竜の王様
第二章 二つめの赤い眼
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「黒蓉殿、少しよろしいですか」
紫苑は紅蓮の部屋から出てきた黒蓉を待ちかねたように呼び止めた。
コーヤがいなくなってからまだ時間は経っていないが、紅蓮の機嫌は地を這うほどに悪く、誰も側に近寄れないほどだった。
そんな紅蓮に、好んで近付いていくのは黒蓉ぐらいだろうか・・・・・。
「何用だ」
「コーヤに何を言われたのですか」
あの時・・・・・コーヤが金の竜に連れ出された時、側にいたのは黒蓉だった。
自分にも慣れて来てくれて、蒼樹や浅緋にも懐いていたようなコーヤが、黙って王宮から逃げ出すとはとても思えなかった。
その時側にいた黒蓉が何かをしたのではないか・・・・・そう思っているのは紫苑だけではないだろう。
皆は突然現れた金竜の存在の方に意識が向いているようだが、紫苑は今コーヤがどこに、誰といるのか、まさか危ない目には遭って
いないかと心配でたまらなかった。
(もしかしたら、紅蓮様も何か感じているのかも・・・・・)
「なぜお前がそれを聞く」
「コーヤがどこにいるかの手掛かりになるやと思いまして」
「捜す必要があるのか?」
「黒蓉殿」
「碧香様がお戻りになられるまで、生きてさえいればいい。所詮、あれは存在に意味のないものだ」
そう言い捨てた黒蓉は、それ以上は何も言うこともないと紫苑に背を向けた。
「何があった」
紅蓮にも言われたその言葉を、紫苑にも言われるとは思わなかった。
あの時にコーヤに言った言葉も行動も黒蓉は後悔していないし、むしろまだ甘かったと思うほどだ。だが、それを誰かに言うほど黒蓉も
馬鹿ではなかった。
(どいつもこいつも、人間ごときに誑かされて・・・・・っ)
紅蓮までその毒牙に掛かっているのかと思うと悔しくてたまらないが、一方で黒蓉自身もコーヤの所在を確かめておかなければと思っ
ていた。もちろん、それは紫苑のように心配だからというわけではなく、何時でも手を打つことが出来る為だ。
(紅蓮様にこれ以上近付かせないようにしなければ・・・・・)
これ以上・・・・・紅蓮を変化させないようにしなければと思った。
(・・・・・嘘をついている)
部屋を辞した黒蓉の背中を見送りながら、紅蓮はそう確信していた。
自分に忠実な黒蓉がなぜ真実を言わないのか・・・・・多分、今回のコーヤの脱出に黒蓉が関係しているからに違いが無かった。
(どこにいるのだ、コーヤは・・・・・。まだ、あの角持ちと一緒なのか、それとも・・・・・)
いくら金竜に変化出来るとはいえ、通常は赤子である。とてもコーヤを守ることなど・・・・・。
「・・・・・守る?」
(何を考えているのだ、私は・・・・・っ)
コーヤの身がどうなろうと、自分には関係ないはずだった。とにかく、碧香が戻ってくるまで生きてさえいてくれればいいのだ。
「そうだ、死なせてはならぬのだからな」
碧香の為に、コーヤは保護しなければならない。
紅蓮は無理矢理意識をそう仕向けると、コーヤと金の赤子の捜索に更に手を増やす手配を進めることにした。
『・・・・・ん・・・・・』
頭が重い気がする。
昂也は寝返りをうとうとしたが、何かが胸の上に乗っている感じがして夢の中で眉を顰めた。
(ゆ・・・・・め?)
