竜の王様
第一章 沈黙の王座
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(て、手品じゃないよな?)
確かに自分の声なのに、漏れてくる言葉は不思議な響きの言葉だった。
昂也本人は全く意味が分からないのに、目の前にいる赤い目の男は・・・・・いや、他の4人の男達も、驚いたように目を見開いて自
分を見ている。
(これがこっちの言葉なのか・・・・・)
昂也にはわけが分からない言葉でも、きっと目の前の男達には正確に意味が通じているのだろう。
そして・・・・・。
「碧香っ!」
傍若無人というか・・・・・昂也をまるで物でしかないような冷たい目で見ていた赤い目の男が、強く自分の腕を掴んで叫んでいる。
頭の中で響いた声は、自分の兄だと言っていた。
それでは、この声はこの男の弟だという事か。
(・・・・・何か、あんまり深く考えない方が良いかも)
本来ならとても信じられないような現象だが、現に自分はこの変な世界にいるし(これだけ空腹とあの時の痛みを感じたので夢では
ないだろう)、切り替えの早い昂也は、とにかく流れに任せてみるしかないと思った。
《コーヤ》
しばらくして、再び自分の頭の中に先ほどの声が響いてきた。
今、自分が頼れるのはこの声しかないと思った昂也は、何とか現状の把握をしたいと思った。
《勝手に身体を使ってごめんなさい》
(それは、いいけどさ・・・・・俺、いったい何が何だか・・・・・)
《コーヤが分からないのも当然です。これは私達竜人の勝手な都合なのですから。本当は説明をきちんとしたいのですが、初めての
交感をあまり長く続けてはあなたが疲れてしまうので・・・・・また、時間を置いて》
(お、おいって!)
いきなりプツッと・・・・・まるでテレビの電源が切れるかのように意識が真っ暗になった。
『え・・・・・?』
そして、それまで全く感じていなかった疲れがどっと身体全体に襲い掛かってきて、昂也はそのまま立っていられずにその場に崩れ落ち
てしまう。
『・・・・・って・・・・・』
床に柔らかな敷物がしてあるとはいえ、無防備に倒れこんだので痛みは強い。
昂也は起き上がろうとしたが全く身体に力が入らなくて、そのままゴロンと仰向けに転がった。
(うわ・・・・・壮観)
それぞれタイプが違うとはいえ、整った顔の男達が5人、自分を見下ろしている。
ただ、先程までは懐疑や蔑みの光が多かった目の中に、僅かながらも驚きと途惑いが見えた。
(さっきの声のおかげか?)
昂也は頭の中であの声が言ったことを思い出す。
兄だと言っていた男の名前は何と言っていたか・・・・・。
(確か・・・・・)
「グレン?」
目の前の人間の少年の口から自分の名前が零れ出るのを紅蓮は不思議な思いで見つめていた。
いや、たった今、人間界に行ったはずの碧香がこの人間の口を借りて会話をすることが出来たということも、紅蓮にとっては大きな衝
撃だった。
(碧香と、この人間が同調出来ると・・・・・?)
尊い血を受け継いできた竜人の王族の一員である碧香と、卑しい存在の人間。全く価値の違う2人が意識の同調が出来るなど、
紅蓮にとってはとても信じがたいことだった。
しかし、今実際に目の前でそれは行われ、紅蓮だけではなく4人の側近達もその目で、耳で、確認をしたのだ。
「グレン?」
「・・・・・っ」
(私の名を・・・・・)
今まで全く意味も響きも理解出来ない言葉は耳を素通りしていたが、今この人間の少年の口から漏れた自分の名はすんなりと心
の中に入り込んできた。
穏やかで優しい碧香の声とは違い、いかにも少年らしい生き生きとした生命力に満ちた声。
敬称も無く呼ばれたというのに、紅蓮は不快には感じなかった。
「グレン?」
もう一度、その名を呼ばれる。
すると、側に立っていた黒蓉が眉を顰めた。
「紅蓮様を気安くお名前で呼ぶとは・・・・・っ」
その手がまるで掴み上げようとするかのように倒れている身体に伸ばされるのを見た時、
「よい」
思わず、紅蓮はそう言った。
「紅蓮様?」
「人間に礼儀を求めても仕方あるまい」
まるで助け舟を出したような気がして、自分自身眉を顰めた紅蓮だったが、今聞こえてきた碧香の言葉を全く無視することは出来な
