竜の王様
第二章 二つめの赤い眼
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
翌朝朝早く、龍巳は碧香の声によって起こされた。
「東苑、東苑、起きて下さい」
「ん・・・・・あお、か?」
まだ空は暗く、朝という感じがしない時間、それでも寝起きの良い龍巳はゆっくりと目を開いた。
「碧香?」
今度の声ははっきりと碧香の名前を呼んだ。
龍巳の布団の枕元に座っていた碧香は、強張った表情に少しだけ笑みを浮かべて、じっと自分を見つめる龍巳に静かに口を開い
た。
「今から、よろしいですか?」
「え?」
「昂也と連絡を取ってみます。一度で通じるかどうかは分からないのですが、空気が清浄なこの時間が一番神経が研ぎ澄まされて
通じやすいと思いますので」
碧香のその言葉に、龍巳の頭の中に昨夜の出来事がパッと思い浮かんだ。
自分の身体の中の異質な血の事に不安を抱き、生まれた時から一緒に育ち、常に明るいパワーで自分を引っ張ってくれる昂也の
声を聞きたいと弱音を吐いてしまったが、生真面目な碧香はその龍巳の言葉を直ぐに実行しようとしてくれたのだろう。
(碧香も落ち着かないはずなのに・・・・・)
自分の叔父が今回の混乱の引き金を引いたのだと分かった碧香も、龍巳の事を構っていられないほどにショックを受けているはずな
のにと龍巳は申し訳なく思うが、それでもここで遠慮する方が碧香の為に良くないということも感じる。
「・・・・・いいのか?」
それでも、一応そう聞き返すと、碧香はしっかりと頷いてみせる。
「はい」
「・・・・・分かった」
龍巳はパッと起き上がった。
「いいのか?」
自分を気遣ってくれているのだろう、龍巳がそう聞いてきてくれた。
もちろん、碧香が嫌だと思うはずが無い。
「はい」
自分よりも先ず、龍巳の気持ちの方が優先だった。
いきなり現れた自分を優しく受け入れてくれ、大切な友人を人質のような形で奪われたのに、紅玉探しを一緒にしてくれているの
だ。
優しい優しいこの人間の心を、少しでも早く軽くしたい。そう思った碧香は、一刻も早く龍巳と昂也に話をさせてやりたかった。
「分かった」
そんな碧香の気持ちを感じ取ってくれたらしい龍巳は、直ぐに起き上がって着替えを始めた。
寝巻き代わりの浴衣を脱ぎ、手早くシャツとジーパンを穿いているその後ろ姿は瑞々しい若さに溢れた若木のような身体だ。
碧香はそっとそれから目を離すと、気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をした。
交信の場所は、やはりあの滝壺ですることにした。
かなり慣れてきた昂也との交信は他の場所でも出来るようになっていたが、少しでも長い時間と考えるとあの場所が一番碧香の身
体にも心にも最適だった。
「碧香」
「はい」
「無理はするなよ?」
「・・・・・はい」
ぎりぎりになってもそう言ってくれる龍巳に頷いた碧香は、そのままゆっくりと滝壺に入っていく。
膝近くまで入った碧香は両手を組み、そのまま目を閉じて頭の中で昂也の名前を呼びかけた。
(コーヤ、コーヤ、応えてください、コーヤ)
いったい、今は竜人界で何時なのかは分からないし、昂也がどんな状態なのかは分からないが、出来れば早く自分のこの声に応
えて欲しい。
そう思いながら何度もその名を呼んでいると・・・・・。
《アオカ?》
唐突に、パッと明るい気が碧香の身体中に入り込んできた。これが、昂也の持っている正の気だ。
(東苑はこの気に癒されるんだ・・・・・)
《どうしたんだよ?》
昂也の気にブレは無く、響いてくる声も元気そうだ。王宮から出ることになってどうなっているのだろうと思ったが、どうやら元気にしてく
れているのだと分かって碧香はホッとしていた。
碧香が、龍巳が昂也と話をしたいと言っている事を伝えると、昂也は考える時間も無く承諾してくれた。
その昂也の声も嬉しそうな様子が伝わって、碧香の胸は少しだけ痛むが、自分達の願いを直ぐに受け入れてくれた昂也に感謝しな
がら自分の心を昂也に明け渡していく。
そして・・・・・すっと、碧香の頭の中に昂也の意識が入ってきた。
碧香の纏っている雰囲気が見る間に変わっていく。
(ああ・・・・・昂也と繋がったのか)
そう、自然に思えてしまう程に目に見えて碧香の様子は変わり・・・・・。
【トーエン?】
そう言った声は碧香のものでも、懐かしい口調は昂也のままだった。
「昂也」
名前を呼んだまま、龍巳は次の言葉が出てこない。
碧香は、交信をしている時は相手の声は聞こえても姿は見えないと言っていたが、昂也に今の自分の顔を見られなくて本当に良
かったと思った。こんな泣きそうな顔・・・・・昂也が見たら絶対にからかってくるに決まっている。
【なんだよっ、元気かよっ】
「元気そうな声だな」
【あったりまえ!】
その昂也の答えに、龍巳は思わず笑ってしまった。
「そっちはどうだ?蒼玉探しは?手掛かりは見つかったのか?」
【手掛かりって言えば・・・・・まあ、無いことも無いんだよ。変な占い師みたいな奴が目の前にいるんだけど、そいつが言うには俺は
玉を見つけることが出来るんだってさ】
「占い師?」
(そんなものも竜の世界にはいるのか?)
