竜の王様
第一章 沈黙の王座
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※ここでの『』の言葉は日本語です
『おはよーございまーす!』
部屋に入る前に大きな声で挨拶をした昂也は、そのまま自分の指定席にもなっている椅子へと真っ直ぐに向かう。
その短い距離でも随分視線を感じるが、今日でもう3日目、いい加減慣れたというものだ。
(それに、俺だって1人でご飯食べるの寂しいし・・・・・まあ、視線が気にならないこともないけど仕方ないもんな)
「おはよう、コーヤ」
「シオン」
頭上から聞こえてきた穏やかな声に顔を上げた昂也は、そこに何時もの笑みを見つけて顔を綻ばせた。
『おはよー!』
「今朝は早いな。少しは眠れるようになったというわけか?」
『ねえ、ここって肉料理って出ないの?何か、魚とか野菜とか果物とかはまあ、いいんだけど、そんなんばかりじゃ身体に力が入んな
いし』
「今朝もこの後紅蓮様の元に参るぞ。・・・・・あの方がこれ程人間を気に掛けるとは思わなかったが・・・・・」
『あー、ラーメン食いたいぃ〜』
まるっきり意味が食い違って話しているのだろうということは、昂也だけではなくこの向かいに座った秀麗な男、シオンも分かっていた。
それでも何も話さないよりは数段ましだし、たった3日とはいえ、かなりの時間を一緒に過ごすと何となくお互いの言いたいことが分かる
ような気がする。
味方・・・・・というのには少し違うかもしれないが、昂也にとってシオンの存在はとてもありがたいものだった。
いきなり、この不思議な世界に来て3日経った。
枕が替わると眠れないというような繊細な性質ではないとは思っていたが、自分用にとあてがわれた部屋で直ぐに爆睡出来たのには
自分でも呆れてしまった。
どうやら身体は疲れて睡眠を欲しがっていたようなのだが、空腹で自分のお腹が鳴る音で目覚めたのには少し情けない気がしたくら
いだ。
どういう話し合いがもたれてしまったのかは分からないが、どうやら昂也の世話はこのシオンという男がしてくれるらしかった。
初めて見た時は黒っぽい服だった男は、日が変わって会った時は真っ白の服を身にまとっていた。男の周りで手伝いをしている者達
も同じ様な服装で、彼らは皆シオンに傅いているし、どうやら偉いんだなあとは感じた。
赤い目の男、グレンとは違って穏やかな性格らしく、話し掛けてくる時の声音も柔らかかったので、昂也は幾分安心出来た。
(でもさあ、俺、何であいつのとこに行かないといけないんだ?)
食事と睡眠の時間以外の多くの時間、なぜか昂也はグレンの側にいることを求められた。
もちろん言葉が分からないので会話が弾むというわけではなく、それにグレンもそうだが、その側に何時もいる黒髪の男はどうも昂也を
嫌いなようで(他に表現のしようがない)、気付くと昂也を睨みつけている。
(そんなに俺が嫌なら呼ばなきゃいーのに)
それが一番簡単な話に思えるが、この3日、誰と一番多く過ごしたかといえば・・・・・あの赤目の男だった。
(それにしても・・・・・俺ってそんなに珍しい?)
廊下を歩いている時も、こうして食事をしている時も、チラチラと感じる視線。
1日目は、畏怖や嫌悪が多かったが、2日目からはそこに興味という感情が含まれたような気がする。
見られると食べれないというほど繊細な性格ではないが、それでも食べにくいなと昂也は野菜スープ(もどき)を無言で口に運んだ。
(豪胆な少年だ)
紫苑は向かいでもくもくと食事を進める昂也をじっと見つめていた。
自分でさえ感じるこの視線の数。向けられている本人はどれ程居心地が悪いと思っているだろうか。
それでも、表面上は普通の表情で食事を進める姿に、華奢な見掛けとは裏腹の強い意思を感じた。
紅蓮から、この人間の少年・・・・・コーヤの世話を命ぜられた時、紫苑は文献の中でしか知らない人間を間近で見ることが出来る
幸運を嬉しく思った。
人間とは、本当に愚かで邪悪な生き物か・・・・・しかし、それは1日昂也を見ていただけで覆されてしまった。
全ての人間がこうなのかは分からないが、コーヤはとても生命力に満ちた、しなやかで強い生き物だった。
わけが分からぬまま、いきなり紅蓮に押し倒されてしまっても、泣いたり責めたりするだけではなく、直ぐに、次に、前に、視線を向けて
いた。
さすがの紅蓮も途惑っていたのがよく分かったくらいだ。
今も、紫苑と言葉を交わそうと、こちらの言うことは真剣に聞いているし(それでもまだ意味は分かっていないようだが)、気を許してく
れてきたのか、よく浮かべるようになった笑顔は可愛らしいと思う。
(・・・・・私は、何を考えている)
コーヤは、あくまでも碧香が人間界に行っている間に空いた空間を埋めるだけの存在だ。碧香が戻ってくれば、再び否応無く人間
界に戻すはずの存在。
(馴れ合わないようにしなければ・・・・・)
それが、正しい。
「シオン」
「・・・・・」
「シオン?」
「あ、何だ?」
コーヤが、紫苑の目の前に置かれた果物を指差している。どうやらこの甘い果物が気に入ったらしいコーヤは昨日も欲しそうな目を
向けてきていた。
さすがに、くれとは言わなかったが、今日は我慢出来なかったのだろうか。
「食べなさい」
微笑ましく思って自分のそれを差し出すと、さすがに紫苑自らがくれるとは思わなかったらしく、途惑ったような視線を向けてくる。
それに一度頷いてやると、
『ありがと!』
ペコッと頭を下げて何事かを言い、その果物の皮を楽しそうに剥き始めた。
(礼を言ったのか?)
