竜の王様




第一章 
沈黙の王座








                                                             
※ここでの『』の言葉は竜人語です





(いったい・・・・・)
 普段、同級生や教師達にも冷静沈着だといわれている龍巳も、その瞳を見て一瞬言葉が出ないほどの衝撃を受けた。
ここは間違いなく日本で、たった今まで自分と幼馴染の昂也しかいなかったはずだ。
それが、突然の滝壺の水のふき出しと眩しい光の後、昂也の姿はなくなっていて、その代わりのようにこの不思議な人物が姿を現せ
た。
 「・・・・・」
 相手も何らかのショックを受けているのだろう、綺麗な碧色の瞳を大きく見開いて龍巳を見つめていた。
(夢・・・・・ってことはないな)
龍巳はゆっくりとその人物の傍に跪き、草の上に広がっている長い銀の髪に触れてみた。
 「感触がある・・・・・」
 『な、何をされるのですかっ?』
 「今・・・・・何かしゃべった?」
 『ここは、人間界なのですか?あなたは人間なのでしょうか?』
 「・・・・・」
(全然何を言ってるのか分からないな)
今まで聴いたこともないような発音の言葉に途惑うが、考えてみれば相手はちゃんと話が出来るのだ。
何とか意思の疎通を取らなければと、龍巳は自分の顔を指差して言った。
 「俺は、龍巳東苑。タツミでも、トーエンでも、どちらでもいい」



(何を話しているのだろう・・・・・?)
 碧香は泣きそうになりながら目の前の人物を見つめた。
自分達とは姿形はかなり似ているものの、着ている衣は随分と変わったものだった。
竜人界では男も女も髪を長く伸ばしているが(竜に変化した時の名残からきているらしいが)、目の前の人物の真っ黒い髪は短い。
兄よりは少し小柄ながらも、薄い衣越しには逞しい身体が見れて、自分を見つめるその黒い瞳も、気遣ってくれる優しさが見えるよ
うな気がした。
 何度も何度も自分を指しながら繰り返す不思議な響きの言葉。
どうやらそれが名前らしいと分かり、碧香は必死でその発音を口の中で繰り返した。
そして・・・・・。
 「と・・・・・えん?」
 思い切って呟いてみると、目の前の人物は目を細めて笑ってくれた。
その優しい笑顔に、碧香は深く安堵した。
(多分、ここは人間界に間違いがないはず・・・・・)
辺りを見回しても、その風景は竜人界のそれとは違う。
竜人界にも緑も空もあるが、こんなに空気が熱くないし、太陽の光も柔らかい。
 『では・・・・・こちらからも誰かが向こうに・・・・・』
 自分が人間界に来たということは、この人間界からも1人竜人界に行ったということだ。全ての事情を知る自分とは違い、何も分か
らないまま向こうの世界に言ってしまった人間に申し訳ない。
(兄様、優しくして下さっていたらいいのだけれど・・・・・)
碧香にとっては限りなく甘く優しい兄は、それ以外に対しては碧香も怖くなってしまうほどに冷淡で厳しい。
その上、竜人界とは対極にあるといってもいい人間界の人間を嫌っている兄。もしかしたらそのまま放置してしまう可能性もあるが、
いったんこちらに来てしまった以上、碧香も簡単には戻れない。
(とにかく紅玉を見付けるまでは・・・・・っ)
 碧香は目の前の人間、トーエンを見上げた。
何も分からないこの人間界で、どうしても必要な協力者。
(そうだ、兄様から頂いたこれを・・・・・)
碧香は胸元の帯に挟んでいたものを取り出した。それは、王宮の地下神殿の更に奥、竜人界を創ったと言われる創竜の墓から突
き出している鱗状の石だ。
 『・・・・・』
 碧香は大きく深呼吸した。
今からすることは自分も初めての事で、失敗するか成功するか、全くの未知数だからだ。
それでもこのままでは何も始まらないと覚悟した碧香は、そのままその鱗状の石を自分の胸に突き刺した。



