竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 一緒に滝壺へ向かった事で、碧香は龍巳の中の竜の力がかなり目覚めている事を知った。
あからさまな力を見せる事はなかったが、側にいるだけで龍巳の気が充実しているという事は感じられたし、何より碧香の中の竜の血
が反応するのだ。
(こんなにも東苑は努力をしてくれているのに・・・・・)
 竜人界の勝手な思惑に、それでも最大限の手助けをしようとしてくれている東苑に対し、碧香は何も出来ないままの自分がもどか
しくてたまらなかった。

 「じゃあ、行ってくるけど」
 朝、何時ものようにガッコウという場所に向かおうとした龍巳は、玄関先で見送る碧香を振り返った。
 「1人で勝手に動き回らないように」
 「・・・・・東苑」
 「明日は午前中で帰れるし、またこの間の山に行ってみよう。紅玉はもう無いって言ってたらしいが、何か手掛かりは残っているかも
しれない」
 「はい、東苑」
 「・・・・・じゃあ」
まだ何か心配なのか、龍巳はしばらくじっと碧香の顔を見つめていた。しかし、やがて諦めたように背を向けて出掛けていく。
 「・・・・・」
遠ざかる龍巳の足音が聞こえなくなるまでその場にいた碧香は、その気配が消えたのを確認した途端行動に移し始めた。
既に服は着替えているし、朝食は龍巳と一緒にとった。龍巳の祖父である東翔は朝のお勤めに出ていて、この家の中には碧香以
外の誰もいない。
(ごめんなさい、東苑)
 勝手に動くなという龍巳の言葉は、自分を心配してくれているからだというのはよく分かっている。それでも碧香は、どうしても確かめ
てみたかった。
叔父である聖樹が、本当に竜人界を裏切ったのかを。



 聖樹と会った場所がどこなのか、行った当初は碧香は全く分からなかった。
しかし、捜索を終えた場所を地図上に印を付けていく龍巳を側で見て、その地名を形で覚えた碧香は、とにかくもう一度聖樹に会
いたい一心で1人でそこに向かうつもりだった。
 「・・・・・あ」
(髪を隠さないと)
 直ぐにでも外に出ようとした碧香だったが、靴を履く時に俯いた瞬間、自分の視界に髪が映った。金に近い銀髪は、この世界では
とても珍しいらしい。
街に出て、碧香はこの世界には様々な髪の色や目の色をしている人間が数多くいるという事を知って驚いた。どうやらそれは生まれ
付いての色ではないらしいく、自分の好みで変えているらしいのだが・・・・・どうやら碧香の髪や目の色は人工的なそれらの色とは少
し違うらしい。
(私には違いは分からないんだけど・・・・・)
 それでも、自分の容姿が目立ってしまうのは本意ではないので、龍巳が何時も教えてくれているように自分の髪を束ね、頭に被る
ボーシというものにそれを入れて、碧香はようやく準備が出来たと外に出た。

 紅玉探しでかなり出歩くようになったものの、やはり碧香にとっての安全圏はこの龍巳が暮らす神社の山だった。
一歩この山から出てしまうと、身体を圧迫するような人間の複雑な思考や、息苦しい空気が碧香に襲い掛かってくる。
全ての人間が欲深いとは思わないが、それでも人間達はよくこの気の中で暮らしていけるものだと思ってしまう。

 「同じ人間として少し恥ずかしいけど」

 当初、碧香が遠回しにだがそのような事を言うと、龍巳は苦笑を零しながらそう言った。龍巳を責めるつもりなど全くなかったのに、
不用意に言った自分の言葉が龍巳を傷付けてしまったかと思うと怖かった。
 「言葉というものは難しい・・・・・」
ゆっくりと石の階段を下りながら碧香は呟いた。
(人によって、色々と意味が変わってくるものなんて・・・・・)
 竜人界にいた時は、そんな事を一々考えた事はなかった。もちろん、竜人界では王子としての碧香を誰もが気遣ってくれていたし、
碧香も自分の言葉を意識しなかったが・・・・・知らない間に、誰かを傷付けていた事もあったかもしれない。
 「意味はきちんと考えなければ・・・・・」
 「そうだな」
 「!」
いきなり声を掛けられて、碧香はビクッと立ち止まってしまった。



 朝会った時から、碧香の様子がおかしい事には気付いていた。
いや、叔父という男に会って以来、碧香の様子は思い詰めた感じで沈んでいたので、祖父にも気をつけてくれるようにと頼んでいた。
しかし、今朝はどこか決意を込めたような表情でいた碧香に、龍巳は不審なものを感じた。
だからこそ、

