竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 どれくらい歩き続けたか・・・・・江幻は真夜中といえる時間に隣町に着いた。
この近隣では一番栄えているその町は、深夜という時間であっても酒場や食堂は開いていて、行き交う竜人の姿も多かった。
この世界でも、身体を売って金を稼いでいる者も、その影で悪事を働いている者も確かにいる。
紅蓮は、竜人は人間とは違って清廉潔白であると思っているのかもしれないが、竜人達も生きていくのに必死な者達は数多くいる
し、快楽を求める者も確かに・・・・・いるのだ。
 「あ、ねえ、飲んで行かない?」
 不意に腕に絡み付いてきた女を見下ろした江幻は、にっこりと笑いながら言った。
 「今日は蘇芳は来てる?」
 「・・・・・っ」
耳元で甘く響く声を聞かされた女は、身体を震わせて顔を赤くする。
 「す、蘇芳?占術、師の?」
 「そう、その蘇芳」
自分の声が女に対してどんな威力を発揮するのか十分分かっている江幻は、細い女の肩を抱き寄せて更に意識して声を落とす。
女は途端に江幻の胸にくたっと縋りついた。
 「さ、さっき、見掛けたわ」
 「どこで?」
 「芽衣(めい)の、店」
 「ああ、あそこか。わかった、ありがとう」
 「あ・・・・・っ」
 知りたいことを聞いた江幻はあっさりと女の身体を離して歩き始める。
女はそのまま後を追おうとしたが、江幻は全く振り向きもせずに足早にその場を立ち去った。



 芽衣の店には、江幻も蘇芳に連れられて何度か来たことがあった。
酒も女もこの町一番上等であることには間違いはなく、それなりに楽しみはしたものの、江幻自身はあまりそういったものに興味が無
いので通うということは無かった。
しかし、江幻の容姿はかなり特徴的ではあるので、店に行った時も直ぐに歓声が沸いた。
 「江幻様!」
 「江幻!」
 「どうしたの?来てくれるなんて!」
 「ああ、蘇芳は来ているかな?」
 「蘇芳なら・・・・・」
 「よう、江幻」
女の声に被さるように聞こえてきた男の声に、江幻は苦笑しながら振り向いた。

 占術師、蘇芳。
歳は江幻と同じで、実は彼も遠く王族の血をひいているのではないかという噂があるのだが・・・・・本人は特にそれを自慢することも忌
むことも無いらしく、独特の感性でフラフラと世の中を渡っていた。
黒い髪に、竜人にしては珍しい紫の瞳。その色が少し赤み掛かっていることが、あの噂を呼んでいるのかもしれないが・・・・・。
 「珍しいな、こんな時間にこんな場所で会うとはな」
 「お前が家にいればそこに行っていたんだが」
 「1人で家にいたって面白くないだろう?」
 蘇芳は自分の隣に座っている女を抱き寄せながら笑みを浮かべた。
近眼鏡(きんがんきょう)を掛けているその姿は、一見禁欲的で、神官にでも学者にでも見えるほどに知性的なのだが、その内面は
呆れるほどに享楽的だ。
いや、それもただの見せ掛けだと、江幻は思っていたが。
 「時間が無いんだ、出るぞ」
 「・・・・・」
 「え〜!2人共帰るの〜?」
 「悪い。無粋なこいつは、綺麗な女を前にしたら口下手になるんだ。また来るからな」
女の耳元に唇を寄せた蘇芳は、甘い言葉とは違ってあっさりと立ち上がった。



 夜の町を江幻と蘇芳が並んで歩いていると、そこかしこから声が掛かるだけでなく、強引に腕を引っ張っていこうとする者達も多い。
江幻は穏やかに笑って、蘇芳は一々甘い言葉を掛けながら、それでも2人は真っ直ぐに蘇芳の家へと向かった。
 町の中心から僅かに外れた蘇芳の屋敷は、江幻の暮らす小屋からすればかなり大きく、立派なものだった。
その金がどこから出ているのかは江幻は興味が無いので聞いたことも無かったが、それよりも、あれほどの浮名を流すにしては屋敷には
蘇芳以外の誰の気配もないということの方が不思議に思っていた。
 「お前は・・・・・茶だな」
 自ら茶の用意をした蘇芳は、自分には酒を用意して椅子に座った。
 「案外、早かったな」
 「・・・・・やっぱり来ることが分かっていたか」
 「よほど気に入ったのか、その人間が」
酒を一口飲んだ蘇芳は、ふっと柔らかな笑みを口元に浮かべる。何か言いたそうな口振りに、江幻も思わず苦笑を漏らしてしまった。
 「可愛いぞ」
 「男が?」
 「そこまで分かってるのか」
 「分かってる。それと、もう一つ、金色の存在があったが・・・・・それは?」
 「・・・・・角持ち」
 「角持ちか・・・・・!」
 ようやく謎が解けたと言わんばかりに、蘇芳は驚きながら笑っていた。
どんなことがあっても驚くよりも楽しむという性格の蘇芳は、角持ちという竜人界にとっては恐れと憧憬と恐怖をまとめたような存在の
出現もたいしたことではなかったようだった。
それよりも、どうやら江幻が気に入ったという人間の男の方に興味があるらしい。
 「年頃は若いと出ていたが、どの位だ?」
 とても竜人界のことを憂うという感じではない蘇芳の口調に、江幻は隠すこともないと答えた。
 「さあ・・・・・人間の歳は分からないからな。でも子供と言っていい歳かもしれない」
 「子供か、範疇外だな」
 「・・・・・」
(本当にそう思っているのかどうか・・・・・怪しいな)
女だけではなく男もいいのかと、江幻は内心呆れて茶をあおった。



