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中 編





 午後九時過ぎ。
本当はこのまま離れの自分の部屋に戻って休みたかったが、帰宅時に顔を見せなければ後が煩いので宇佐見は本宅の玄関を
開けた。
門をくぐったことで帰宅は知られており、玄関には住み込みの手伝いが待っているだろう・・・・・そう思っていたのに、
 「お帰りなさい、貴継」
そこには母が立っていた。いや、母1人ではない、その少し後ろに若い女がいた。
 「・・・・・ただいま戻りました」
 ここで会えばわざわざ帰宅の報告をしに中へと上がらなくてもいいだろうと、宇佐見は置いた鞄を再び手に取ったが、母は何を
しているの、上がりなさいと続けて言う。
上機嫌な母と、自分を見る女の眼差し。悪い予感がしたが、ここで振り切っても同じことだろうと諦めにも似た思いで、宇佐見
は靴を脱ぐと母が向かうであろうリビングへと足を進めた。

 「貴継、この方は本多里奈(ほんだ りな)さん。私のお花の教室のお友達の娘さんなの。大学を卒業されて、今は家の手伝
いをされているのよね?里奈さん、息子の貴継です。警視庁で警視正のお役をいただいているの」
 「・・・・・初めまして」
 「初めまして、里奈です。夜分までお邪魔してすみません」
 これはいったい何なのだろうか。
 「私がお引止めしたのよ。里奈さんとは話がとても弾むの。御夕食作りも手伝っていただいたし、あなたもよばれなさい」
 「・・・・・もう遅い時間ですが、迎えは呼ばれたんでしょうか」
 「このまま泊まっていただくことにしたわ。貴継も久し振りにこちらで休んだら?」
母が、なかなか身を固めようとしない自分に焦れているのは知っていた。
数え切れないほどの見合い写真を自室に持ってきたし、何度か強引に外で会わせられたこともある。
 以前の自分は、いずれは結婚、それも母が気に入るのなら己の感情など関係ないと考えていたが、ある人物と出会ったことに
よってその思いは180度変わってしまった。
西原真琴(にしはら まこと)、異母兄の恋人で、男でもある彼を知り、その内面に惹かれて、愛の無い相手と共に時間を過ご
すことなどとても耐えられないと感じた。
 その思いから、宇佐見は仕事が多忙だということを言い訳に、いい加減にあしらってきたのだが。
 「ほら、キッチンに行きましょう」
 「・・・・・」
 「里奈さんは和食もお上手なのよね」
 「教室に通っていますから。おば様から、貴継さんが和食がお好きと聞いたのでお手伝いをさせていただいたんですけど」
 「・・・・・」
2人の弾んだ会話を聞きながら、宇佐見の口元には歪んだ笑みが浮かんだ。
(これは何の茶番だ)




 まさか、見合い相手を夜に自宅に呼ぶとは思わなかった。
その上泊まらせ、あまつさえ宇佐見にも同じ屋根の下で休めという。その言葉の中に何かが起こっても構わないというような狡猾
な思いが見えて、宇佐見は食事が済むとさっさと離れへと戻った。
 もちろん、鍵は掛ける。夜這いされ、起きたら腰に跨っていたというような馬鹿馬鹿しい可能性を消すためだ。いや、あの母なら
ば合鍵を作っていることも十分考えられたので、宇佐見はそのまま書斎でずっと仕事を続けた。

