竜の王様




第一章 
沈黙の王座



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 「アオカ!」

 龍巳は少し離れた場所からじっとアオカを見ていた。
どうしても自分には知られたくないという雰囲気だったので、声は聞けない距離で、それでも姿は見える場所に立って。
何かを祈るように手を合わせて俯いていたアオカが、不意に顔を上げて嬉しそうな表情になった。
(いったい・・・・・?)
 何が起こっているのか、声が聞こえないので全く分からない。いや、アオカの口は動いているようには見えないので、何かと話している
ようには見えなかった。
それでも、龍巳にはその場の空気が震えているのを感じることが出来ていたが・・・・・。
 「!」
 急に、張り詰めた空気が緩んだ。
まずいと感じた龍巳は、とっさにアオカに向かって走り出した。
 「アオカ!」
グラッとアオカの身体が揺れ、そのまま滝壺の中に倒れ込みそうになる。
その寸前に手を伸ばした龍巳は何とかその身体を腕の中に抱きとめた。
 「アオカッ、アオカ!」
どんなに名前を呼んでも、アオカはぐったりとしたまま目を開くことが無い。
 「・・・・・っ」
龍巳はアオカを抱き上げたまま直ぐに水の中から出ると、急いで祖父の家へと向かった。



 びしょ濡れの状態で戻ってきた2人を、祖父東翔は驚くことなく迎えた。
そのまま奥の部屋まで通され、2人分の着替えとして浴衣を渡された。
龍巳がそれを受け取ると、東翔は後で話があると言い残して部屋から出て行ったが、残された龍巳は、一瞬躊躇ってしまった。
(俺が着替えさせないと・・・・・いけないのか)
 アオカの見た目が見た目だけに、男同士で着替えをするとはとても思えなかったのだ。
 「・・・・・」
(しかたないな)
龍巳は手を伸ばしてアオカの服を脱がし始めた。
ボタンやファスナーが無く、全て紐を使っているそれは巫女装束にも似たようなもので、それほど苦も無く脱がすことが出来た。
だが、そこからが問題だった。
中から現れたアオカの肌は、青白いといってもいいほどの白く滑らかな肌だったのだ。
(女・・・・・以上か?)

 昂也には秘密にしているが、実は龍巳はもう女を知っていた。神社を訪れたOLに強引に誘われたのだ。
他人からは修行僧といわれるほどに品行方正な少年と見られている龍巳だが、その歳相応の興味というものはあった。そのまま女が
泊まっているホテルに行き・・・・・そこで初体験をした。
 結果から言えば、確かに肉体的な快感はあったものの、こんなものかと思ったくらいだ。
それから数度、同じ様な経験をしたが、結局昂也達男友達と遊ぶことや部活をしている方が楽しいと思ってしまった龍巳は、自分は
性的に淡白な性質なんだなと冷静に分析をしていた。

 そんな自分が、同じ男の裸を見て目を奪われていることが信じられなかった。
だが、今まで腕に抱いてきた女達の誰よりも綺麗な肌に、胸の鼓動が早くなってしまったのは確かだった。
 「・・・・・何考えてるんだ、俺は」
龍巳はそんな自分の思考を振り払うように一度目を閉じると、出来るだけ事務的にアオカを着替えさせ始めた。
袖を通す時に持ち上げた手先は、爪が長かった。
新しい浴衣の上に身体を移す時、長い髪の合間に見えた耳は、少し尖っていた。
濡れている銀髪も、輝きは変わらず。
自分の目の前で鱗のような石を飲み込んだ胸の箇所は、うっすらと桜色になっていて・・・・・。
(確かに、人間とは少し違うな)
だが、それ以上意識のない身体を見るのはいけないような気がして、龍巳は出来るだけ碧香の下半身は見ないようにして手早く着
替えを済ませた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 何とかアオカを着替えさせると、自分も素早く濡れた服を着替えた。
そして、濡れた髪をどうしようか・・・・・ようやくそこまで思い当たった時だ。
 「ふ・・・・・」
 今まで閉じられていたアオカの唇が緩く開き、吐息のような息をついた。
 「・・・・・」
そのままじっと見つめていると、ゆっくりと瞼が開き・・・・・綺麗な碧色の瞳が表れた。
 「アオカ」
 「・・・・・ト・・・・・エ・・・・・」
 「大丈夫か?」
 「私・・・・・は・・・・・」
直ぐには意識がはっきりしないようで、アオカはぼんやりとした視線を龍巳に向けたまましばらく考えているようだ。
龍巳は何があったのか、簡潔に話してやることにした。
 「滝壺に行って何かを祈ってただろう?そのあと急に倒れてしまって、俺がじい様の家まで運んできた」
 「た・・・・・き?」
 「風邪をひいてもいけないから勝手に着替えさせたが」
 「・・・・・」
龍巳の言葉に少し不思議そうな顔をしたアオカだったが、やがてそろっと触れた掛け布団の中の浴衣の違和感に気付いたのか、
 「!」
いきなり上半身を起こし、自分の格好を見て・・・・・アオカは白い肌を赤く染めてしまった。