 「何をするんだ!!」
 龍巳はいきなりの目の前の光景に思わず叫んだ。
まるで魚か何かの鱗のようなものを取り出したかとおもうと、そのまま躊躇いもなく自分の胸に突き刺してしまった相手。
まさかこんな目の前で自殺を図られるとは思わなかった龍巳は直ぐに止血をしようとしたが・・・・・。
 「う・・・・・あ・・・・・ぁ・・・・・」
 「あ・・・・・おい・・・・・血?」
 胸元から流れ出ていたのは赤い鮮血ではなく、不思議な濃い青い血だった。
明らかに、人間とは違う・・・・・呆然とその光景を見つめていた龍巳の目には、更なる不思議な光景が見えた。
胸元に突き刺さっていたはずの鱗のようなものが見るまに身体の中に沈んでいったかと思うと、そのまま傷跡は消えてしまったのだ。
額に汗をかき、荒い息をついていた相手も、真っ青な顔色から見る間に血の気が戻ってきた。
 「い、いったい・・・・・」
 「あ・・・・・の・・・・・」
 「!」
 胸元を青い血で汚したまま、目の前の人物は龍巳に話しかけてきた。
今度はその言葉の意味が良く分かる。話されているのは日本語なのだ。
 「き・・・・・み」
 「私は碧香」
 「あお、か?」
どうやら言葉が伝わっているらしいと安心したのか、相手・・・・・碧香は深い安堵の溜め息をついた。
 「驚かせてしまってごめんなさい。でも、こうしないとこちらの言葉も分からないし、結界も張れないので・・・・・」
 「結界?いったい・・・・・」
 「私の話を聞いてくださいますか?あなたのお力を貸して頂きたいのです」
 「・・・・・」
綺麗な、柔らかい響きの言葉。
自分よりもかなり小柄なこの人物・・・・・碧香が必死で頼んできているのだ。
昂也の世話の延長上、見掛けによらず世話好きを自認する龍巳は、嫌だという選択など思いもしなかった。



 『碧香、人間は狡猾で、自分の目にしたものでさえ、自分の許容量以上の事は信じない。よいか、けして人間を信じるな』

 碧香を送り出す時に、くれぐれもと言った兄の言葉。
兄が嘘をつくとは思っていないが、碧香はこの男が信用するに値すると思った。
なにより見知らぬ人間界では、絶対的な協力者が欲しいのだ。
 だから、碧香は全てを話した。
竜人界のこと。
盗まれた王の証のこと。
自分と兄のこと。
身代わりの人間のこと。
初めて聞けば、絶対に信じられないだろう荒唐無稽な話。しかし、男・・・・・トーエンは最後まで真剣にその話を聞くと、その後分
かったと言って立ち上がった。
 「君がここに来る代わりに、昂也が竜人界って所に行ったんだな?」
 「・・・・・はい、申し訳ありません。私達の勝手な都合で・・・・・」
 「もうなってしまったことは仕方がない。とにかく、その紅玉とやらを探し出せば、君は竜人界に、昂也はこっちにと戻れるってことでい
いんだな?」
 「はい」
 「なら、俺が協力する。さっさと見付けて昂也を返してもらう」
 「・・・・・私の話を信じてくださったのですか?」
 信じられないと呟いた碧香に、トーエンは苦笑を漏らしながら言った。
 「実際、昂也は消えてるし、君は目の前にいる。青い血を見た時はさすがに驚いたが・・・・・傷は大丈夫なのか?」
そう言いながら、トーエンの指が胸元に触れると、碧香はまるで雷に打たれたかのようにビクッと震えて身体を引いた。
 「ご心配、ありがとうございます。この石は、純血の竜人族の身体のみ、沈んでその力を発揮するらしいのです。あなたと言葉を交
わせるのもそうですし、この辺り一帯に結界を張って、私がいることも不思議に思われないようにもなっているはずです。私の命が消え
てしまうか、竜人界に戻るかしなければ、この石の効力は落ちることはありません」
 「へえ・・・・・便利だけど、君の命と引きかえっていうのが面白くない」
 「・・・・・」
(私を、気遣ってくださってる・・・・・?)
 「じゃあ、改めて。俺は龍巳東苑。ここの神社の息子だ。あ、昂也がいない言い訳も考えておかないと・・・・・」
 「それはご心配なく。私がこちらの世界にいる限り、その方はこの世界に存在していなかったということになっていますので」
 「・・・・・それも、複雑だな」
 眉を顰め、ポツンとつぶやく龍巳の声は重苦しい。彼にとってコーヤという人物がどれ程大切なものかがそれだけでも分かって、碧香
は唇を噛み締めて俯いた。
 「申し訳ありません・・・・・」
全ては自分達の都合なのに、何の関係もない相手を巻き込んでしまっている・・・・・そう自責の念を噛み締めている碧香の頭が、ポ
ンポンと優しく叩かれた。
 「すまなかった」
 「・・・・・」
優しいその言葉に、碧香は僅かに首を横に振った。