竜の王様
第二章 二つめの赤い眼
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「天賀(てんが)だと?」
「はい。祭主が見たと。ただし、一度きりの、しかも一瞬であった為、確証はないとのことでしたが」
未明に私室まで訪れた白鳴の言葉に、紅蓮は夜着姿のまま寝台に腰掛けるとうむと目を眇めた。
(天賀・・・・・南か)
政務全般を取り仕切る宰相である白鳴のもとには、日々竜人界の各地からの様々な情報が集まってきている。 もちろん瑣末なこと
も多いが、白鳴は面倒くさがらずに全てに目を通していた。
そんな中で、夕べ遅く、南で一番大きな町天賀の祭主(その土地の代表者)からの報告書に目を通していた白鳴はハッと目を見
張った。
天災の有無、食物の収穫の量、諍いの種類、死亡者、懐妊者の名前など、細かな数字の後に書かれていた補足事項の中に、最
近起こった異変として空に輝く金の光のことが書かれていたのだ。
翡翠の玉の盗難騒ぎを公表した今、どんなに些細な異変でも知らせるようにとの通達の効果だろうが、この文章を読んだ白鳴はと
もかく一刻も早く紅蓮に報告せねばと、無礼にならないぎりぎりの早朝での報告になった。
「読んで頂くとお分かりかと思いますが、祭主が光を見たのは今から五夜ほど前のこと。丁度、角持ちの赤子とコーヤが王宮より逃
奔した日時、方角と合っております」
「天賀とは、かなりの遠方だな」
通常の移動手段を使えば20日は掛かる旅程だろう。竜に変化して飛んで行ったとしても・・・・・。
(1日・・・・・いや、それ以上は掛かるはずだ)
その距離を、多分あの時が初めての変化だったはずのあの角持ちの赤ん坊が飛んだのならば、それこそ恐ろしいほどの潜在能力の
持ち主だろう。
そこまで考えた紅蓮は、ふと、何かが引っ掛かった。
(南・・・・・天賀・・・・・)
あの角持ちはなぜその方角へと向かったのか。
それがたとえ闇雲の結果であったとしても、そこに何か意味があるのではないかと思った。
そして・・・・・。
「南・・・・・天賀の側には、火焔の森があったな」
「はい、少し離れておりますが・・・・・っ、紅蓮様っ?」
「そうだ、火焔の森にはあの江幻が隠遁しておるはずだ」
竜人としての高い能力を持ちながら、なぜか世を厭うように森の中での隠遁生活を始めた男。
紅蓮さえもはっきりは分からないが、王家の誰かしらの血を引いている証の赤い目を持つその男の住む直ぐ近くに、角持ちの赤子とコ
ーヤが実際に行ったとすればそこに意味があるような気がする。
「直ぐに天賀に使いを出し、火焔の森と共に調べさせましょう」
「・・・・・いや、待て」
「紅蓮様?」
あれほど早急に捜し出せとかなりの剣幕で言った紅蓮がなぜ直ぐに動かないのか。
白鳴の怪訝そうな視線を横顔に浴びながら、一度目を閉じて何事か考えた様子の紅蓮は静かに切り出した。
「これは他言無用だ」
何時ものように紅蓮に朝の挨拶に向かっていた黒蓉は、紅蓮の私室の前に立つ白鳴の姿を見つけて眉を潜めた。
今時分ならば、既に白鳴は執務室にいるはずだ。
「いかがされた」
「黒蓉、本日紅蓮様は何者とも会われないと仰せだ」
「紅蓮様が?」
(そんなことはお聞きしておらぬ)
夕べ私室まで送り届けた時も、確かに苛立った様子はあったものの、それ以外の異変は無かったはずだ。
それに、自分は紅蓮の常に側にいる守役であって、拝顔を願い出る只人とは違うのだ。
「承知した」
自分以外の誰にも会いたくないのだろうという意味だと理解した黒蓉は、一応年上である白鳴に軽く頭を下げてその隣をすり抜けよ
うとする。
しかし、扉に手を掛ける前に、黒蓉は白鳴に腕を取られた。
「白鳴殿?」
「今説明したと思うが」
「承知したと。本日は何人も紅蓮様の御前には案内せぬ」
「それには、お前も含まれているぞ、黒蓉」
「・・・・・何と?」
黒蓉は自分の腕を掴む白鳴をねめつけた。
白鳴も当然竜に変化出来、それなりに鍛えているので並みの竜人は相手ではないだろう。しかし、常日頃から紅蓮を守る為に実戦
をこなし、鍛えている黒蓉からすれば、白鳴のそれは恐れるに足らなかった。
今も掴まれた腕を振りほどかないのは年上に対しての礼儀で、実際黒蓉がその気になれば白鳴を振りほどくことは出来る。
その一方で、黒蓉は今白鳴が言った言葉を何度も自分の中で繰り返していた。
常に紅蓮と共に在り続けた自分を紅蓮が拒絶するなど考えられない。