 「それで、蘇芳」
 「嵐が起きる」
 江幻が次の言葉を言う前に、蘇芳はあるものを指差しながら言った。
客間といえるこの場所の中、平凡な木の机の上に置かれていたのは、江幻が持っている緋玉とほぼ同じ大きさの・・・・・微かな紫色
の光を放つ水晶玉。
それは、蘇芳が占術を行う時に必ず使う玉だ。
(嵐・・・・・か)
 蘇芳がこれ程きっぱりと言い切るということは、未来がはっきりとそこに映っていたのだろう。
懸念する大きな変化がありそうだと、江幻はらしくも無く溜め息をついてしまった。
 「近年まれに見る嵐だ。その中心に立つのは黒い瞳の少年・・・・・これは、お前が保護した人間だな」
 「そうだ」
この竜人界にも様々な血族がいて、それぞれ髪や目の色は一つだけではなかった。ただ、その中でも黒い瞳という者は、竜人界には
ただの1人としていない。
そう思えば嵐の中心にいるのは間違いなくあの人間の少年、コーヤで、そして・・・・・あの、角持ちの赤ん坊だろう。
 「後は何が見えた?」
 「内緒」
先を急かす江幻に、蘇芳はあっさりとそう言った。
 「蘇芳」
 「条件がある。それをのんでくれるのなら、俺が見た未来を教えてやろう」

(・・・・・何を考えてる?)
 江幻はじっと蘇芳の顔を見つめた。
見た目だけはやはり禁欲的で知性的な・・・・・全く欲というものを感じさせない男であるが、その内心は自分以上に食えない男であ
るのは確かだ。
蘇芳が見た目だけでもそう装っているのは、彼なりの作戦と防御なのだろう。
(それを俺にも通そうっていうのが・・・・・確信犯だな)
 「・・・・・このまま行けるのか?」
 「もちろん。俺も早く会いたいしな」
 「言っておくが、その人間はこの世界の言葉を話すことは出来ないからな。驚かせないように」
 「分かってる」
 そうと決まれば準備をしようと、蘇芳は早速着替えを始めた。
あれ程酒を飲んでいた様子だったが、蘇芳の言動には少しもぶれは無く、

 「俺が飲む酒は、お前の茶と同じだ」

そう、常々言っていた蘇芳の言葉はどうやら本当らしい。
 「ああ、そうだ、お前の所に甘い菓子か何か置いてないか?コーヤがきっと喜んで食べるだろう」
 「コーヤ?それがその人間の名前か。口に優しい響きの名前だな・・・・・コーヤ、コーヤか」
 「おい、蘇芳」
何を考えているのだと、一応釘を刺しておいた方がいいかと思ったが、江幻の言いたいことは全て見通しているのか蘇芳ははいはいと
おざなりに頷いた。
 「幾ら俺でも子供には手を出さないって」
きっぱり言い切るところが返って危ない。
 「そう言って、お前、前に俺の所で珪那に手を出しただろう?あいつは今だにお前を怒っているぞ」
 「まあ、そういうこともあったか」
その時の珪那の反応を思い出したのか、蘇芳はくっと更に深い笑みを漏らした。
あれ以降、蘇芳が江幻の小屋を訪れるたび、珪那が居合わすとかなり険悪な態度を取られるのだが・・・・・蘇芳にとっては小さな動
物に吠えられているという感覚なのかもしれない。
確かに、珪那では蘇芳の足元にも及ばないだろうが・・・・・。
(そういう態度こそが問題なんだろうが)
 これから会うコーヤにも何かしでかしそうな予感はするが、それはそれでコーヤにとってもいい刺激になるかもしれないと、江幻は無理
矢理いい方向へ考えるようにした。