(トーエンに見られてしまった・・・・・っ?)
 人間とは違う異形の姿の自分を見られたことに、碧香はどうしていいのか分からなかった。どんなに人間と似通った姿とはいえ、明ら
かに違うはずの自分の身体を見て、トーエンはどう思っただろうか。
 「・・・・・」
 「いきなり起き上がっても大丈夫なのか?」
内心慌てている碧香の心境を知ってか知らずか、トーエンの口調は全く変わらずに穏やかで優しいものだった。
そのことに少しだけ安堵して、碧香は恐る恐るトーエンに視線を向けた。
 「・・・・・すみません」
 「ん?」
 「私が勝手にしたことなのに、トーエンにご迷惑を掛けてしまいました」
 「そんなの、気にすることは無い。俺が勝手にやったことだから」
 「・・・・・」
(私の身体・・・・・変だとは思わなかったんだろうか・・・・・)
 今は、まだいい。
幾ら気を失っていた状態とはいえ、今の姿ならば何とか人間に近い姿のはずだろう。
これが竜に変化した直後ならば、碧香の背中と手足の外側の肌は鱗に覆われ、牙は残り、指先の爪は柔らかな肌を引き裂くことが
出来るほどに鋭くなった状態になってしまう。
多分、それは普通の人間ならば、目を背けたくなるほどの異様な姿だろう。
今は優しい目を碧香に向けてくれるトーエンも、その姿を見たらどう思うだろうか・・・・・碧香は自分の腕をゆっくりと撫でた。
 「・・・・・」
 「少し、休んだ方がいい」
 トーエンは起き上がっている碧香を再び横にしてくれようとする。
しかし、碧香はその前にトーエンに伝えなければならないことがあった。
 「トーエン、私はコーヤと意思の交感が出来ました」
 「え?」
意味が分からないようなトーエンに、碧香は更に続けて言った。
 「私が人間界に来るのと引き換えるように竜人界に行ってしまった昂也は、私の精神と共通する部分があったんです。だから、あの
神聖な気を発する滝壺で何度も昂也と交感を試みて・・・・・やっと、話すことが出来ました」
 「本当に?」
 トーエンの目が驚きに見開かれた。
 「はい。コーヤは私の兄の元にいます。姿は見えないので分かりませんが、声はお元気な様子でした」
 「・・・・・そうか」
嬉しそうに、トーエンの顔が綻んだ。
幾ら大丈夫だと信じていても、こうして無事な情報をきちんと得られるとその安心感は違うのだろう。
そして、碧香も、昂也の無事を喜ぶトーエンを見て複雑な思いもするものの、自分の言葉をちゃんと信じてくれるということが嬉しいと
思っていた。
 「それで」
 「アオカ、昂也の無事が分かったのなら一先ず安心だ。その、交感っていうのは身体に負担が掛かる事なんだろう?今は休んでい
た方がいい」
 「で、でもっ」
 「きっと、昂也だってそう思っているはずだ。今のアオカに無理に話をさせたら、後で俺が叱られる。お前みたいな体力馬鹿とか弱い
相手を同じに扱うなってな」
 「・・・・・」
今の碧香は、昂也の声や意識の強さをもう知っている。だからか、トーエンが言ったことがまるで本当にコーヤが言いそうだと思えて、思
わず頬を緩めてしまった。
 「だから、休んでいるように」
 「・・・・・はい」
 「俺はじい様のとこに行くけど、用があったら声を掛けてくれ。古い家だから声だけはよく通る」
 「分かりました」
 トーエンは碧香が再び横になったのを確認してから、ポンポンと胸に掛けられた布を軽く叩いてから立ち上がった。
(トーエンも着替えている・・・・・)
先程のピッタリと身体に合った衣も似合っていたが、今着ている衣もトーエンの逞しい身体にとても合っていた。
 「ここまで・・・・・運んでくださったんだ・・・・・」
あの腕に抱かれてここまで連れて来てもらったのかと思うと、碧香は恥ずかしく・・・・・それ以上に嬉しく感じていた。