熱砂の恋








                                                          
※ここでの『』の言葉は外国語です






 広間に足を踏み入れたアシュラフは、グトラの影で他の人間には分からないように眉を顰めた。
 『ルトフ、アバヤを被っていない女がなぜこんなに大勢いる?』
 『今いらっしゃっている方々は外国育ちの者が多いらしく、昔ほどしきたりを重視する者は少ないようです。ただ、どの方もお家
柄はよろしく・・・・・』
 『アバヤをしていない者は全て除外しろ』
 『アシュラフ様』
 『自分の夫以外の男の前で顔を出す女など必要ない』
 『・・・・・承知致しました』
躊躇いもなくルトフが頷いたのは、多分彼もアシュラフと同じことを思っていたのだろう。
 確かに最近はこの小国でも海外の異文化が入り込んできて、女達もその生き方を変えようとしている。
留学経験のあるアシュラフも、本来は《良い変化》というものは歓迎するが、自身の花嫁というのは特別な存在だ。
正妻とは違い、これから増えるだろう大勢の妾妃は、これからアシュラフの所有するハレムに入ることになる。そこは、主人である
アシュラフ以外の男は全て立ち入り禁止の世界だ。
アシュラフのことだけを愛し、待ち、子を生む使命を与えられるその妾妃には、強固な貞操観念が必要だ。
 見合い段階とはいえ、アシュラフ以外の男達がいる中で恥ずかしげもなく顔や肌を露出させている女達に、その観念があると
はとても思えなかった。
 『さすれば・・・・・候補は5名となりますな』
 ルトフの言葉を聞きながら、アシュラフも女達に視線を向けた。
女達の傍にいるのは多分家族だろう、数人の男や中年の女がついている。
どの顔も、中東の同じ血筋の民族だろうとは察しがついた。
 しかし・・・・・。
 『あれは?』
 『はい?』
 『あの窓際にいるのは東洋人か?』
その一角だけ、人の輪が途切れていた。
立っているのは2人。1人は東洋人らしいが、かなり堂々とした体躯の中年男で。
もう1人は他の女達よりも少し背の高い、アバヤをすっぽりとまとった人物だ。
他のアバヤをまとった者達はレース素材の少し薄手の物が多かったが、その人物は厚手で、顔立ちはおろか表情さえも分から
なかった。
 『・・・・・ああ、あちらは日本の企業の人間ですね』
 『日本?』
 『ケイスケ・ナガセ。彼はここ数ヶ月、我が国での石油発掘権を得る為に頻繁に来国をしているらしいのですが、その見識の
深さに大臣が感服したようで』
 『・・・・・』
 『ぜひ、皇子に紹介したいと、この見合いを理由にこの席に呼んだらしいのです』
 『娘を連れて?』
 『名目は、あくまでも見合いですから。後ほど話をする機会を・・・・・アシュラフ様っ?』



 「と、トイレに行きたくなった」
 「我慢しなさい」
 張り詰めた緊張感から逃げ出したいと思った悠真の口実を一言で却下した父に、悠真は本当にどうしようかと視線を俯かせ
てしまった。
(父さん、人事だと思って・・・・・)
ただ・・・・・先程までは一刻でも早くこの場を立ち去りたいと思っていたが、さっき見た、目の奥に焼き付いたエキゾチックな男の
顔が妙に気になって、その場に足が止まっていた。
もちろん自分から近付いたり声を掛けたりしようとは思わないが、もう一度あの綺麗な顔を見てみたい・・・・・そう思ってしまった
のだ。
 「ゆっ、悠真っ」
 「え?」
 そんな事を漠然と考えていた悠真は、急に腕を引っ張られてよろめいてしまった。
 「とう・・・・・」
 「アシュラフ様だっ」
 「え?」
慌てて顔を上げた悠真は、目の前に立つ白いカンドゥーラが眩しく目に映った。
 「少し、お時間宜しいか」
 「・・・・・」
耳をくすぐる甘い声の意味を一瞬後に聞き取った悠真は、男が日本語を話していることに気が付いた。