 翌朝は挨拶もせずに迎えの車に(何時もより30分早く来るように伝えた)乗り込んだ宇佐見は、警視庁の自分の部屋に入っ
た途端塚越に言った。
 「至急マンションを探してくれ」
 「仮眠場所ですか?」
 忙しい宇佐見が警視庁の側で仮眠が出来る場所を探しているのかと思ったらしい。
 「家を出る」
 「・・・・・お母様が許されないのでは?」
宇佐見の側にいた塚越は、これまでも宇佐見が独立しようとして母親が握りつぶしたことを何度も見てきた。過ぎた母性というよ
りは執着に似たその行動に、いつかは宇佐見が大きな行動を取るのではないかと思っていたようだ。
 「構わん」
 「場所とか、間取りとか、予算なんかは」
 「全て任せる。とにかく至急だ。直前まで私の名前は出すな」
 「・・・・・本気ですか」
 「冗談は言ったことが無いな」
 「分かりました。至急リストアップします」
 一礼して出て行く塚越を見送った宇佐見は、直ぐに積み上げられた書類に目を通し始めた。
あの男に任せていればそれなりに満足する物件を探してくるだろう。
(あのままあの家にいたら・・・・・私は犯罪者になる)
 愛情を掛けて育ててくれたわけではないくせに、今では捻じ曲がった母性をどんどん押し付けてくる母。宇佐見は自分の子供
など見たくなかった。
この自分が、我が子を愛せるはずがない。
 「・・・・・あいつは、違うんだろうな」
 自分と同じように複雑な家庭環境のくせに、異母兄は愛する存在を見付けた。子をなすことは出来ないものの、その存在だけ
でどれ程人生が豊かになるだろうか・・・・・羨ましいとさえ思う。
 己にはそんな存在はいないのに・・・・・そう思った時、宇佐見はふと、机の上に置いた携帯に視線を向けた。
ほとんどが仕事関係のデーターしかないその中の、一風変わったホルダーの中にあるメールを表示する。

 《ご飯だけは三食食べた方がいいですよ。朝ごはんは特に、一日の活力源です!》

 「・・・・・生徒と間違えているんじゃないか」
 少し前に送られてきたメール。そういえば、この返答に自分は何と返しただろうか。

 《食べる》

 「・・・・・」
 今回だけではなく、全般的に宇佐見の返答は短いが、相手・・・・・雅人は、全く気にする様子も無く、頻繁ではないがこうし
て定期的にメールを送ってくれた。
自分のことを気に掛けてくれる存在がいる。それだけで、宇佐見はどす黒く渦巻いていた負の思いが霧散するのを感じた。
 「・・・・・しばらく会っていないな」
 緊急の案件が飛び込んできて、しばらく雅人を誘うことが出来なかった。向こうも夏休み明けで何かと忙しいという話を聞いた
こともある。
 一年ほどの付き合いで、会った回数は頻繁にという言葉が使えないほどのものだが、それでも日々張り詰めた生活をしていた
宇佐見にとっては目新しく穏やかな時間であったことには変わりなく、何時しか、思うだけで胸が苦しくなった真琴のことも静かな
気持ちで考えることが出来るようになって・・・・・。
 「・・・・・特別、か」
宇佐見にとって、雅人は同僚ではない。ただ、友人と言い切るには少し、違う気もした。




 二日後には、塚越は幾つかの物件を提示してきた。
どれも職場から近く、一人暮らしをするには少し広めの部屋ばかりだった。
 「ワンルームでもいいんだが」
 「却下です。このくらいの広さがあった方がいいでしょう?ご友人も呼びやすいし」
 「・・・・・雅人か」
 「紺野さんを思い浮かべられたのならそうですね」
 微妙な言い回しだったが、確かにワンルームの部屋では雅人も居心地が悪いだろう。
今まで実家には呼んだことがなかったが(母親に会わせるのが嫌だった)、家を別に持てばゆっくりとした時間を過ごすことも出来
るだろう。
 「・・・・・これに決めた。直ぐに手続きをしてくれ。入金は明日一括払いだ」
幾つかの物件の中から雅人の学校からも近い場所のマンションを選び、宇佐見は塚越に至急頼むと言った。