いと思った。
紅蓮は4人の側近を振り返り、ゆっくりと口を開いた。
「今の碧香の言葉、しかと聞いたな」
「・・・・・」
それぞれが頷きを返してきた。
とても信じられない出来事だったが、実際に目の前の少年はこの世界の言葉を流暢に話したのだ。
「この者の名はコーヤだ。碧香が戻るまで、しかと世話をしてやってくれ」
そう言い捨てると、紅蓮はもう一度コーヤを見下ろした。
丸い黒い目が、じっと自分を見つめている。敵意も恐れもないその視線を、じっと見ていることは出来ず、紅蓮は無理矢理視線を引
き離して紫苑を振り返った。
「孵った卵のわけも調べねばならぬ。少し落ち着かせてから、この者を私の部屋まで連れて来るように」
「は」
(この者に何らかの力があることは認めねばならぬかもしれぬ)
たかが人間ごときと思っている自分の意識を変えるのは早々には無理だが、人間の中にも例外はあるかもしれないことを認めないで
はいられないだろう。
『あ・・・・・』
赤い目の男が立ち去り、それに続いて憎々しげに昂也を振り返った漆黒の髪を持つ男が立ち去った。
そこに残ったのが昂也と、3人の男達だ。
「紫苑、お前だけで大丈夫なのか?」
「ええ。腕力には自信がありませんが、この者に負けることはないでしょう」
「確かに」
強烈な負の雰囲気を持っている2人がいなくなると、残った3人の様子はそれほど険悪ではないような気がした。
中でも、先程昂也の身体を綺麗にしてくれた男は、他の3人よりも遥かに穏やかな眼差しで昂也を見ている。
「では、我らも紅蓮様のお言葉通りに」
「そうだな」
「頼むぞ、紫苑」
「はい」
何かを話し終えた2人が出て行き、部屋の中には昂也とこの穏やかな眼差しをした男と2人になった。
男は身を屈めて昂也の身体を抱き上げてくれる。やはり、体格は人間以上に立派な感じだった。
(でも、グレンの方が全然危なっかしくなかったけど)
ようやく、1人だけでも(この人物の存在が一番大きいのだろうが)名前が分かったので、昂也の中では大きく前進したような気分だっ
た。
いや、もしかしたら、努力次第で何とかなるかもしれないと思い始める。
『ね、あんたの名前は?』
先ずは、自分にとって一番の味方になってくれそうなこの男と仲良くなりたいと思った。
言葉が分からないのでは意思の疎通もままならないだろうが、せめて名前だけでも知っておきたい。
『おれ、昂也、コーヤ!そっちの名前、教えてよ』
自分を指差し、何度も昂也という名前を言い続けてみた。
「コーヤ、コーヤ!」
「・・・・・」
紫苑は自分の腕の中にいる人間の少年・・・・・コーヤをじっと見下ろしていた。
(名前を・・・・・聞いているのか)
あの不思議な同調を目の前で見ていた紫苑も、この人間の名前がコーヤだというのは分かっていた。
それならば、何度も紫苑に向かって指差して訴えているのは、もしかしたら紫苑の名を尋ねているのかもしれないと思った。
「私の名前か?」
分かるはずもないのにそう問うと、コーヤはもう一度自分を指差してコーヤと言い、次に紫苑を指差して何かを期待するように見つ
めてくる。
その期待に満ちた表情には、少しも暗い様子は無く、紫苑は思わず苦笑を漏らしてしまった。
「お前は本当に我ら竜人とは違う」
(その、底の知れない精神の強さはどこから湧き出てくるのであろうか)
いきなり見知らぬ世界に引きずられ、同じ男に身体を陵辱された。本来ならば打ちひしがれて泣いていてもおかしくは無いのに、この
コーヤは常に真っ直ぐ相手の顔を見てくる。
「・・・・・紫苑だ、シオン」
ふと、紫苑は、コーヤに自分の名を呼んでもらいたくなった。
この少年の声で自分の名を呼んでもらうと、どんな気分になるのだろうかと感じたくなってしまったのだ。
『え〜?分かんないよ、もう一回!」』
「シオン」
『しぇうん?』
「シ・オ・ン」
確か腹が空いたと訴えていたコーヤの為に厨房に向かいながら、紫苑はずっと自分の名前を言い続けていた。
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