不思議な現象は好きでも、占いという不確かなものは信じない昂也にしては珍しい意見だが、そんな意見も聞き入れたくなってい
る心境ではあるのかもしれない。
「昂也・・・・・お前、大丈夫か?」
【心配するなって、トーエン。そりゃ、絶対的に大丈夫だとは言えないかもしれないけどさ、でも、何とかしたいって思ってるから】
「昂也・・・・・」
【お前の方は?コーギョク、見付かりそうか?】
「・・・・・まだ、ちょっと難しいかな」
【そっかあ。そうだよな、簡単に見付かることは無いかも知れないけど、お互い頑張ろうぜ?俺達の手で一つの世界を救うことが出
来るなんてすっげえじゃん!】
昂也の頭の中には、子供の頃に見たヒーロー物のテレビの光景が浮かんでいるのかも知れない。何時までも子供のような昂也に
笑みが浮かぶものの、その前向きな気持ちには龍巳自身も救われた。
そして・・・・・龍巳は、どうしても昂也に聞いてみたかったことを恐る恐る切り出してみた。
「昂也、もし、俺が・・・・・普通の人間じゃなかったら・・・・・」
【え?】
「・・・・・俺が、竜に、なるとしたら・・・・・どう思う?」
普通の人間ではない自分の事をどう思うだろうか、龍巳は息を潜めるように昂也の反応を待つ。
しかし、昂也の反応は龍巳の予想外のものであった。
【すっげえ!トーエン、竜になれるのかっ?】
「え、あ、その可能性があるっていうか・・・・・」
【俺、この世界でもう2匹も竜を見たんだけどさ、すっごくカッコいいし、強いのがビシバシ感じるんだ!トーエンがそうだったら、俺すっ
げえ自慢だよ!】
「昂也・・・・・気味悪いって思わないか?」
【トーエンはトーエンで変わらないじゃん!】
「・・・・・っ」
(俺は、俺・・・・・)
それは、今龍巳が一番聞きたい言葉だったかもしれない。
今までの自分を否定せず、これからの変化した自分をも受け入れてくれるその言葉。それが自分を一番知ってくれているといってい
い昂也の口から言われたことが更に心に沁みた。
「昂也、俺・・・・・」
【どっちが早く玉を見付けるか、競争だな、トーエン】
「・・・・・うん、そうだな」
【まあ、俺の方が早いとは思うけどな】
負けず嫌いの昂也らしい言葉に笑い、龍巳は昨日からざわめいていた胸の中が不思議とすっきりとしたことを自覚した。
やはり長年の相棒の存在は大きい。
「お前も、頑張れよ、昂也」
【うん】
「・・・・・じゃあ、な」
このままでは、何時までも話を続けたくなってしまう自分の心の弱さを自覚している龍巳は、自分の方から今回のこの交信を打ち切
ることにした。
昂也も直ぐに強く頷き返してくる。
「昂也」
【またな】
まるで隣にいるかのように、軽い口調の昂也はそう言った。
碧香が口を閉じて直ぐに・・・・・纏っている気が静寂なものに変わっていく。
碧香の中から昂也の気配が消えていくのがそれだけで直ぐに分かった。
「・・・・・」
「碧香」
「・・・・・」
龍巳がその名前を呼ぶと、じっと目を閉じていた碧香の白い瞼がゆっくりと開かれた。
「・・・・・東苑」
「ありがとう、碧香」
自身の不安を押し殺してまで、自分の願いをこんなにも早く叶えてくれた碧香に対し、龍巳は心からの礼を言った。
(大丈夫だ、俺は、たとえ竜の血が流れていて妙な力があるとしても・・・・・俺に変わらないんだから)
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