少しずつだが、何を言おうとしているのか理解出来るようになってきた。
それが楽しいと思っている自分に、紫苑はなかなか気付くことが出来なかった。
「翡翠の玉を奪われるとは・・・・・先王も安らかにお眠りにはなれない」
「・・・・・」
「紅蓮様、こうなっては竜王の座はまたしばらく空席となってしまいます。何か手を打たねば・・・・・」
「私にどうしろと?碧香は紅玉を探す為に人間界に行き、私も蒼玉の捜索に全力を注いでいる。王座に着いていない今も、父の
変わりに政務を執り行っているが・・・・・その私の働きが足りぬとでも言うのか?」
「そ、そんな事はございませんっ!」
「・・・・・」
(・・・・・小賢しい。私を追い落とすつもりならば、きちんと手札を揃えてから乗り込んでくればよいものを)
いい加減、くどくどした説教じみた言葉に苛立っていた紅蓮は、すっと椅子から立ち上がった。
「私にはこれ以上話を聞く時間など無い。下がれ」
「紅蓮様」
「聞こえぬか?」
紅い瞳で睨みつければ、言い返してくる度胸がある者などいない。
長老と呼ばれる、先王の時代の側近達は、また伺うと口々に言いながら部屋から出て行った。
「・・・・・」
「紅蓮様のお気持ちも分からない輩など、放っておけばよろしいのです」
黒蓉も、吐き捨てるように言った。
長い間この世界を支えてきたのは我らだと、いまだに口煩い長老達の存在が煩わしいのだろう。
もちろん、紅蓮もそれには同意だった。父王の時にどれ程その手腕を発揮したのかは分からないが(とても今の自分の部下達よりも
優秀とは思えない)、今は自分がこの世界を支えているのだという自負が紅蓮にはあった。
まだ正式な王座には就いていないが、空席の竜王になるのは自分が一番相応しいはずで、たとえ力がある長老でも自分の言葉に
従うのが本当だとも思っていた。
「・・・・・いっせいに、動き始めた感じです」
「正式に公表した方が後々は良いとは思うが」
「当分この騒がしさは続くでしょう」
昨日、紅蓮は自分の名前で、今回の件を公表した。
王の証である翡翠の玉が持ち出されてしまったこと。
隠された紅玉を探しに、碧香が人間界に向かったこと。
新しい竜王の誕生を心待ちにしていた竜人達はその事実に驚愕し、不安を覚えたようだったが、それでも圧倒的な力と王家の純
血を引く紅蓮の即位を疑う者はいなかった。
ただ、やはりというか、紅蓮のやり方に意義を唱える者も出てきたのは確かだ。翡翠の玉をみすみすと奪われるような間抜けな王子
にその資格はないということらしい。
もちろんその反乱分子の存在は予想済みだったので、紅蓮も激昂することなく対したが、これで玉を探すことは急務となった。
「急がねばな」
「紅蓮様」
「何だ」
「あの人間はどう致しますか。何を考えているのやら、紫苑は堂々と神殿にも連れて行っている様子。神殿に仕えている者達は既
にその存在を受け入れています」
「・・・・・」
「あまり誰彼構わずに接触せぬよう、やはり地下牢にでも入れていた方が良いのでは?」
「・・・・・」
碧香が人間界に行ったことは公表しても、その碧香の代わりに人間がこちらに来ていることは発表していない。
竜人達にとって人間は神秘で脅威な存在で、紅蓮もこのことは言わない事にしたのだが、既に王宮の中ではあの人間、コーヤと接
触したという者は多くいる。
「紅蓮様」
それでも、黒蓉の言うように地下牢に閉じ込めて・・・・・と、いうのも少し違う気がする。
【兄様、どうかコーヤを労わってください。私達の勝手で、彼は理不尽にもそちらの世界に行ったのです。私達には彼をもてなす義
務があるのですよ】
そう、碧香が言ったからというわけではないが、紅蓮はコーヤのことは忌むべき人間としてだけで見てはならないような気がしていた。
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