屋烏の愛 おくうのあい
2
香港伍合会のロンタウであるジュウが再び日本に現れ、あろうことか真琴と接触したということが確かになり、海藤はその対応
にも神経を尖らせなければならなくなった。
必然的に、香港にも協力者がいる綾辻が彼と行動することになり、倉橋は間近に迫る海藤の理事就任の様々な雑務を1人
で引き受けることとなった。
正直に言ってしまえば、倉橋は自分こそが海藤の傍にいて彼の手助けがしたかった。しかし、自分が盾になることも出来ない
ほどに役立たずだという自覚はあり、それならば少しでも海藤の手を煩わせないよう、理事就任に関しては完璧にフォローしよ
うと、倉橋は再び大東組本家へと1人でやってきた。
「開成会の」
「・・・・・お疲れ様です」
母屋に入って直ぐ、古参の組長に会った。
確か、今年50になるはずのその男が以前から理事の席を狙っていることは知っていたし、きっと海藤の就任について腸が煮えく
り返っているだろうとも容易に想像がついたが、自分の方からその話題を出すほどに倉橋も愚かではなかった。
「義理事以外でここに来るなんて珍しいな。日の出の勢いの異端児の開成会も、そろそろ枠ってもんを考えるようになったの
か?」
「・・・・・」
「海藤は?」
「今日は私1人です」
「・・・・・ふん、お高くとまってやがる」
若い若いと言われるものの、海藤は父親と伯父、どちらもがこの世界で成功を収めていて、いわばサラブレッドという立場だ。
成り上がった者達とは格が違うと倉橋は思っているが、どうやら目の前の男は古臭い年功序列というものに拘っているようだ。
それ程、理事という地位に就きたいのならば、それに見合う働きをすればいいだけだと思うのだが、こういった輩は他人の批判を
することが最短距離だと思っているから始末に悪い。
「おい、今回の席にいくら積んだ?」
「・・・・・どういった意味でしょうか」
「ガキじゃないんだ、俺の言葉の意味が分からないってこたあないだろ。おい・・・・・」
「何をしている」
いくら言っても顔色一つ変化させない倉橋に苛立った男が一歩足を踏み出した時、背後から低い声が聞こえた。
恫喝しているわけではないのに、聞く者が聞けば威圧する声音。現に、倉橋の前にいた男はパッと顔を上げて声の主に頭を下
げると、そそくさとその場を去って行った。
(・・・・・なんだ、あの人は)
自分から絡んできて、さっさと尾っぽを巻いて逃げる。いったい何がしたかったんだと冷ややかに見つめていた倉橋に、今度は
先程とは違う苦笑混じりの声が掛かった。
「大丈夫か?」
「はい。気を遣っていただきまして申し訳ありません」
丁寧に頭を下げた倉橋は、改めて歩み寄ってきた男を見た。
そこに立っていたのは、普段は組長代行として飛び回り、なかなか本部に顔を出さない大東組若頭、天川会(あまがわかい)
会長、九鬼栄(くき さかえ)だった。
今年45歳になるはずの九鬼は、身長も倉橋より高く、体もがっしりと鍛え上げたものだった。
一見、武闘派に見える男だが、実は彼は東大の経済学部を出て、大蔵省に入省していたという異例の経歴を持っている。
何時、どんな切っ掛けでこの世界に入ったのかは分からないが、倉橋はどこか自分と同じ匂いのするこの九鬼に好感を持って
いた。
「あんなのがまだいるとはな」
「仕方がありません」
「はは、海藤やお前ならそう言うと思った」
実は、倉橋が海藤に誘われてこの世界に入ってから三ヶ月間程、この九鬼に付いていたことがあった。そうした方が良いと海
藤に言ったのは菱沼で、海藤もそれが倉橋の糧になると思ったのだろう。
今まで生きてきた世界と全く違う世界のことを知るだけで精一杯だった倉橋にとって、多くは語らないものの居心地の良い九
鬼の傍にいるのは安心出来た時間だった。
「準備はどうだ?」
「一応、滞りなく」
「お前が言うのなら間違いはないな」
時間は流れ、今は大東組の若頭にまでなりあがった九鬼は忙しい身で、こうやって本部で顔を合わすのも新年の挨拶以来
だ。
「九鬼さんは、その件で?」
公の場以外では名前で呼ぶようにと言われた言葉を忠実に守る倉橋に、九鬼は穏やかな笑みを見せてくれる。目尻の皺が
知り合ってからの年月を感じさせるが、それで彼が老けたようには見えなかった。
「明日、九州に発つが」
「お忙しいんですね」
「案外楽しんでいる。気軽な独り身だしな」
「・・・・・早く、1人に絞った方がいいのではないですか?」
片手ほどの人数の女を囲っているという噂を聞いたことはあるが、九鬼は未だに独身だ。彼ほどの男なら、たとえヤクザでも良
いという女は数多くいると思うが・・・・・。
「今がいいんだよ」
「九鬼さん」
「お前も忙しいだろうが、無理をしないようにな。今は下っ端じゃないんだ、人を使うということも覚えろ」
そう言って、子供にするように頭を撫でてくれる。いい年をした大人がと言われるかもしれないが、その九鬼の思いが心に沁み
て、倉橋は素直に頷くことが出来た。
珍しい相手に会ったと思った倉橋だが、それはその後にも続いた。
襲名式の招待客や席順など、他の理事就任者の代行者と頭を悩ませる話し合いを一時期中断して休憩を取ろうとした時、
「やっぱり、あなたでしたか」
「・・・・・」
どこか笑みを含んだ声を掛けてきた相手に、先程の九鬼に向けた温かな気持ちとは別の感情が生まれた。
それに言葉をつけるのならば、不安・・・・・いや、恐れか。
「・・・・・今日は、どうしてこちらに?」
「大事な義理事ですから、多少協力をしなければと、ね」
「・・・・・」
(誰が、呼んだんだ?)