 「少し、お時間宜しいか」
 声を掛けた瞬間、アバヤから覗く目が丸くなって自分に向けられたのを見て、アシュラフの頬には笑みが浮かんだ。
(まだ幼いようだな)
身長こそ他の女達に負けてはいないが、その体が華奢なのはアバヤ越しからも見て取れた。
見えているのは目だけだが、それだけでも随分相手が若いことは分かる。
 「名は?」
 「永瀬、悠真です」
 固まってしまった悠真の代わりに父親が応えると、アシュラフは視線だけで黙るように指示した。
声を聞きたいのは父親の方ではなくこの娘の方なのだ。
 「お前の口で答えなさい」
 「・・・・・な、永瀬、悠真です」
 「ユーマか」
小さな声は、女にしては少し低い感じがする。
(・・・・・顔が見てみたいな)
 海外に留学していた時、ルームメイトが日本人だった。通っていた大学でも、期間入社した企業にも日本人がおり、アシュラ
フは今後のビジネスの為にも、書くことは無理だが普通の会話ぐらいは日本語を話せるのだ。
興味がそそられたアシュラフは、不意に悠真の腕を掴んだ。
 「!」
 『ルトフ、父親の相手を』
 『かしこまりました』
呆気にとられた悠真の父親と広間に集まった他の見合い相手達は、ただ呆然と悠真の腕を掴んで引きずりながら歩いていくア
シュラフを見送ることしか出来なかった。


                                   ◆


 悠真が連れて行かれたのは、離宮の中庭だった。
見かけるのは剣を装備した衛兵だけで、そこだけ見ればまるで別世界のように思える。
しかし、そんな風に暢気に思っている場合ではないと、悠真は揺れるカンドゥーラから時折見えるアシュラフの精悍な横顔に視
線を向けた。
それだけでは、アシュラフが怒っているのかどうかは分からない。
(なっ、どっ、どうしたらいいんだよ〜っ)
父親が傍にいないとどうしたらいいか分からない悠真は、ただ引きづられるままに歩くしかなかった。
 「ユーマ」
 やがて、アシュラフの足が止まると同時に悠真の足も止まった。
そこは全く人影の無い、中庭の東屋(四方の柱と屋根だけの休息所)のような場所だ。
 「ユーマ、顔を見せろ」
それは命令し慣れた、人の上に立つ人間の傲慢な言い方だったが、不思議と不快な思いにはならなかった。
元々アシュラフが持つ空気が、彼は普通の人間とは違うのだと思わせているからかもしれない。
 「・・・・・」
 「お前は私の妾妃候補だろう?夫となる私には顔を見せても構うまい」
 「い・・・・・いや、です」
 「・・・・・」
悠真の緊張はピークに達していた。
もしもこの場で悠真が男だと分かってしまったら・・・・・いったい自分と父親がどんな罪になるかは分からない。
こういった中東の国々の王族の力は偉大で、その王族を騙したとなると最悪・・・・・。
(ま、ま、まさか、死刑、とか・・・・・)
悠真はギュッと縋るようにアバヤを握り締めた。
 「ユーマ」
 「や、ですっ」
 「・・・・・そこまで貞淑な女も珍しい。我が国の女ならば、今頃衣服を全て脱いで私の前で足を開いている頃だが」
 「・・・・・っ」
 「悪いが、この離宮では私が法律だ。すべては私の意のままにさせてもらおう」
 「あっ!」
 次の瞬間、アシュラフの手が悠真のアバヤに掛かった。
 「やめ・・・・・っ!」
輝く太陽の下、悠真の姿が晒された。



