未来への胎動












 車椅子を押しながら、楓が椿に話し掛けている。
楓1人でも目立つのだが、その楓とよく似た面差しの椿が一緒だと更に視線を引き寄せていて、伊崎はそんな2人の後
ろを歩きながら苦笑を漏らすしかなかった。
(本当に・・・・・綺麗な親子だな)
 「恭祐」
 「はい」
 「ジュース買ってきて。ツブツブオレンジのやつ」
 「・・・・・売っているかどうか分かりませんよ?」
 「無かったら、メロンソーダ。俺達、先に病室に戻ってるから、ゆっくり買ってきていいぞ」
 「・・・・・はい」
 直ぐには見付からないような飲み物。
その意味を考えた時、思わず零してしまった自分の笑みの気配に気付いたのだろうか、一瞬振り向いた楓の目元が少し
だけ赤くなっているのが分かったが、さすがにそれを指摘すれば更なる不興を買うのは目に見えているので、伊崎は分かり
ましたと言い、そのまま病室に向かう2人の背を見送った。
 椿が入院をしているので、この病院にも数人の日向組の組員が警護で付いている。何かあったらすぐに知らせが来るだ
ろうと、伊崎はそのまま1階のロビーから外に出た。雅行に報告をしなければと思ったからだ。
談話室でも携帯は使えるが、周りに聞こえてもいい話ではない。
 『どうした』
 雅行の携帯にかけると、彼は直ぐに出てくれた。
 「今、長野の奥様の病院にいます」
 『病院?』
いきなり切り出すと、やはり直ぐにはその理由が分からないらしい雅行が不思議そうな声を漏らす。伊崎は直ぐに言葉を
続けた。
 「楓さんを連れてきました」
 『・・・・・』
 「やはり、母親には甘えることが出来るようです」
 『・・・・・そうか』
 最近の楓の荒れた様子を想像してか、電話の向こうの雅行の声は重い。
彼がどれ程弟の楓を愛しているのか、直ぐ間近で見てきて知っているはずの伊崎は、一度大きく深呼吸をした。
(もう、逃げない)
 組のため、まだ学生の楓のためと、先延ばしにしてきた大切な言葉。しかし、どこかで逃げの気持ちがなかったとは言え
ない気がした。
 多分、雅行の方は薄々知っているだろう事実を自分の口からきちんと伝えるために、伊崎は腹を決め、声をあらためて
切り出した。
 「組長、戻りましたらお時間いただけますか」
 『時間か?』
 「はい」
 『それは、今日のことか?』
 「もう少ししたら病院を出るつもりです。そのまま真っ直ぐに戻りますが、少し時間は遅くなると思います。それでも、戻り
ましたら直ぐに話をさせていただきたいので」
 『・・・・・分かった』
 どんな話だと聞かないまま、雅行は気をつけて帰って来いと言って電話を切った。
 「・・・・・」
携帯電話を握っていた自分の手が強張っているのに気付き、伊崎は反対の手ではり付いた自分の手を引き離した。
(電話でこれだけ緊張するなんて・・・・・)
 怖いとは思わない。ただ、雅行にとってとても大切な弟である楓を愛してしまったことを申し訳なく思う。
雅行は、楓には普通の幸せな生活を送ってほしいと常に言っていたが、それはもちろん、男同士の恋愛などもっての外だ
と思うはずだ。
 簡単には許してもらえないだろうが、それでも諦めることだけは考えない。伊崎は顔を上げると、楓が言っていた飲み物
を早く探そうと足を進めた。




 伊崎に飲み物を買いに行かせたのは、あんなふうに母親の前で想いを伝えてもらって・・・・・なんだか気恥ずかしくて顔
を合わせづらかったからだ。
(目が合うだけで、顔が赤くなりそうだし)
 そんな自分の姿を見ても伊崎がからかうことはないと分かっているものの、どうしても楓が自分自身のそんな姿を見られ
るのが嫌だった。
 「何か飲む?」
 母に手を貸してベッドに寝かせた楓は、部屋にある小さな冷蔵庫を開けながら聞く。
すると、背中から楽しそうな笑い声が聞こえた。
 「楓が照れるなんて珍しい」
 「て、照れてなんかいないって!」
 「嘘。伊崎さんとはずっと視線を逸らしているし・・・・・なんだか、可愛いわ」
 「母さん・・・・・」
(可愛いって・・・・・俺、男なんだけど)
 容姿を褒められるのは聞き慣れているので何とも思わないが、仕草を可愛いなどと褒められても嬉しくはない。ただ、大
好きな母に言い返すことも出来ず、楓は眉間に皺を寄せることで不快感を示してみせる。
しかし、そんな仕草にも、母は楽しそうに笑っていた。
 「楓が女の子なら、ウエディングドレスを着せたかったわ。私の時は着物だったし」
 「・・・・・無理」
 「あら、似合うと思うけど」
 「似合うのは分かってる。でも、女じゃないんだから嫌だ」
 「男らしいわねえ」
 昔から、その突出した容姿だけを褒め讃えられてきた楓は、だからこそ言葉や態度で、出来るだけ男だということを見せ
ようとしてきた。
そんな足掻きは母には分かっていたようで、それ以上はその話には触れてこない。
 ただ・・・・・。
 「楓」
 「何」
また変なことを言うのかと、少し不機嫌な声で返答してしまった楓に、母は笑みを湛えながら聞いてきた。
 「伊崎さんのこと、本当に好き?」
 「・・・・・」
 どういう意味で聞いてきたのか分からないが、楓の返事は一つだけだ。
 「すごく、好き」
 「雅治さんや、雅行が、どうしても駄目だと言っても?伊崎さんは、反対されたらあなたを連れて逃げると言っていたけれ
ど、その覚悟、あなたも出来ているの?」