羽生会の会計監査である小田切裕(おだぎり ゆたか)。名目的には本部から出向という形で羽生会にいるのだが、今では
もう完全にあちらの人間になっているのは周知のことだ。
それでも、小田切の人脈と知恵は本部にとっては簡単に捨て難いものらしく、時折こうして本部に呼ばれていることは以前にも
聞いたことがあった。
それは、どこか自分の恋人である綾辻にも共通しているが、倉橋にとっては同じ分かり難くても、全く思惑が読めない小田切の
相手は神経が疲れた。
「もしかして、上杉会長も?」
ふと、倉橋は連想してしまった。
当初、理事の席は2つ空いたとされていたが、ここ数日でもう一つの席が空くことが追加決定された。もしかしたらその空いた席
が上杉ではないかと倉橋は思ったのだ。
しかし、
「さあ、どうでしょうか」
小田切は相変わらず穏やかな笑みを湛えながらそう言う。
「役付きに関しては本人に任せていますので、なんとも」
「・・・・・小田切さんには何の相談も無いのですか?」
「結局は自分で決める人ですからね」
「・・・・・」
「ああ、でも、私は海藤会長の就任には賛成ですよ。彼のような人が組織の中にいたら心強い。多少・・・・・」
面白みが無いかもしれませんがと続く小田切の言葉に、少し眉間に皺が寄ってしまった。
【ええ、相変わらず可愛い人でしたよ。自分では分からないのでしょうが、ビクビクと私を見る様子がどこか小動物のようでした
し。あんな可愛い人を何時も見ることが出来て羨ましい】
「・・・・・それって、嫌味でしょう?」
今自分達が会う時間もままならないことを小田切は知っているはずだ。それなのにそういう言葉をいうとは、もしかして小田切
自身の私生活も忙しいのだろうか?
(どっちにしても、いー迷惑なんだけど)
時間は深夜2時、場所は開成会事務所。
共にいるのは階下にいる留守番の組員達。
目の前にはその組員に買ってきてもらったコンビニの肉まん。
(なんだか・・・・・虚しいじゃない)
ジュウはなかなかその姿を見せない代わりに、ターゲットである真琴にはその影を感じさせていた。じわじわと恐怖を植えつける
やり方は感心しないが、賢いやり方ではあるとも思っていた。
海藤の理事の襲名式も間近に控え、早急の決着を図るために香港でも人を使って色々と調べさせているものの、それはけ
して容易な作業ではない。
オマケに、倉橋ともすれ違いの日々が続き、真面目な彼は仕事中の電話も事務的なものばかりで、ちょっとした愛の囁きさえ
も許してくれず、さすがにフラストレーションは溜まっていた。
そんな時に掛かってきた一本の電話。
いつもならその会話のやり取りも楽しいものなのだが、さすがに今の状況では少し・・・・・きつい。
「それで?そっちは上杉会長の理事の件で?」
【私は別件です】
「本当に~?」
【まあ、うちのはもう少し遊んでいたいのかもしれませんね】
「・・・・・」
(じゃあ、上杉会長は辞退か)
彼は実力もカリスマ性もあり、何時上にあがってもおかしくないと思っていたが、何分本人に貪欲な上昇志向が無い。
それは海藤にも言えることだったが、今回海藤は決断し、上杉は再び流した・・・・・そういうことなのだろう。
【清竜会(せいりゅうかい)の、確か断ったんですよね】
「・・・・・あの人こそ、面倒なことが嫌いなのよ」
【残念でしたか?】
「・・・・・」
清竜会(せいりゅうかい)会長、藤永清巳(ふじながきよみ)。綾辻にとって若い頃に圧倒的な影響を与えてきた相手だが、そ
の彼と自分の関係を、小田切はどこまで知っているのか・・・・・綾辻は用心深く、話を変えた。
「何だか、うちの会長だけ貧乏くじを引いたみたいじゃない」
【まさか。海藤会長には期待していますし、私も上杉も協力は惜しみません】
「はいはい、その言葉信じるわよ~」
倉橋はパソコンから視線を上げて時計を見た。
既に時間は深夜2時を過ぎている。
「もうこんな時間か・・・・・」
千葉から戻ったのが既に午後10時を過ぎていたので直接マンションに帰り、そのまま仕事を続けていたらこんな時間になって
しまった。
明日も早くから事務所に行って、普段の業務をこなさなければならない。
(綾辻さんは、もう帰っただろうか・・・・・)
夕方、一度彼から電話が入った。
いや、一日に何度も連絡は入るのだが、慌しく動いているとタイミングが合わないことが多く、メッセージが吹き込まれていた。
ジュウに関する報告もしてくれるのだが、電話のほとんどは愛の言葉で、会いたいだの、愛してるだの、そのメッセージを聞くだけ
で赤面してしまうものがほとんどだ。
だが、それが嬉しくないということは無いのだが、夕方たまたま取った電話の時も、思わず突き放したような物言いをしてしまっ
た。こんな無愛想な自分に、綾辻はよく呆れないなと思う。
「・・・・・」
携帯を取り出し、男の番号を呼び出すが、もう遅い時間ということもあり、起こすのが申し訳なくて実際にかけるのを止めてし
まい・・・・・。
「・・・・・お休みなさい」
携帯電話に向かって言った言葉が、綾辻の耳に届くといいのにと思いながら、行動に出来ない自分が情けなかった。
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