しさがこみ上げてきた。
伊崎が母に、こんなにもはっきりと自分との関係を伝えるとは思わなかった。
驚いたが、次に感じた感情は、叫びだしたいほどの嬉しさだ。伊崎が、自分と2人の間だけではなく、大切な母にその関
係をきちんと言ってくれたことが嬉しくて、自分の覚悟も、母の前で伊崎に伝えたかった。
父や兄に自分達のことを告白し、それを頭から否定されるかもしれないと考えるのはとても怖い。それでも、一緒に逃
げてくれるとまで言ってくれる伊崎と、楓自身も離れるつもりは無かった。
「楓が、伊崎さんを誘惑したの?」
「そう!」
「違いますっ、私が!」
「・・・・・楓は、伊崎さんが好きなのね?」
「うん!」
「伊崎さんも、そう?」
「・・・・・愛しています」
2人の答えを聞いた母は、それなら問題ないわねと笑った。
「楓と伊崎さんが並んでいると、まるでお雛様みたいでお似合いだもの」
「か、母さん?」
あまりにも予想外な母の返答に、泣きかけた楓の涙が弾みで零れた。しかし、それは悲しみではなく、驚いた拍子でと
いってもいい。
「母さん、あの、俺達、男同士なんだけど・・・・・」
「分かっているわよ。あなたは私が産んだんですもの。可愛いオチンチンがちゃんとついていた」
少女のような母の言葉に何だか気恥ずかしくなって耳が赤くなるが、母は自分がおかしなことを言っているという自覚は全
く無いようだった。
「・・・・・い、嫌じゃないの?俺が、恭祐とって・・・・・」
「だって、やっぱりなと思ったから」
「え?」
「あなたは伊崎さんが守役になった時から、きょーすけ、きょーすけって懐いて。雅行が、お兄ちゃんは俺だぞってあなたの
腕を引っ張ったら、大声で泣き出したくらい」
「え・・・・・」
(お、覚えてないって、そんな昔のこと)
確かに、始めから伊崎には懐いていたという記憶はあるものの、かといって兄を嫌っているという覚えは無い。
しかし、母が嘘を言うことは無いはずなのできっと真実なのだろうが・・・・・それを伊崎の前で話されるのはやはり恥ずかし
かった。
椿の反応に、伊崎は戸惑っていた。
雅行達ほどの抵抗はないのではないかと思ったが、それでも男同士ということで嫌悪感を抱かれても仕方がないと覚悟
していたのだ。
(私達の関係を・・・・・認めてくださるということなのか?)
「楓」
自分や楓の戸惑いを楽しんでいるかのように、椿は楓に良く似た綺麗な顔に笑みを浮かべた。
「その時から、楓はきっと伊崎さんのことを好きになるだろうなって思っていて・・・・・伊崎さんも、楓を大切にしてくれるだ
ろうって信じていたから」
「母さん・・・・・っ」
「もう、何年も掛けて覚悟をしてきたんだから、今伊崎さんの言葉を聞いて、やっとかって思ったくらいよ」
楓は感極まったように、椿の腰に抱きつき、泣くのを必死で我慢しているような嗚咽を漏らしている。
伊崎も、思いがけず早くに椿の理解を得て、ありがとうございますと深く感謝した。これで、雅行達に告白する勇気も得
たような気がする。
「でも、これからが大変よ?雅治さんは、楓が嫌いになると言ったら許すだろうけど、雅行・・・・・あの子は相当楓のこと
を大切に思っているから、簡単に許してはくれないかも」
「覚悟はしています」
「それでも、諦めないのね?」
「はい」
「ふふ、早く退院したいわ。雅行の困った顔が見たいもの」
厳つい顔をした雅行も、椿からすれば可愛い子供の1人なのだろう。その物言いに思わず伊崎も表情を緩めたが、そ
んな伊崎の気の緩みを椿は一喝してきた。
「伊崎さん、他に女の人なんか作らないでね?楓を大切にしてくれないと、私は何時でもあなたを殺せるわよ?」
「か、母さん?」
「私も、日向家に嫁いだ人間だもの」
雅治が刺されたと知って倒れ、病を重くしたほどに心の繊細な椿が、そんなことを言うとはとても信じられないのだろう。
そんな戸惑う楓の艶やかな髪を撫でながら、椿はにっこりと笑う。
「母親というものは、子を守るためにはどんなことでも出来るの。そして、伊崎さん。あなたは楓のために、どんなことも出
来るわね?」
「はい」
「それを聞いて安心したわ。ほら、2人共立ち上がって。病室に行ってお茶でも飲みましょう」
その言葉に、もう一度頭を下げた伊崎は、楓の腰を支えて一緒に立ち上がった。
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