竜の王様
第二章 二つめの赤い眼
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
東翔は今日あった出来事を話す龍巳の言葉を目を閉じて聞いていた。
龍巳自身まだよく分からない事だらけだったが、補足してくれる碧香の言葉であの男が何を思い、何を言ったのかは分かることが出来
て、先程までもモヤモヤの一つは解決することが出来た。
(俺の血のことを、顔を見ただけで分かったのか・・・・・)
それが本当に顔を見ただけからなのか、それとも、もしかして流れる血の匂いを感じ取ったのか、そこまではさすがに龍巳も想像がつ
かない。
ただ、相手が思った以上の強敵だということは、これだけの出来事だけでもはっきりと分かったような気がした。
「・・・・・なるほど」
龍巳と碧香が言葉を途切れさせると、東翔は感心したように呟いた。
「これは、かなりの使い手が相手なんだな」
「・・・・・多分」
龍巳の答えはあやふやな響きだったが、東翔も相手の実力がかなりのものだというのは分かったらしかった。
「じい様、俺はどうしたらいい?どうしたら碧香を守れる?」
「東苑」
「俺は、敵わないだけなのか?じい様、時間はないんだ」
あの時は、碧香がいたから無茶が出来なかったから。
相手が自分の中の竜の血を見破ったことを知らなかったから。
言い訳は考えれば有るのかもしれないが、龍巳はそれで自分を擁護しようとは思わなかった。
どちらにせよ自分が足が竦んで何も出来なかったことは事実で・・・・・それでも、こうして紅玉を持ち出したのがあの男だということが分
かれば、何としても対抗しなければならないと思う。
「じい様」
「・・・・・結論から言えば、今のお前では到底無理だろうな」
「そんな事は分かってる・・・・・っ」
「だが、お前の中の竜の血が蘇れば・・・・・あるいは、無茶なことではないのかもしれない」
「え?」
東翔の言葉に驚いたのは龍巳だけではなかった。
唇を噛み締めてずっと俯いていた碧香も、その言葉にはっと顔を上げる。
「おじい様、今のお話は・・・・・」
「東苑、お前は多分先祖返りをしているんだろう」
「先祖、返り」
聞き慣れない言葉に思わず呟き返した碧香に、東翔はそうだと強く頷いた。
「先祖返りというのは、何代も前の先祖がもっていた遺伝上の形質が、突然その子孫のある個体に現れるということだ。遥か昔、竜
人と添い遂げたというわし達の祖先の話がまことだとすれば、東苑の身体の中にその血が濃く現れている可能性は高い」
「俺の、中に?」
「その男がお前が竜の血をひいていると感じ取ったのは、まさにその先祖返りのせいじゃないだろうか・・・・・東苑、お前は修行すれば
人間以上の力を持つことが出来るかもしれない」
「・・・・・」
呆然と自分の両手を見下ろしている龍巳の姿を、碧香もじっと見つめていた。
(東苑が、竜の力を?)
通常の竜人には特別な力はなかった。
確かに人間よりは生態能力は優れているかもしれないが、それだけで不思議な力を発揮するわけではない。
しかし、過去人間界にやってきたはずの竜人は王家の血をひく者だったはずで、彼らならば竜に変化出来たであろうし、祖竜に近い
こともあって他の能力も持っていたかもしれない。
(そんな彼らと同じ様な力が、東苑に?)