 内密に運んだ一人暮らしの家選びだが、どうせ引っ越せば母には知られてしまう。
職場まで怒鳴り込まれても困るからと、宇佐見は全ての手続きが終了した後、その契約のコピーを持って両親の前で独立する
ことを伝えた。
 「どうしてなのっ?」
 案の定、母は目を吊り上げて怒鳴った。この歳にしては随分若々しい容姿を誇っているものの、こうして顔を歪めれば歳相応
に見える。
全ての反応を予期していた宇佐見は、冷静に義父に向かって説明をした。
 「三十も過ぎた息子が、何時までも親の世話になっているというのもおかしな話でしょう。私も収入がありますし、ようやく独り立
ちをしようという気になりました」
 「貴継っ、あなたもしかして結婚する気なのっ?この間の里奈さんとっ?でも、それならばここで一緒に住めばいいことだわ!お
母さん、あなたのお嫁さんとは絶対上手くやっていくつもりよっ?」
 「・・・・・」
(嘘をつくな)
 我の強い母は、一家に女主人は一人で良いと思う人だ。もしも、宇佐見が結婚したとしても、その相手は自分の支配化にお
くように仕向けるだろう。
上手くいくはずの無い嫁姑に、神経をすり減らすつもりはなかった。
 「結婚はしません」
 「ど、どうしてっ?」
 「今はその時期ではないからです。母さん、あなたももう私のことは気になさらず、自分のお好きなことをやられてください」
 今でも十分好き勝手しているだろうがと心の中で嘯くが、母は結婚しないのならば出て行く必要はないと煩く言い続ける。
いい加減怒鳴りたくなってしまうのを、グッと拳を握り締めることで抑えた宇佐見に、義父が契約したマンションの間取りを見なが
ら言った。
 「一人暮らしにしては少し広いな。・・・・・結婚はしないにしても、誰かと住む気じゃないのか?」
 「貴継!」
 「・・・・・」
 狭いよりは広い方がいい。
それだけの理由では駄目なのかと舌を打つ思いでいた宇佐見は、ふと思いついたことを口にした。
 「確かに、1人ではなく、ここには同居人がいます」
 「!」
 「ですが、女性ではありません。友人の・・・・・高校教師です」
 どうしてそんなことを言おうと思ったのか分からない。
それでも、宇佐見はようやく自分が見つけた空間に入ることが出来る存在は彼しか思いつかなかった。








 「直ぐに引越しは無理ですよ。色々準備もあるし・・・・・」
 「決まりだな」

 それから、事後承諾という形で強引に雅人の同意を貰い、直ぐに共に暮らすようになるマンションへと案内した。
まだ宇佐見の荷物も解かれないまま、全く生活感の無いそこを見渡した雅人は、呆れながら駄目じゃないですかと説教を始め
る。
 「炊飯器も無いなんて、ご飯が炊けないでしょう!朝食はどうするんですか!」
 それまではマンションの豪華さに圧倒されていたようだった雅人だが、腹をくくれば日常生活全般で全く無能な宇佐見よりもよ
ほどしっかりと計画をたて、塚越と話をしていた。
 なんだかこうしていると、宇佐見の中にも高揚感が沸いてくる。母親という柵から解き放たれた生活がどんなものなのか、楽しみ
の方が先にたった。
 しかし、その前に雅人には、さらに一つ話をしなければならない。
 「雅人、悪いが一度実家に来てくれないか。同居する相手に会いたいと母が言っている」
 「え?お母さんがですか?」
 「断るのは簡単だが、そうするとお前の高校にまで行きかねない」
 「うわ・・・・・」
どうしても同居相手を連れて来い。それが独立を認める最低条件らしい。別に認めてもらわなくてもいいのだが、雅人に迷惑を
掛ける行動を取られても困ると、宇佐見は一度で済ます方法として面会を承諾した。
 「どうだ?」
 「いいですよ」
 「・・・・・いいのか?」
 「一度ご挨拶はしておいた方がいいでしょうし。あ、それと家賃もちゃんと払いますからねっ?」
 あまりにもあっさりと承諾されたので、宇佐見は一応母親の性格を説明する。
 「こんなことを言うのは恥ずべきことだが、母は少し変わっている。会って驚くと思うが・・・・・」
 「それなら大丈夫です」
 「・・・・・」
 「最近の親って結構変わった人が多くって。ちゃんと対応出来るかどうかは分かりませんが、驚くことはないと思いますよ」
モンスター・ペアレント。最近の学校では、自己中心的で理不尽な要求をする過保護過ぎる親の問題は大きいらしい。日々そ
んな相手と対しているので少々のことなら大丈夫と笑う雅人が何だか逞しく見えた。
 「・・・・・悪い」
 「宇佐見さん?」
 「こちらが勝手に巻き込んで・・・・・」
 「あ、勝手って分かってるんですか」
 「・・・・・それくらいは自覚している」
 思わず眉を顰めて言い返せば、雅人は童顔の顔を綻ばせた。
 「ちゃんと分かってくれているんならいいです。同居も俺が承諾したんだし、2人の問題として色々と頑張りましょう」
何だか、結婚の申し込みに行く気分ですと冗談めかして言う雅人に、宇佐見も母に結婚相手を紹介する気分だなと感じる。
それは案外、想像していたよりも悪くはなかった。