peril point












 江坂は無表情のまま車に乗り込むと、直ぐに口を開いた。
 「所在地は?」
 「・・・・・関越道ですね。確か、軽井沢に森下建設の社長の別荘があるはずです。直ぐに調べます」
 「・・・・・」
言葉短に答えた橘は、そのままノートパソコンを操る。
橘の情報は、静の携帯のGPSと、鍵に付けているキーホルダー、そして靴に取り付けている発信機の3つの情報を総合してのこ
とだ。1つしかなかったら、どこかで処分されてしまうという可能性もあるが、3つの情報が重なっていればほぼ所在地に間違いはな
いだろう。
 本当なら、なかなか取り除けない場所・・・・・たとえば、ピアスや、歯などに小型の発信機を付けたいくらいだったが、静の身体
に少しでも傷を付けたくない江坂は、複数の持ち物でその安全を図っていた。
今も、橘の見るパソコンの画面にはその印が出ており、その3点がほぼ重なっているところを見ると、今のところ、携帯を取り上げら
れたり、服を脱がされたという乱暴なめには遭っていないようだ。
 それでも、静が拉致されたということ自体、江坂にとっては屈辱だった。
大切に、それこそ、腕の中に囲うように守ってきたはずなのに、千葉のような低脳な男とストーカーまがいの森下という若造に静を
連れ去られるなど・・・・・そう思うと、江坂の胸の中が熱く滾る。
 「・・・・・」
 表面上は何時もと変わらない無表情ながら、蒼白になった顔色と、固く握られた拳に、江坂のすさまじい怒りの大きさが表れて
いた。
 「ありました」
 「・・・・・」
 「直ぐに人を向かわせます」
 もちろん、このままこの車も軽井沢へと向かっている。
静があんな男達と同じ空気を吸うのさえ我慢出来ないが、車が間に合うまではまだ少し掛かってしまうだろう。
今は、静を金ズルだと思い始めた千葉の浅はかな考えと、今まで指を銜えて見つめることしか出来なかった森下の情けなさを考
え、最悪の場面になることはまだないと信じるしか出来ない。
 「氷室の携帯は」
 「不在が流れます」
 「・・・・・」
珍しく舌打ちを打つ江坂に、橘は氷室を庇うことなく淡々と自分の考えを述べた。
 「多分、携帯を壊されたか、奪われたかしたんでしょう」
 「・・・・・」
 「氷室への罰は、小早川君が無事に戻ってきてからでいいですね?」
 「分かっている」
 無能な人間に罰を与えるのは簡単だが、静の側に付けているだけあって江坂は氷室に期待している。たった一度の失敗で全
てを否定することはないが、その1つの失敗が最大の間違いであったら・・・・・。
氷室への処遇は、この先どういった行動を取るかで決めればいい。今はとにかく静が無事でいること・・・・・江坂は信じていない神
に祈るしかない自分が悔しくて仕方がなかった。