碧香の胸がざわめく。
本当にそうだという確証は無いはずなのに、今の東翔の言葉を何時の間にか信じている自分がいる。
(東苑が、竜の血を・・・・・)
「東苑・・・・・」
思わずその名を呼べは、龍巳はゆっくりと碧香を振り返る。
その表情は硬く、目は動揺したように揺れていたが、それでも違うという言葉は言わないままだ。
「東苑」
「碧香・・・・・俺は・・・・・」
その続きを何と言おうとしたのか・・・・・しかし、龍巳は口を閉ざしてしまい、後はそのまま黙って拳を握り締めていた。
「竜の血を最大限発揮する修行がどんなものかはわしにも言えんが、東苑、先ずはお前はどうしたいのかをはっきりと決めなければ
ならん。揺れている心のままでは、どちらにせよ新たな力など生まれては来ないだろうからな」
東翔の言葉に頷いた龍巳はそのまま自分の部屋へと向かった。
本当は碧香とゆっくり話したいと思ったし、何より側にいてやりたいと思っていたが、今は誰かを気遣ってやれる心の余裕が無いように
思えた。
(俺の中の、竜の力・・・・・)
以前、碧香からもそんな話を聞いた時、龍巳は驚きはしたものの、それで自分の中の何かが変わるとは思わなかった。
もしも、本当に自分の祖先が竜人と添い遂げたとして、自分の中に碧香と同じ竜人の血が流れているのだとしても、それは何代も
後の自分にはかなり薄いものになっているだろうと漠然と思っていたからだ。
しかし。
先祖返り。
祖父の話が真実だとすれば、自分の身体の中には人間とは違う血が流れているということになる。それを正面から受け止めるには
少し時間が必要な気がした。
「東苑」
「・・・・・」
「東苑」
「あ・・・・・碧香」
何度か名前を呼ばれ、それが自分の名前だということにようやく気が付いた龍巳は、慌てて振り返って笑みを浮かべた。
しかし、その自分の表情をどう見たのか・・・・・碧香は今にも泣き出しそうなほどに顔を歪めながら龍巳をじっと見つめていた。
「・・・・・碧香」
そんな表情をさせているのは明らかに自分だと分かるのに、龍巳はなかなか次の言葉を言うことが出来ない。
黙ったままただ見つめ返すことしか出来ない龍巳に、碧香が小さな声で言った。
「東苑は・・・・・忌み嫌いますか?」
「え?」
「・・・・・あなたの中に流れているだろう竜の血を・・・・・私の、ことを」
「違う」
「東苑」
「誤解させてしまって悪い、碧香。でも、俺は碧香の事を嫌うことはないし、自分の中の、その、竜の血っていうのも・・・・・多分嫌っ
ては無いと、思う」
自分の心を言葉で言い表すのはとても難しくて、東苑はいったんそこで言葉を区切った。
碧香の心配はもちろん感じ取れたし、実際自分が碧香を嫌うことなど考えられない。自分の中に竜の血が流れているということにも、
正直途惑いはあるが厭うことはなかった。
ただ・・・・・。
今まで普通だと思ってきた自分の存在自体が変わってしまうのは正直、どうすればいいのか分からなかった。
自分が自分でなくなる恐怖・・・・・そう言った方が近いだろうか。
「ごめん、碧香。俺、今ちょっと混乱してて・・・・・」
「・・・・・」
「あの男に対抗出来るかも知れない力が俺の中にあるかもしれないっていうのは正直嬉しいんだけど・・・・・それで、自分が変わっ
てしまうのがちょっと、怖い」
「碧香、多分、お前には俺に知らない様々な事情が分かっているかもしれないけど・・・・・俺は、今は力が無くても、ちゃんと碧香を
助けたいと思っているから」
そう言ったのは、本当にほんの少し前だ。
その口で怖いと言うのは恥ずかしくて情けないが、碧香に違った意味での心配をさせない為にも、龍巳は自分の正直な思いを吐露
した。
「・・・・・私は、何が出来るでしょうか」
「碧香」
「東苑の為に、私が出来ることはないですか」
自身も不安でたまらないだろうにそう言ってくれる碧香に、東苑は少し考えて・・・・・言った。
「碧香の力、少し借りていいか?」
「私に出来ることですか?」
「昂也と話がしたい」
「昂也と?」
龍巳の頭の中にポンと出てきたのは昂也の姿だった。
生まれた時からといっていいほど、物心付いてから何時も側にいたのは昂也で、どんな悪戯も、どんな冒険も、何時も昂也と一緒に
やってきて、一緒に・・・・・叱られた。
たくさんの初めてを昂也としてきたが、どんな時も昂也となら大丈夫だという確信があった。
(今の俺の気持ちにも・・・・・何か言ってくれるかもしれない)
「今直ぐじゃなくていいんだ」
頼りになる親分の声を聞きたいと思った。
「碧香も今日は色々あったし、落ち着いてからでいいんだ」
「・・・・・」
「碧香」
「・・・・・分かりました。今夜は、私自身の気持ちも落ち着かないので無理かもしれないですが・・・・・近いうちに、必ず昂也と連絡
を取ります」
「ありがとう」
「・・・・・」
龍巳は碧香の手をしっかりと握って言った。
それで全てが解決するとは思わないが、もしかしたらころっと変わった視点の転換があるかもしれなかった。
「今日はもう休むか」
「・・・・・はい」
少しだけ気分が浮上した龍巳だったが、碧香は俯いたまま龍巳の顔を真っ直ぐに見ることはなかった。
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