peril point
6
講義が終わり、ノートを鞄に入れていた静は、ちょうどタイミングよく携帯にメールが届いたのを目にした。
普段からあまり携帯を頻繁には利用していない静は、夜寝る前になって午前中に届いたメールに気付くこともよくあるのだ。
アドレスを知っているのがごく親しい者達ばかりで、彼らはそんな静の性格もよく知っているので怒られることは無いのだが、こんな
風にジャストタイミングでメールを見ることが無い静は妙にウキウキと(表情にはほとんど出ないが)してしまった。
「誰からだろ?」
この後、友人である友春と基紀と、久し振りに昼食を一緒に食べる約束をしているので、その連絡かなと差出人も見ないまま
メールを開くと・・・・・。
「・・・・・え?」
(こーくん?)
メールの相手は森下からだった。
再会したのはつい三日ほど前で、その時は氷室も直ぐにやってきたので会話もあまり出来ずに別れてしまったはずだ。
「アドレス・・・・・教えたっけ?」
多分、教えてはいないはずだ。
住所ではないからと、静は相手から聞かれたらアドレスを教えることにあまり躊躇いは無いが(もちろん、親しくない相手には教え
ないが)、江坂はあまり面白くはないようだった。表立って静の交友関係に口を出すことは無いが、遠まわしに2人でいる時間を
優先して欲しいというような空気は感じる。
もちろん、静も江坂といる時間が楽しいので、江坂が不快に思うことを進んでしようとは思わなかった。
「・・・・・」
もしも、森下に直接アドレスを聞かれたら、静は多分教えていたと思う。
しかし、静が直接教えないアドレスにこうしてメールを送ってきたということは、静の知人から間接的に聞いたということで、それは静
にとってもあまり気持ちのいいことではなかった。
【この間は久し振りに話が出来て嬉しかったよ。
しーちゃん、実は君の大事な人について、俺は重要な秘密を知っているんだ。これから直ぐ会うことは出来ないか?
もちろん、今しーちゃんに付いている男を抜きにしてね】
(大事な人・・・・・?)
どうして、森下はそんなことを言ってきたのか分からなかった。
同じ大学に通っているとはいえ、再会して言葉を交わしたのはつい数日前だ。それなのに、静の大事な人・・・・・多分、これは江
坂のことを指しているのだろうが・・・・・のことを知っているのだろうか?
それに、先日は従兄弟だと紹介した氷室のことを、【付いている男】と書いてある。氷室が、江坂が静に付けた護衛だということ
を知っているのだ。
「・・・・・」
携帯の液晶を見つめながら、静はどうしようかと考える。
教室を出れば直ぐに氷室が待っているだろうし、1人で森下に合う時間など取れない。
そもそも、2人きりで会う必要があるのかとも思うが、自分のことではなく江坂のことでという文句が引っ掛かり、どうしても自分の
目で、耳で、ちゃんと確認したかった。
「・・・・・江坂さん・・・・・」
(どうしよう・・・・・)
橘がアポイントを取った弐織組の関東支部長、鴨下修(かもした おさむ)は50歳を少し超えた感じの落ち着いた男だった。
ヤクザというよりは税理士のようにきっちりとした雰囲気で、これならば多少は話が通じるようだと江坂は思う。
「突然お呼び立てしまして」
人目が無い方がいいからと、昼の営業時間外の料亭の個室を用意させた江坂は、用意されている酒にも食事にも一切手を触
れていない鴨下の様子に、かなりに詰まっている現状を見たような気がした。
「お食事は口に合いませんでしたか?」
「お気遣い、感謝します」
自分よりも年少の江坂に、こうして頭を下げることが出来るのはそれなりの矜持と同時に頭の回転もいい男だろう。
「他所の組のことに口を挟むのは本意ではないのですが」
「いえ、こちらの方こそ、大東組の理事の手を煩わせてしまいまして・・・・・申し訳ありません」
「・・・・・」
「橘君の方から大体の話は聞きました」
それでかと、江坂は自分が切り出す前に向こうが謝罪してきた訳を知った。
厳密に言えば、これは大東組に喧嘩を売られたわけではなく、一個人江坂の情人にちょっかいを出されそうになっているという話
だ。
いまだ実害があったわけでもないこの話に、関東支部長が頭を下げるということは、噂以上に弐織組内では千葉は要注意人物
になっているようだ。
(組織の若頭という地位の男が、な)
鴨下を見ればそれ程人材不足だとは思えないが、組織の長、組長の意見はその組の総意となってしまう恐れがあり、組長が
馬鹿だと、その下の者がどんなに優秀でも収集が着かなくなるのだ。
それでも、新しい組長という男が千葉を締め出そうと動いているのならば、まだ弐織組は終わりではないのかもしれない。
「書類は全て受け取りました」
「そうですか」