(どこに向かっているんだろう・・・・・)
 静は自分が乗っている車がどこに向かっているのか全く分からなかった。
窓はスモークが貼られ、外の景色は全く見えない。体感だが、かなりのスピードが出ているような気がするので、もしかしたら高速
に乗ったのかもしれない。
 「・・・・・」
 「ん?」
 静がチラッと隣に座る森下を見ると、ずっと静の表情を見ていたのか直ぐに森下が笑い掛けてきた。
 「・・・・・氷室さんは?」
 「後ろの車に乗ってきてるよ」
 「・・・・・本当に?」
 「俺がしーちゃんに嘘を言うわけないだろう?君が、あいつも一緒じゃなかったら絶対にこの場から動かないなんて我が儘を言うか
ら、俺があいつらに頼んで同行をさせているんだよ」
いかにも自分のおかげだという感じに笑う森下に、多分今何を言っても通じないような気がする。
 「・・・・・」
(このまま、どこに行くのかも分からないまま・・・・・?)
 どんどん、江坂から遠くなっていくような気がする。それだけは・・・・・嫌だ。
 「・・・・・」
やがて、静は決意したように顔を上げた。
 「トイレ!」
 「え?」
 「トイレ行かせて」
 「・・・・・駄目だよ、目的の場所に行くまで我慢出来るだろ?」
 「出来ない。車の中で漏らしちゃってもいいわけ?」
 「しーちゃん、俺を困らせないでくれよ」
 「生理現象だもん、困らせているわけじゃないよ」
これは、賭けだった。
今自分が出来ることは、この車がどこに向かっているかをちゃんと把握すること。非力な自分が腕力で勝てるわけが無いと分かり
きっているので、無駄な抵抗はするつもりはなかった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 じっと森下を見上げていると、しばらくして彼は呆れたような深い溜め息をつく。
 「しかたないなあ・・・・・ちょと、次の東松山で止めてくれよ」
 「・・・・・」
(東松山・・・・・って、確か、埼玉県?)
静が望んだことを森下が運転手に伝えると、相手はなかなかうんと言わなかった。
それでも森下は押し切って(金はいらないのかというようなことを言っていた)、どうやら休憩を取ってくれることは決まったようだ。
 「しーちゃん、もう少しだから」
 出来事だけを見れば、森下は静に優しい。しかし、それは静から見れば独りよがりな優しさで、静の存在を全く無視していると
いってもいいようなものだった。



 普段、あまり高速に乗らない静は、ここがどこだという確信は全くない。
しかし、大きく書かれていた《東松山》という文字で、ここが先程森下が言っていた場所なのだと分かった。
 「しーちゃん」
 「あ、1人で行けるから」
 「中までは付いていかないけど、外で待ってるよ」
 「・・・・・」
 どうやらトイレの中までは見張られないのだと一安心した静は、そのまま1人でトイレへと向かう。
トイレに入る時、自分が今下りた車の方へと視線を走らせると、ちょうどその隣に同じような車が停まるのが見えた。
(あれに、氷室さんが乗ってる?)
確信はない。もしかしたら、森下が自分に嘘を付いているのかもしれない。
 「・・・・・」
 個室トイレに入った静は、自分のポケットを探った。何か、助けを求める物がないかと思うのだが、携帯は森下に取り上げられて
しまったし、鞄は車の中に置いたままだ。
ポケットも、一応と言われながら探られたので、ペン1つも残っていない。
 「どうしよう・・・・・」
 幼い頃、知らない人に腕を引っ張られたことがあった。
何時もは気丈な静だったが、その時は火が付いたように泣き叫び、姿が消えてしまった静を捜していた護衛がその声を聞きつけて
助けてくれたのだが・・・・・。
(今だって、大声で叫べば人はいるけど、そうしたら氷室さんがどうなるか分かんないし・・・・・)
 自分1人だけが助かることなんて出来ないと、静は懸命に考える。
トイレの入口では森下が待っているし、あまり時間はない。
 「・・・・・っ」
 その時、中に大勢の気配が聞こえた。どうやら団体客が入ってきたらしい。
静は直ぐに個室から出ると、直ぐ目の前にいた初老の男に小声で言った。
 「あの、すみませんっ」
いきなり話し掛けた静に驚いたように振り返った男は、その人形のように整った容貌を見て更に目を見張った。



 なかなか出てこない静に焦れて、トイレの中に入って行こうとした森下の目に静の姿が映った。
 「しーちゃん!」
逃げようとはせず、そのまま大人しく自分のもとへと歩いてくる静が、自分に対して従順になったような気がして思わず笑った森下
に、静は自動販売機に視線を向けて言った。
 「何か、買って貰ってもいい?」
 「もちろん、何がいい?」
 「・・・・・水でいい」
 「水ね」
静に背を向けて販売機に金を入れていた森下は、
 「きゃーっ!!」
 いきなり女の大きな叫び声が聞こえて慌てて振り向いた。
 「!しーちゃん!」
静の側のゴミ箱が燃えていた。
森下はとっさに静の手を引こうとしたが、静はそのまま身をかわすと車の方へと駆け出していく。
 「静!」
 直ぐに静を追い掛けた森下だが、後ろではこのボヤ騒ぎに人がかなり集まってきた。これでは、今とっさにここから逃げ出したとし
ても、変な意味で視線を集めてしまいかねない。
 「くそっ」
これが静のしでかした事かどうかは分からないが、森下は自分の意図しない方向へと物事が進みそうな気がして、その顔が醜く
歪んでしまった。



