竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 なぜ、自分の心がこんなに乾いているのか、紅蓮は自身でも全く分からなかった。
コーヤと出会う前までは、確かに身体の飢えを感じることはあったとしても、十分それをコントロール出来ていたし、第一自分から逃げ
る者など皆無だった。
初めて自分の思い通りに行かない相手に、紅蓮自身どう対応していいのか内心混乱していたが、それでも今この手を離せば再び逃
げられてしまうことは予想がつく。そうなるのだけは許せなかった。
 「コーヤ」
 名前を呼ぶと、強気な視線が自分を見返してくる。
しかし、その視線の奥に僅かな怯えが残っていることも感じ取れた。
(覚えておるのだな、あのことを)
コーヤがこの竜人界に現れた直後、紅蓮なりの理由があるとはいえその身体を引き裂くように抱いたことをコーヤは、いや、コーヤの身
体は確かに覚えている。
価値ある紅蓮の精液をその身に受ける光栄をコーヤが理解していないのは不本意だったが、強張ってしまったこの身体を再び組み敷
くのは容易に思えた。
 「お前が何を思って宮から逃れたかは知らぬが、その身は次期竜王となる私が預かったものだ。勝手な行動は許さぬ」
 『は、放せってば!』
 ようやく、コーヤは紅蓮の身体の下で身を捩り、逃げ出そうとし始めたが、紅蓮よりも遥かに華奢で小さな身体が出せる力など限ら
れている。
紅蓮は片手でコーヤの手を拘束するともう一つの手を伸ばし、鋭い指先の爪でコーヤの着ていた服を切り裂いた。
 『!』
 「動くな。お前の肌に傷が付く」
 『や、や・・・・・だ・・・・・って!』
 零れ落ちそうだと思うような大きな黒い瞳が、うっすらと涙で濡れていくのが分かる。
紅蓮の記憶の中でも、元気で、好奇心の塊のように動き回るコーヤの姿が残っているが、こんな風な泣き顔は、多分あの陵辱の時し
か見たことが無い。自分が再び同じようなことを犯そうとしているという自覚はあったが、それ以上に紅蓮はこれが自分のものだという意
識があった。
(私が私のものをどう扱おうと自由だっ)
 紅蓮はそう自分自身に納得させると、そのままコーヤの震える唇に自分の唇を重ねた。



(こいつっ、これしか考えてないのかよ!)
 昂也は自分の身体の上に圧し掛かってくるものが巨大な怪物のように思えた。いや、たった今あの巨大な赤い竜を見たばかりで、
今目の前にいるグレンがあの竜と同一なのだと直ぐには納得出来なかった。
目を閉じてその視界を遮りたいが、目を閉じて更に何か怖いことをされたら嫌で、昂也は涙で潤んだ視界でただ真上にいる男を見て
いるしかいない。
 そんな昂也の気持ちなど一切構わないように、男・・・・・グレンは、そのまま唇を重ねてきた。
(何、これっ、何!気持ち悪っ!)
叫ぼうとして開いた口の中に何かが入ってくる。昂也は蠢くその物体が気持ち悪くて、思わず歯を立ててしまった。
 「・・・・・っ」
 『!』
 その瞬間、腕を拘束していた力が弱まった。昂也は今しかないと思い切り膝蹴りで相手の下腹部を蹴る。
 「が・・・・・っ」
どこに命中したのか、考えるのも怖かったが、身体の上から圧迫感が消えたのを感じ、昂也は急いで這うようにその場から逃れた。
 「コーヤ!」
怒りに満ちた恫喝の声が背中に投げつけられる。
それでも、昂也は尻餅をついた恰好のままグレンを睨み返した。
 『エ、エッチなキスは、恋人同士がやるもんなんだよ!』
 「・・・・・何を言っておる」
 『俺のフルネーム言えるようになってから来いって言っただろ!日本語分かるのかっ、バーカ!!』
言葉の意味は通じなくても、罵詈雑言を浴びせかけられているということは肌で感じたのだろう、グレンはますます剣呑な目付きで昂
也を睨むと、ジワリと側に寄ってくる。
 『バカ!来んな!こ、ここ、俺の陣地だから!』
 必死で言葉で抵抗するものの、やはり腰は立たないままだ。
(ちょっ、誰かっ、交代!)
このピンチを誰かと交代したい・・・・・昂也がギュッと目を閉じて心の中でそう叫んだ瞬間、

 ドンッ!!

 地響きのような音と共に、森全体の木々がざわめいて揺れ始める。
突然の周りの変化に、昂也は何があったのかと思わず目を開いて顔を上げた。
 『じ、地震?』
 「コーヤ」
腰が抜けてしまって立てない昂也は、伸びてきた紅蓮の手から逃れることは出来なかった。いや、この感覚を何時か感じたことがある
と、思い出すのに必死だったからだ。
(そうだ・・・・・あれ、あの時、コクヨーから逃げようとした時だ!)
今と同じように腹に響く音と足元の揺れ。昂也は慌てて周りを見回し、はっと頭上の木が開けている空を見上げた。
 『青嵐っ?』
 「・・・・・セイ、ラン?」
昂也の叫びと共に、頭上の暗闇が眩しいほど明るくなった。



 ドンッ!!