 「雅治さんや、雅行が、どうしても駄目だと言っても?伊崎さんは、反対されたらあなたを連れて逃げると言っていたけれ
ど、その覚悟、あなたも出来ているの?」

 ドアをノックしかけた伊崎は、上げた手を下してしまった。盗み聞きをするつもりは無かったが、足が動かなくて・・・・・いや
でもそのまま、小さく漏れてくる中の声が耳に入ってくる。
(奥様は・・・・・反対なんだろうか)
 自分に対しては認めていると言ってくれたが、やはり受け入れがたいのだと楓には言うのだろうか?
(楓さんはどう・・・・・)
 「逃げないよ」
 「・・・・・っ」
きっぱりと言い切った言葉は、伊崎の望んだものではなかった。まだ18歳の彼に、家族を捨てるほどの覚悟が出来なくて
も当然だという気持ちはあるものの・・・・・伊崎は感情を押し殺すように拳を握り締める。
 だが、次の瞬間に聞こえてきた言葉に、その負の感情は一瞬にして消え去ってしまった。
 「絶対に、父さんと兄さんに認めさせるから」
 「雅行は頑固だと思うけど」
 「それでも、俺は恭祐の手を離すつもりはないし、兄さんだって大切だから」
 「ふふ、すごい恋愛をしているのね」
 「・・・・・母さんに言えて、良かった。俺がどんなに恭祐が好きか、周りに大声で言いふらしたい気分なんだ」
 小さな声で楓が言った後、中から声はしなくなった。多分、あの仲の良い親子ならば、言葉を交わさなくても思いは通
じているのだろう。
 そして・・・・・伊崎も、傍にいなくても楓と気持ちが通い合っている・・・・・・改めてそう思うことが出来、なんだか嬉しくて、
楓の言葉ではないが、周りに言いふらしたい気分だった。
 あの綺麗で強い人が、自分の愛した人なのだと。
 「・・・・・」
伊崎は少し時間を置いてから、ドアをノックした。




 トントン

 「・・・・・っ」
 甘えるように母の膝の上に頭を乗せていた楓は、ノックの音にパッと顔を上げた。
 「どうぞ」
 「失礼します」
中に入ってきた伊崎の手には、楓のリクエスト通り、ツブツブオレンジの缶が握られている。
 「あったんだ?」
 「探しましたよ」
笑みを浮かべながらそう言った伊崎は近付いてきたが、ふと視線を楓の頭上に向けると、目を細めながら手を伸ばしてき
て髪を撫でた。
 「ちょ・・・・・っ」
 「髪が乱れていましたよ」
 「・・・・・」
(・・・・・まさか、バレてる?)
自分が子供のように母親に甘えていた様子を想像されたのかと思ってしまったが、伊崎はそれには何も言わずに母の飲
み物の準備を始める。
相変わらず細かいところに気を遣う男だなと思いながら見ていると、ふと目が合った母が口元に人差し指を当てて笑った。
今の話は内緒だということなのだろうが、もちろん楓もあんな告白を伊崎相手に面と向かってするのは恥ずかしくてたまら
ない。あれは、母相手だからこそ言えた言葉だ。
 「そろそろ失礼しましょうか」
 「え〜っ、せっかく来たのに?」
 「お母様もご病気なんですよ?早く退院していただくためにも、今は無理は禁物です」
 「う・・・・・ん」
 確かに、退院も間もなくといっている母に無理を強いることは出来ない。
(帰ってきたら、何時でも傍にいられるんだし)
 「・・・・・分かった」
頷いた楓に、伊崎は母に頭を下げた。
 「今日はいきなり押しかけてしまい、申し訳ありませんでした」
 「いいえ。嬉しい話を聞かせてもらって、良かったわ」
 「母さん、また来るから」
 「その前に、私の方が退院するかもしれないけれど」
 「その方が嬉しいよ!父さんも兄さんも、組のみんなも、本当にそう思ってるから!」
 「家族みんなが待っていてくれるんだもの、早く元気にならなくちゃね」
 楓は強く頷いて母の手を取った。
華奢だと言われる自分よりも、更に細くて痩せた・・・・・白い手。それでもこの手は暖かく、優しく、楓は一刻も早く、何時
でもこの手を身近に感じることが出来るようにと、祈りを込めて握り締めた。