竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 龍巳は昂也と話して以来、何か吹っ切れたような感じだった。
碧香にとっても龍巳の持つ不安や懸念が少しでも無くなるのは嬉しいことだが、それをしたのが自分ではないことは寂しかった。
 「東苑」
 「ああ、碧香、先に休んでいいよ」
 「また・・・・・滝壺に?」
 「ああ。碧香が言った通り、あの場所はいいな、なんか気が研ぎ澄まされる気がする」
 最近、龍巳は神社がある山の、碧香が現れたあの滝壺に毎朝毎晩通っていた。
昂也と話してから、龍巳は自分の中の気を高める鍛錬をしているようで、滝壺の中に膝まで浸かって精神統一をする。それだけで、
毎日少しずつ自分の中の気が増幅していくのを感じているそうだ。
 龍巳自身、どうやったら自分の中に濃くあるかもしれない竜の血を、力を操ることが出来るのかは分からない様子だが、碧香は龍
巳の側にいて、彼の内面が日々変化していっているのは感じる。
はっきりとは言えないが、そう遠くない未来、碧香は龍巳の中の何かが目覚めるような気がしていた。
 「東苑・・・・・気を付けて」
 「碧香」
 「はい」
 「1人で変なことを考えるなよ。こっちでの玉探しは、俺達2人でするんだからな」
 「・・・・・はい」
 元々、龍巳は心の強い人で、今も不安が全て解消されたわけではないだろうに碧香を気遣ってくれる。
偶然再会し、翡翠の玉を盗むという大罪を犯した叔父の存在に動揺している碧香を、けして言葉数は多くは無いが龍巳は励ま
してくれる。
とても嬉しいのに・・・・・碧香の気持ちは一向に晴れなかった。
 「じゃあ、行ってくる」
 今から夜の鍛錬をするのだろう。
碧香はゆっくりと玄関に向かって行く龍巳の背中を見送った。



 碧香の叔父という男に会ってから一週間。
(まだ、だな)
碧香の気持ちが今だ動揺したままなのを龍巳は感じていた。
本当ならば大丈夫だと言葉でも態度でも励まし、慰めてやりたいとは思うのだが、自分自身の力がはっきりと自覚出来ないままでは
その言葉も軽いものになってしまうだろう。
 「・・・・・」
 山道を歩きながら、龍巳は自分の手を強く握り締め・・・・・やがて、ゆっくりと開くと、立ち止まって近くの木の枝を掴む。

 パキッ

すると、木の枝は龍巳が掴んだところで、まるで小さな爆発を起こしたように切り裂かれた。
 「まだこれくらいか」
 祖父が言ったように、自分の中に竜の血が濃く流れているとすればどんなことが出来るのか、龍巳は今まで全く意識していなかった
気というものをとにかく集中させ、増幅させるように努力を始めた。
碧香の為に、そしてカッコいいと言い切ってくれた昂也に胸を張って見せることが出来るように、龍巳は飽きることなく、諦めることなく、
毎日自分の内面を鍛える。
 自己流で、何も分からないまま始めたが、毎日意識して自分の中の血に話し掛けるように精神を統一していると、徐々にだが自
分の身体の中で何か変わっていくような感覚がしてきた。
それは日を経るごとに大きくなっていき、今龍巳は少し強く念じると指先に力を溜めることが出来るようになり、今はこうして溜めた力
を爆発させることが出来るようになった。
 「これが百発百中だったらいいんだけどな」
 まだまだ不安定な為に、碧香にもこの結果は言っていない。言えば多分喜んでくれるとは思うが、これぐらいではまだ全然駄目だ。
(あの男に対抗出来るのは・・・・・当分先だな)
碧香の叔父という男。
視線が合っただけでも、相手の持つ圧倒的な気を感じ取ることが出来た。あの気の持ち主と正面きって立ち向かえると思うほどに
龍巳は子供ではない。
それでも・・・・・。

 『どっちが早く玉を見付けるか、競争だな、トーエン』

(・・・・・うん、そうだな、昂也)
立っている場所が、いや、世界が違っていたとしても、あの相棒は自分を支えてくれている。
 「・・・・・っし」
 早く、この僅かに見えてきた力を十分な武器にしたい。
龍巳はしっかりとした足取りで月明かりしかない森を歩き始めた。