 なんだか、外が騒がしい。
氷室は殴られた格好のまま後部座席の足元に蹲っていたが、気配を感じて外へと意識を集中させていた。
 「おい」
 「何があった?」
助手席と後部座席にいた男達が、様子を見る為に外に出た。その時、運転席の男がドアをロックすることを忘れ、自分も外が
気になるような素振りをしているのが分かる。
(もう少しだ・・・・・)
 外に出て行った男達が車から離れるまでもう少し・・・・・焦れったくても待っていなければならないと、その間に、後ろ手に縛られ
ていた縄を緩めた。こういうことに慣れていない男達なのか、縄は簡単に緩む。
(1、2、3・・・・・)
 心の中でタイミングを図っていた氷室が、今まさに手の縄を全て解いてドアを開いて飛び出そうとした時、

 ガチャッ

 「!」
いきなり外からドアが開かれたかと思うと、眩しい光が中へと差し込んできた。



 いきなりのボヤ騒ぎに、自分を連れ去った男達も多少動揺したような様子が見て取れた。
今、この瞬間しかないと、静は自分が乗っていた車の隣に停まっていた車の後部座席を開ける。
 「おいっ、お前!」
 鍵は、掛かっていなかった。
転げるように外に出てきた氷室は、顔は殴られ、手は後ろ手に縛られてはいたが足は自由なままで、捕まえようと襲い掛かかって
きた男達を足で蹴り上げ、次の瞬間には手の縄も解いていた。
 「氷室さん!」
 「こちらにっ」
 平日だからか、ICにはあまり人影はなかったが、そのほとんどの視線は一方向に向けられている。ボヤ騒ぎに視線が向いている
今、静達に注意を向ける者はおらず、しっかりと氷室は静の手を握り締め、素早くあたりに視線を流した。
 「氷室さんっ」
 「とりあえず車を取りましょうっ」
 「取るって、それじゃ泥棒じゃないですか!」
 「緊急事態ですっ」
 「で、でもっ」
そんなことをしたら氷室が捕まってしまうかもしれないと静が思った時、

 キキーーー!!

タイヤの鳴る音が響いたかと思うと、静と氷室の目の前に車が停まった。
 「!」
 「静っ!」
後部座席から降りてきたのは江坂だ。普段、静の前では何時も落ち着いた態度で、穏やかな笑みを浮かべているのに、今静の
前に立ちふさがった江坂は整えられている髪は乱れ、焦った表情を見せている。
 「江坂さん!」
 「静っ」
 滅多に呼び捨てをすることもない江坂がこんな様子を見せているのは、きっと自分が心配を掛けたせいだ。嬉しくて、申し訳なく
て、一瞬声が詰まってしまった静を、江坂は攫うようにその身体を抱きしめた。
 「・・・・・っ」
胸が詰まっても、嬉しいと思う感情はやはり止められず、静も江坂の背中にギュッと手を回す。
 「・・・・・無事で良かった・・・・・っ」
万感の想いを込めて呟く江坂の言葉に、静は自分の危機が回避されたことを実感した。
(ちゃんと・・・・・戻れた・・・・・!)
江坂の側から離れずにいられたことが嬉しくて、静はここが人目がある場所だということも忘れて、落ちてきた唇に必死で自分の
唇を合わせていた。






                                            







次回はダーク江坂さん登場。
血は苦手なんですけどね(苦笑)。