 いきなり感じた地面の揺れと音に、江幻と蘇芳は立ち止まった。
 「今のは?」
 「分からん。感じたことが無い気が爆発したようだ」
2人共初めて感じる凄まじい気。それが何だと考える前に、2人はいっせいに走り始めた。その気が動いている方向へと向かったのだ。
 「今のっ、コーヤと関係があるのかっ?」
 「分からんっ」
 「なんだっ、お前にも、分からないこと、あるのかっ」
 「話すと遅れるっ」
走りながらの会話は途切れがちだが、気を探る2人の集中は途切れない。なぜか・・・・・漠然とした思いだが、この気の先にコーヤが
いるような気がした。

 「あっ!」
 それほど距離は走っていないと思う。
今まであれほど歩き回っていても何も見えなかったはずが、あの音の後いきなり視界が開けたような感じだった。
ハッと視線を上に向けた江幻は叫ぶ。
 「金竜だ!」
蘇芳も直ぐに頭上を見上げる。闇夜に輝く金竜は、そのまま目的があるかのように飛んでいった。
 「急ぐぞっ、蘇芳!」



 自分が先程降り立った場所に、同じように降りてきた金の竜。
紅蓮は実際に自分の目で見たその竜の姿に、さすがに声が出なかった。
(こ・・・・・れが、金の竜・・・・・では、あの角持ちの赤子が変化したというのか?)
通常、竜には2本の角がある。もちろん、変化を解けば、その容姿の中に角の片鱗はない。だが、今目の前に存在する金竜には角
が三つ・・・・・両端と、額の部分に更に大きい角が一つ。
 「これが・・・・・角持ちが変化した姿なのか・・・・・」
 呆然と呟く紅蓮とは反対に、コーヤはどうやら体勢を整えたらしい。多少覚束無い足取りだったが、躊躇いも無く金竜に近付いて
行った。
 「コーヤッ」
危ないと、思わず手伸ばし掛けた紅蓮だったが、続くコーヤの言葉に足を止めた。
 『青嵐!』
 「・・・・・」
(セイラン・・・・・その者の名か?)
 確かに、保護したばかりの角持ちの赤子には名前が無く、紅蓮達もただ【角持ち】と呼んでいた。その赤子の側にずっといるコーヤが
名前をつけたとしてもおかしくは無い。
 「コーヤ、お前が考えた名前なのか?」
紅蓮が近付くと、金竜の鋭い目が向けられた。威嚇をしている激しい気をヒシヒシと感じるが、ここで逃げ出すわけにはいかなかった。
拳を握り締め、更に一歩と近付いた時、
 「コーヤ!」
 声と共に感じた新たな気配にたった今気付いた紅蓮は、そのまま右手の平を上に向けて気を集中させる。直ぐに、その手には気で
作り上げた剣が握られていた。
 「・・・・・江幻」
 「やはりお前か、紅蓮」
 予想はしていたものの、その場に現れた江幻の姿に紅蓮は舌打ちを打ちたくなった。コーヤの名を叫んだということは、既に2人は見
知っているのだろう。この男にはコーヤの存在を知られたくなかったと思っていると、江幻の直ぐ脇からもう1人の人物が姿を現した。
 「竜人界の王子が少年を追い掛けているとはね」
理知的な容貌の奥の、赤み掛かった紫の瞳。皮肉気に歪んだ口元。その視線は一瞬コーヤに向けられてホッとしたように和んだかに
見えたが、再び紅蓮を振り返った時には相変わらず不遜だった。
その面影の中に幼い頃のそれを僅かながら見て取った紅蓮は、憎々しげにその名を口にした。
 「蘇・・・・・芳」
 「なんだ、紅蓮。俺を兄と呼ばないのか?」
 「・・・・・お前が父の子であるという証は無い」
 「なんだ、歳を取って少しは思慮深くなったかと思ったが・・・・・相変わらず我が儘な子供と同じだな、紅蓮」
 2歳しか違わないこの男に子供扱いされることは無いと紅蓮は睨み返すが、口を開けばそれこそ子供のようなことを言いそうだった。
 「・・・・・お前達は、何の為にコーヤと角持ちを側に置く」
 「気に入っているからに決まっているだろう?俺には人間の血が混じっているからな、コーヤを嫌うという事は無い」
蘇芳の言葉は一つ一つが棘のように紅蓮に突き刺さってくる。それでも、紅蓮は拳を握り締めているしか出来なかった。
 「自分に人間の血が流れているといっても、生きた人間を見るのは初めてだった。紅蓮、コーヤは可愛いと思わないか?」
 「・・・・・」
 「俺が大人で良かったな、紅蓮。死んだ母親から生まれ、忌み児扱いされた俺も、今までお前を恨むことはなかったし、関わりあうつ
もりも無かった。だが、このコーヤが関係するなら黙って引き下がることも出来ないな。相変わらず人間を忌んでいるようだが、紅蓮、何
をどう繕っても、お前の父親が人間の女を抱いたことには変わりが無い。その女が妃よりも先に子を産み、結果、妃の気が狂って女を
殺して何も無かったようにみせても、お前に人間の血を引く兄弟がいることは消しようの無い事実なんだよ」
そこでいったん蘇芳は言葉を切ると、ふんっと顎を上げた。
 「まあ、それが俺かどうか、証拠はないけどな、この瞳以外は」