「シノギが減って、どこの組も苦しい経済状況ですが、あんな馬鹿なことをしでかしているとは・・・・・」
森下建設との関係を、千葉は上に告げていなかった。
金づるの名前を他の者に伏せるという遣り方はままあるものの、千葉は弐織組の力を使って非合法なことをしており、万が一目
を付けられれば弐織組本体にも捜査のメスが入りかねない。それならそれで予め報告をしておかなければならないのだが、追い
詰められた獣は考える脳は持っていないらしい。
「私はあの男の醜聞を公言するつもりはありませんよ」
「・・・・・」
「弐織組の中にも、あなたのように話が分かる方もいらっしゃるようだし、他にも面白い人材もいるようだ。私が言うことではありま
せんが、大事に育てられた方がいいですよ」
「・・・・・ええ」
「私としては、私の情人に手を出さない限り動きません。そちらにも一切関わらないことを約束しましょう」
「・・・・・」
「では」
江坂の言いたいことはそれだけだ。
話は済んだと立ち上がった江坂の背中に、少し焦ったような鴨下の声が追い掛けた。
「江坂理事っ」
「・・・・・何か?」
「・・・・・実は、既に昨日千葉には降格を伝えています」
「・・・・・」
「奴に、三日待って欲しいと言われました。億の金を上納するので、降格だけは待って欲しいと」
月々のシノギにさえも苦慮している千葉がどこからその金を持ってくるのか・・・・・鴨下の漠然とした不安を江坂も感じ取り、立ち
去りかけた身体をもう一度鴨下に向けた。
「出所は言ったのですか?」
「・・・・・はっきりとは言いませんでした。ただ、思い掛けない所で思い掛けない金の卵を産む鶏を見付けたと。バックにいる者は
かなりの大物だから金など・・・・・」
「失礼」
鴨下の言葉を言下に遮った江坂は、会っていた料亭の個室を足早に出た。
そしてそのまま玄関へと足を向けながら、携帯である番号を呼び出して鳴らす。
「・・・・・」
呼び出し音は鳴るものの、なかなか相手は出てこなかった。もしかしたら鞄に入れっぱなしで忘れているのかもしれないし、トイレ
に行っているのかもしれない。
出ない理由は今までのことを考えれば様々にあるが、今この瞬間だけはそのどの理由も納得出来ず、江坂は留守電に切り替
わった向こうに、出来るだけ感情を抑えて柔らかい口調で言った。
「静さん、今夜食事を一緒にとりましょう。これを聞いたら折り返し連絡を下さい」
いったん、それで静への電話を切った江坂は、続いて氷室の携帯へと電話を掛ける。
鳴り響く呼び出し音が増えるたびに、江坂の眉間の皺は深くなっていった。
一時間前−
静が教室の外に出ると、案の定そこには氷室が待ってくれていた。
「何時もすみません」
「ご苦労様です」
軽く頭を下げた静は、少し口篭ったものの・・・・・思い切ったように顔を上げて言った。
「あの、俺、行きたいところがあるんですけど」
「どちらに?」
理由は聞かず、その行き先を聞いてくるということは、氷室も当然付いてくる気なのだろう。
【もちろん、今しーちゃんに付いている男を抜きにしてね】
あのメールの通りにしなければ、もしかしたら森下は会ってくれなくなるかもしれない。それは困るなと静は綺麗な眉を顰めたが、
そうかといって強引に話を進めることも出来なかった。
静が何とか誤魔化して氷室を離したとしても、それは彼にとっては失態となる。自分のせいで氷室が江坂から叱責を受けること
はやはり心苦しい。
(氷室さんが悪いことをしたわけじゃないんだし・・・・・)
こんな風に静が氷室を気遣うことも江坂は面白くないということに気付かない静は、思い切ったように氷室の腕を掴んで廊下の
隅へとやってきた。
「これ」
「・・・・・」
静に携帯を見せられた氷室は、メールの文章に眉を顰めた。
「まさか、1人で行かれる気じゃなかったんでしょうね?」
「・・・・・そのつもりだったけど、氷室さんを誤魔化すことなんて出来ないだろうし・・・・・それなら正直に言って・・・・・」
「私もお供します」
「・・・・・1人じゃ駄目・・・・・ですか?」
「あなたがここで私を殺したとしたら、1人で行かれるのを止めることは出来ませんけど」
「そ、そんなこと出来ませんよ!」
「・・・・・そういうことです」
つまり、このことで絶対に氷室は引かないということなのだろう。それもある程度は予想出来たことで、静は諦めたような笑みを頬に
浮かべた。
「氷室さん、頑固なんだから・・・・・」
1人で行くことが叶わないのならば、後は一緒に行くという選択しかない。
静は氷室から携帯を受け取ると、送られてきたメールのアドレスへとある文章を打ち込んで送った。
それから20分後、裏門で待っていた静と氷室の目の前に森下が現れた。
「・・・・・?」
(誰?)