「白鳴殿、戯言を言われているのならば許しませんが」
「まこと、紅蓮様のご意向だ。本日から三日、私以外には会われないと言われた」
「・・・・・」
「黒蓉、私を倒して中へ入るか?」
白鳴の纏っている気が、瞬間的に増幅されたのを感じる。多分ここで黒蓉が白鳴を振り切ろうとすれば、白鳴も本気で自分を阻
止する為に動くだろう。
紅蓮の私室の前でそんな真似は出来なかったし、何より白鳴は敵ではないのだ。
「・・・・・分かりました」
黒蓉は短くそう言って一度扉を振り返ったが、そのまま踵を返して紅蓮の私室から遠ざかる。
白鳴が何時まであの部屋の前にいるかは分からないが、一度納得したと言葉で言った黒蓉は、その後仮に紅蓮の私室の扉が開か
れていたとしても許可が無い限り中へ足を踏み入れることはしない。
それは自分自身の矜持の為でもあった。
去っていく黒蓉の後ろ姿を見送りながら、白鳴は小さく息をついた。
黒蓉がこの場所で実力行使に出るとは思わなかったが、もしも本気で力を出されていたとしたら・・・・・白鳴もかなりの痛手を負った
はずだった。
(堅物だが・・・・・いい奴なんだがな)
妄信的にと言っていいほど紅蓮を崇拝している黒蓉だが、白鳴からすれば少し行き過ぎたという程度でしかない。
(所詮、私も紅蓮様の信奉者かもしれないがな)
「私が行く」
「え・・・・・今何と?」
「天賀へは私が行くと言った」
「紅蓮様っ?」
金の光が目撃された天賀に自らが赴くと紅蓮が言い出した時、白鳴は一瞬聞き間違いかと聞き返してしまった。
しかし、紅蓮はそんな白鳴の心中を全く気遣うことも無くそう言い切る。
「なりませんっ。紅蓮様は時期竜王となる大事な御方。万が一のことがあればどうされるのですっ!」
「万が一などあるはずが無い」
「紅蓮様!」
「私は、自分の目で確かめたいのだ」
「・・・・・」
(心を・・・・・決められておられる)
力強く言い切る紅蓮に、白鳴はその意思の強固さを悟ってしまった。
本来は思慮深く、何事も冷静沈着さを持って行動するはずの紅蓮の、炎のような激しい激情。それが向かっている先が角持ちの赤
子なのか、それとも人間の少年コーヤなのか、白鳴は判断がつきかねた。
それでも、もはや紅蓮を止める事が出来ないという事だけは悟る。
「・・・・・黒蓉を供にされますか?」
「いや、今回は私だけで向かう。旅程を合わせて・・・・・今日から三日、私が誰にも会わないと告げてくれ。王宮に私が不在だとい
う事は誰にも悟らせぬように手配しろ」
「本当に、黒蓉を連れて行かれないのですか?」
「くどい」
既に心を決めてしまった紅蓮に、白鳴は溜め息というささやかな異議を示すしか出来ない。
「直ぐに出るぞ」
寝台から立ち上がり、早速行動する為に夜着を脱ごうとする紅蓮の背中に向かって、白鳴はこれだけは譲れないというようにきっぱ
りと言い切った。
「三日、です」
「・・・・・」
「それ以上になるようであれば、他の3人にもあなた様の不在を告げますので」
それ以上はもう、白鳴に言えることは何も無かった。
1番の懸念は黒蓉の存在だったが、案の定かなり激しい抗議の気配を身に纏っていた。もしかしてここに立っていたのが穏やかな紫
苑ならば強引な手段に出られたかもしれない。
(まあ、あのまま引き下がってくれただけでもよしとせねばな)
今日もまた新しい報告書が上がってくるし、白鳴も何時までもここに立っていることは出来ない。
黒蓉には直接紅蓮の意向を伝えたが、後の者には伝令を出すだけで十分だろう。
「誰かおらぬかっ!」
白鳴が声を上げると、間もなく数人の召使達がやってきた。
「何用でございますか、白鳴様」
「紅蓮様のお言葉がある。急ぎ宮内にいる者達に伝えよ」
そう言うと、白鳴は紅蓮の私室への出入り禁止のことを声に出さずに呟くと、片手の手の平に向かってフッと息を吹きかけた。
すると、その手の平の上に白色に淡く輝く光の玉が幾つか現れる。幻魂(げんごん)という言霊は、書面ではなく気で伝達する方法
で、作り出した人間の条件が満たされると(指定した相手に伝えた等)自然と消えるのだ。
「手を」
差し出された幾つもの手の平に幻魂を乗せると、白鳴は召使達に言った。
「急げ」
「はいっ」
直ぐに散ったその姿を見届けると、白鳴は腕を組んで目を閉じた。
(もうしばらくは、ここにいなければならんだろう)
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