(・・・・・男か?)
 襟首までの短い黒髪に、全く化粧気のない顔。
大きな黒い目が印象的だったが、顔の作りからしてもその目は大きく、まるで猫の目のようだった。
しかし、どんなに可愛らしい容貌でも、悠真が女だとはとても思えなかった。アバヤの下に来ていたシャツの胸元も全く膨らみもな
く、腰の周りの肉付きも薄い。
何より女が持っているだろう色気や媚が全く無く、アシュラフは悠真が男だったのだと確信した。
 「・・・・・男の身で、妾妃になろうとしたのか?」
 「お、俺は・・・・・」
 「それとも私を謀って、笑い者にでもするつもりだったか?」
 悠真は首を横に振った。
綺麗な黒髪がサラサラ揺れるさまを見ていると、アシュラフの心の中には今まで感じたことが無い思いが生まれた。
(・・・・・触れてみたいな)
 女を抱くという欲望の為に手を伸ばすというのではなく、柔らかそうな髪に触れてみたいという純粋な思い。
男に対して・・・・・と、いうより、今まで誰に対しても思ったことが無い平凡な思いに逆らうことなく、アシュラフはそのまま手を伸ば
した。
 「!」
 「柔らかな髪だな」
 「・・・・・お、皇子様」
 「我が国の人間は、皆日に焼けて硬く粗い髪の者が多いのだが・・・・・」
 呟きながら髪を撫でていると、悠真がじっと自分を見つめている視線に気が付いた。
まるで砂漠の夜の闇を凝縮したような美しい黒い瞳に、自分の姿が映っている・・・・・そう思うと、アシュラフの身体の中にほのか
な炎が生まれた。
 「・・・・・」
 今まで見たことがある日本人は、どこか頑なで卑屈で、そして曖昧な笑みを浮かべるというイメージだった。
しかし、悠真はどこか違う。
その目を見返そうとすれば慌てて視線を逸らすくせに、ふと顔を違う方に向けると、横顔に熱い視線を感じた。
それが、故意にやっているのだとすれば興がそがれるのだが、悠真の様子ではそれは全くの無意識の行動のようで、アシュラフは
そんな悠真の視線の意味を知りたくなってしまった。
 「ユーマ」
 「・・・・・」
 「お前は、本当に私の妻になる気があるのか?」
 「つ、妻?」
 「見合いの場にいるということは、私の妻になる気があるということだろう?」
 男というのはもう分かったのに、アシュラフの中では悠真の存在を切る捨てるという選択は生まれなかった。
他の王族の中には、自分のハレムに密かに男の愛人を囲っているという噂の者もいるらしい。
皇太子という身分の自分だが、きちんと正妻さえ娶って跡継ぎをつくれば、後はどんな国のどんな相手でも・・・・・たとえそれが
男でも、選ぶアシュラフに苦言をていする者はいないだろう。
(・・・・・私は、何を・・・・・)
 そこまで考えて、アシュラフは既に自分が悠真を受け入れようとしていることに気が付いて思わず苦笑が漏れた。
妾妃を決める集団見合いの中に紛れ込んだ異国の少年。
(エキゾチックな東洋の真珠を手に入れたい・・・・・)
初めて感じる、欲しいという感情を、アシュラフはそのまま率直に言葉にした。
 「ユーマ、私はお前を選びたいのだが」
 「ち、違うんですっ。俺、あの、代わりに・・・・・」
 「代わり?どういうことだ?」
 問い詰めると、詰まりながらも悠真はなぜ自分がここにいるかを説明し始めた。
父親の会社の事情と、家には女の兄弟がいないということ。
騙すつもりはなかったが、とにかく見合いに参加をする為にも自分が身代わりで付いてきたということ。
とにかく、結果は騙すことになってしまったが、自分としてはけしてアシュラフを軽んじたわけでは無いのだと、分かってもらう為だろ
う、一生懸命言葉を尽くしている。
そんな悠真を、アシュラフはじっと頭上から見下ろしていた。






                                     





アラブ物、第2話ですね。
なかなか話は進まず、本当に5話で終われるかと暗中模索中です(笑)。
とにかく、アシュラフには押せ押せで、子供な悠真を取り込んでもらいますよ。