 「・・・・・」
 部屋の中に1人でいると、碧香の頭の中では様々な事が駆け巡ってしまっていた。
龍巳が一生懸命にしてくれればくれるほど、碧香は自分の無力を呪ってしまった。竜に変化出来る力があるとはいえ、碧香は他の
能力はほとんど無いといっていい。
 兄に守られ、周りの臣下達に守られ、碧香は今まで全くといっていいほど危険というものと隣り合わせになったことが無かった。
(そんな甘い気持ちだから・・・・・こんな時に私は何も出来ない)
紅玉を探すという重要な役目と同時に、叔父である聖樹と対さなければならない。
大きな使命が重圧となって、日ごと碧香の心を暗く落ち込ませていくのだ。
 「叔父上は・・・・・こんなことをしてしまうほど、兄上を嫌おていらっしゃるのか・・・・・」
(自分の子息が兄上に仕えているというのに・・・・・)
紅玉を探し出すという使命の前に、碧香は更なる大きな局面に立たされている自分を自覚していた。



 翌朝、龍巳は既に日課になった鍛錬を行いに、まだ暗いうちから起き上がって着替え始めた。
最初の2、3日は身体が慣れなかったか、今ではそれが苦ではない。
 「・・・・・?」
 ふと、気配を感じて龍巳は入口の襖を振り返った。最近はそれぞれの気の違いというものが感じ取れるのだ。
 「碧香?」
 「・・・・・っ」
いきなり名前を呼ばれて少し驚いたような気配の後、襖を開けて中に入ってきたのは思ったとおり碧香だった。
 「おはよう、早いんじゃないか?」
既に服を着替えている様子を見れば、彼がどんな思いでここに来たのかは分かる。それでも龍巳は向き合って、ちゃんと碧香の言葉
で聞きたかった。
 「どうしたんだ?」
 「私も、お供してよろしいですか?」
 「・・・・・寒いぞ?」
 「お願いします」
 「・・・・・」
 一緒に行けば、碧香に自分の気の鍛錬を見られてしまうことになる。わざと内緒にするという意地悪な気持ちではないが、まだ全く
完全ではない力を見られるのは恥ずかしい。
 「・・・・・駄目でしょうか」
それでも、こんな風に縋るような目で見つめられると嫌とは言えなかった。
 「温かい格好で、一緒に行こうか」
 「はいっ」



 龍巳に付いて行って何が変わるのかといえばはっきりと言えないが、碧香は龍巳と共に自分の気持ちも成長させたいと思った。
何時までもその場から動かないのであれば、龍巳にとっては邪魔だとしか思えなくなってしまうだろう。必要とされなくなること・・・・・碧
香にとってそれが一番怖かった。
 「手」
 「え?」
 「暗いから」
 しっかりと龍巳に手を握り締められ、碧香は森の中を歩き始めた。
先日の昂也との交信以来になってしまうが、碧香はふと、森の中の空気が少し変化しているのを感じた。
(これは、何の気だろう・・・・・)
 これまでも、あの滝壺を中心としたこの山の空気はとても綺麗で落ち着いていたが、今は更にその空気が研ぎ澄まされ、どこか竜
人界と同じ様な雰囲気さえする。
(東苑・・・・・?)
この変化を龍巳は感じているのかどうか、碧香はそっと少し前を歩く龍巳の横顔に視線を向けた。
 「・・・・・っ」
 その表情に、碧香は僅かに目を見張る。
(・・・・・笑っている?)
普通の人間ならば肌に痛いほどの澄んだ空気。山全体がピンと張り詰めた気に包まれ、どちらかといえば人間には居心地が悪い
ほどの邪気のない空気の中、龍巳は全く意にかえさないというよりも、どこか楽しそうな表情で歩いていた。
確かに、生まれた時からこの山の空気に包まれて育ってきたという龍巳は、今までも清浄だったこの山の空気に違和感なく溶け込
んでいた。
しかし、今のこの空気は、以前の倍、いや、それ以上に変わってしまっている。
人間界の空気が悪いというわけではないが、人間界のそれと竜人界のそれには根本的な違いがあるのだ。
 「・・・・・東苑」
 「ん?」
 「あの、何か感じないのですか?」
 全く違和感のない様子の龍巳に声を掛けると、立ち止まって振り返った龍巳は僅かに首を傾げた。
 「感じる?いや、澄み切ったいい空気だと思うけど?」
 「・・・・・」
 「もしかして、寒いんじゃないのか?引き返そうか?」
 「い、いいえ、このまま参ります」
 「そうか?」
 「・・・・・」
強張った笑みで頷いた碧香は、目で見えるものではない、肌で、感覚で感じるものが確かに変化していっていることを知った。