しかし、森下は1人ではなかった。その後ろに2人、明らかに学生ではない雰囲気の男が付いて来ていた。
「困ったよなあ。しーちゃんの我が儘はきいてあげたいけど、この男、絶対邪魔になると思うんだけど」
「こ・・・・・森下君」
「こーくんでいいよ、昔のように呼んでよ」
そう言って笑う森下の笑顔は、先日再会した時に向けられたものとほとんど変わらない。
しかし、こんなにもいい雰囲気とは言い難い空気の中で、変わらない笑顔を浮かべることが出来るということの方が不思議で、
少し怖くも感じた。
「で、でも、一緒じゃないと困るんだ」
静が懇願するように重ねて言うと、森下は少し考えるように首を傾げ・・・・・やがて、氷室の方に視線を向けると右手を差し出
して言った。
「携帯」
「・・・・・」
どうしてと言う前に、氷室は素直に携帯を取り出して森下に渡した。
受け取った森下は中を見ることも無く、いきなりそれを地面に投げつけて壊してしまう。
「何をっ?」
乱暴なその所作に目を見張った静は慌てて壊れた携帯を拾おうとしたが、その直前で森下は静の腕を掴んで自分の方へと引き
寄せた。
「一応、用心の為にね。しーちゃんのは壊さないよ?色んな写メを見せて貰いたいし」
「これの中を確認してからの方が・・・・・」
森下の後ろにいた男達は、恨めしそうに氷室の壊れた携帯を見下ろしている。
大東組理事の情夫のガードをしている男の携帯だ、何か情報が得られたかもしれないとぶつぶつ言っているが、森下は静に向け
るのとは真反対の険しい表情を向けて言い放った。
「たかが護衛の携帯にどんな情報があるっていうんだ」
「・・・・・」
「それよりも、その男をちゃんと捕まえておけよ。・・・・・さあ、しーちゃん、行こうか」
「・・・・・」
「どうしたの?」
「・・・・・」
これは、本当に自分の知っている幼馴染なのだろうか?
静は記憶の中にいる幼い彼と、今目の前にいる男がどうしても繋がらなかった。面影は確かに残っているというのに、その言動は
あまりにも違い過ぎる。
「こ、ここで、話せない?」
「君の大事な人の秘密、みんなに聞かれてもいいわけ?」
「・・・・・」
「ほら」
森下が言っているように、本当に彼が江坂の何らかの秘密を握っているのかどうかは分からない。それでも、静はこのまま自分が
この手を拒絶したら、氷室の腕を掴んでいる2人の男が彼に向かって何をするか・・・・・そう考えると、容易には嫌だと言うことは出
来なかった。
「あ、あんまり、長居は出来ないんだけど」
「大丈夫。ただ、しーちゃんが帰りたくないっていうかもしれないけどね」
何を考えてそう言うのか、森下は笑いながらそう言って静の肩を抱き寄せる。なぜだか気持ちが悪くて振り払いたかったが、静は奥
歯を噛み締める様にしてその手に従った。
![]()
![]()
![]()
ようやく緊迫した雰囲気になりました。
江坂理事の怒りが怖いです・・・・・。