夢の中で、これが夢だと思っている自分もおかしいが・・・・・そうと分かれば早く目を覚まさなければ。そう思った昂也は夢の中で一生
懸命目を開いて・・・・・。
ぼんやりとした視界いっぱいに、知らない顔が映った。
『だ・・・・・れ?』
「目が覚めた?」
笑いを含んだ声で何か言ったその人物の、眼鏡の奥の赤み掛かった紫の瞳がゆっくりと細められたかと思うと、
『!』
いきなり唇が塞がれてしまった。
何をされたのか、昂也はその瞬間は分からなかった。
ただ、紫の瞳が滲むほどに至近距離に近付いたかと思うと、自分の口の中を思う様弄る何かが入ってくる。それが、他人の舌だと分
かった瞬間、昂也はバッと目を見開いたと同時に、自分に圧し掛かっていた相手に向かって、ゴンッと頭突きを食らわした。
「痛いなあ」
『何なんだよ!誰だよっ、あんた!』
喚く少年を、蘇芳は黙って見下ろした。
(ふ〜ん・・・・・これが人間か)
江幻と同様、蘇芳も人間を見るのは初めてだった。水晶では面影は見えたものの、やはり現実に会えば印象は更に鮮やかなものに
なる。
こうして見れば、竜人も人間も、外見的に大きな違いがあるとは思えなかった。
そして、たった今味わった唇も、竜人の女とほとんど変わらない。いや、むしろもっと柔らかく、甘く感じて、蘇芳は当初軽く触れるだけ
にしようかと思っていた口付けを、思い掛けなく深いものにしてしまった自分に苦笑を零すしかなかった。
『ちょっと!聞いてんのかっ?』
ただ黙って見下ろす蘇芳にますます不信感を抱いたのか、人間の少年・・・・・コーヤは、怯むことなく蘇芳に向かって吠えている。
「・・・・・なるほど、可愛いかもな」
『何言ってんだよっ?』
「初めまして、コーヤ。会えて嬉しいよ」
江幻とはまた違った低い声。全ての言葉の意味は分からないまでも、自分の名前を呼ばれたことは分かった。
『何なんだよ、あんたっ?』
後はもう疑問ばかりで、昂也は片肘で起き上がりながら目の前の男を睨むしか出来なかった。
『何なんだよ、あんたっ?』
緋玉を取りに行き、そのまま昂也と角持ちが眠っている部屋へと向かっていた江幻は、いきなり部屋の外まで響いてきた声に思わず
呆れた溜め息をつくしかなかった。
(下手に手を出すなと言ったのに・・・・・)
一刻も早くコーヤの顔が見たいからと、先に部屋に向かった蘇芳には顔を見るだけだと念を押していた。だが、どうやら蘇芳はコーヤが
怒鳴りたくなるようなことをしでかしたらしい。
「後で困ったことになるだろうに」
さて、どうするかと、江幻はゆっくりとドアを開けた。
「コーゲン!!」
いきなり扉が開いて江幻が入ってきた。
自分と同じ様に目の前の男が振り向くのを見た昂也は、その隙にとバッと寝ていた場所から起き上がると、そのまま男を大きく避けて
江幻の元まで走った。もちろん、その腕にはまだ眠っている青嵐を抱いている。
『コーゲン、こいつ何なんだよ!いきなり入ってきて、こいつ、こいつ俺に!』
「コーヤ、こいつが何をした?」
自分の名を呼ばれたのは分かったが、その後の言葉は分からない。
昂也はコーゲンの手にある緋玉を目にすると、コーゲンの手をガシッと掴んで一緒に玉の上に乗せた。
『こいつっ、いきなりキスしてきたんだ!』
『キス?何だ、それは?』
どうやら、この世界ではキスをキスとは言わないらしい。
昂也は何と言えばいいんだと、頭の中でグルグルと考えた。
『だからっ、キスっていうのは、口と口を合わせるっていうか、ブチュッと、とにかく俺の口に口つけてきたんだよ!』
『全く・・・・・蘇芳はそんなことをしたのか』
『スオー?何、それ、名前?いや、それはいいんだけどっ、ねえ!何考えてるんだよ、そいつ!』
『コーヤ、こいつのやることは気にしない方がいい。挨拶みたいなものなんだから』
呆れたように、それでも笑って流そうとするコーゲンに、昂也はとんでもないと訴えた。コーゲンの全く知らない侵入者ならまだしも、い
や、それも問題だが、知り合いなら尚更何とかして欲しいと思う。
『男が男にキスするなんてありえないって!』
『ん〜、コーヤはそんなに気になるのかな?』
『気になる!』
『いくら私でも、時間を戻すことは出来ないからなあ・・・・・仕方ない』
『コーゲン?』
自分よりも遥か上にあるコーゲンの顔を見る為に顔を上げていた昂也は、いきなり顎を掴まれて、
『!』
そのまま、ちゅうっとコーゲンに・・・・・キスされた。
先程の男のように舌までは入れられなかったが、それでも十分長い時間唇は重なっていて、やがて音をたてて離れていった。
『な、な、な・・・・・!』
続けて男2人、それも片方は全く見知らぬ男にキスされた昂也は顔を真っ赤にして怒鳴ろうとしたが、あまりのショックに何と言ったら
いいのか分からない。
そんな昂也に向かって、コーゲンはにっこりと笑みを浮かべると、あの甘い声であっさりと言った。
『これで、蘇芳の感触は忘れただろう?』
『はあっ?』
(そんな問題じゃないだろ〜っ?)
昂也の心の響きは声にならないまま、コーゲンはスタスタと謎の男へと近付いてく。置いていかれた昂也は思わず叫んだ。
『俺の話を聞けってば!』
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