 「1人で勝手に動き回らないように」

釘を刺すようにそう言って家を出たのだが、歩いていてもどうしても胸の中のもやもやは消えなかった。
(気のせいだったらいいんだけど・・・・・)
 「・・・・・」
 龍巳は足を止めると境内に続く石階段の影に行った。遅刻覚悟でもう少しここにいて、そのまま何も無かったら改めて学校に行こう
と思った。
しかし、それから間もなく、石階段を下りてくる碧香の姿を見付けたのだ。
 ああ、やっぱり・・・・・龍巳はそう思った。
誰かに頼るという事ではなく、自分で何かを(それは碧香しか分からないかもしれないが)確かめたいという碧香の気持ちが理解出来
ないわけではなかったが、やはりこの世界の事を知っているとは言い難い碧香だけでは不安だ。
 「・・・・・」
 龍巳は空を見上げて溜め息を付いた。
今日はもう、学校に行くのは諦めた方がいいようだ。



 いきなり現れた龍巳の姿に、碧香は呆然と目を見開くしか出来ないようだった。
そんな碧香に向かって、龍巳は苦言というよりも頼むからと言葉を続けた。
 「碧香がしたいということを俺は止めないから」
 「東苑・・・・・」
 「だから、俺も一緒に連れて行ってくれ。後で後悔はしたくないんだ」
 今の自分の力では、とてもあの男に適わない事は分かっている。多分、男に会いに行こうとしている碧香に付いて行ったとしても、
守るという言葉は軽々しく言えなかった。
それでも、後で一緒に行っていればと、なぜ側にいなかったのだと後悔するよりも、一緒に傷付いた方がましだ。
 「なあ、碧香」
 「・・・・・確かめたかったのです」
 「・・・・・」
 「本当に、本当にあの叔父が、翡翠の玉を盗むという大罪を犯したのか・・・・・それほどに、竜人界を厭うておるのか、どうしても確
かめたかったのです」
 「うん」
 「そんな私の私事に、東苑を巻き込む事は・・・・・」
 「俺が、碧香と一緒にいたいだけだから」
 「東苑」
 「一緒に行こう、碧香」



 制服では目立つからといったん家に戻った龍巳は、普段着に着替えると碧香の手を取って歩き始めた。
不思議と、龍巳とこうして手を繋いでいるだけで、先ほどまで感じていた重苦しい気が薄くなっていくような気がする。
(私は・・・・・弱いな)
あれほど龍巳が言ってくれたから・・・・・表面上はそんな形になってしまったが、実際は碧香が龍巳の存在を欲していた。1人であの
場所に行くという決意をしていたくせに、碧香は胸が張り裂けそうなほどに不安でたまらなくて・・・・・龍巳が姿を現した途端、まさか
という気持ち以上に、嬉しいと心は感じてしまった。
 「何か手掛かりが残っていればいいな」
 「・・・・・はい。紅玉の気配は分からないとは思いますが、竜人の気配ならば感じ取れると思いますし・・・・・」

 『お前は紅玉を探しているということらしいが、ここには紅玉はもう無い。私の同志が他の場所に移したからな』

確かに聖樹はそう言った。
その言葉には、紅玉はあの場所には無いという事実と共に、聖樹に協力者がいることが分かる。竜人である聖樹が同志というのなら
ば、それはきっと竜人のはずだろう。
 「叔父ほどの力の主ならば気配を全て消し去るという事も出来ると思いますが、そんな高等な力を使える竜人はそれほどにいない
はずです。僅かでも気配が残っていれば、私にも何かを感じる事は出来ると思いますし」
 「それは日にちが経っていても関係ないのか?」
 「はい。気というものは風化しませんから」
 「そうか。まあ、俺も前回ほど情けない姿は晒さないと思うしな」
 「え?」
 「ビビッて、ただ立っているしか出来なかった」
 「そんな事・・・・・っ」
 「でも、今は少しでも何かが出来るんじゃないかって自分を信じている。だから碧香も、自分なんかって思わなくていいと思うよ」
 「・・・・・はい」
 「うん」
(東苑、強くなられた・・・・・)
 龍巳の言葉の中には、不安定な響きは無かった。確かに自分でも言うように完璧な力の目覚めという事ではないだろうが、それで
も自分なりにやってきたという自信があるのだろう。
そのうえ、龍巳は昂也と話して、その元気を貰っているようだ。
 「・・・・・」
 心の中に昂也には敵わないという思いが再び生まれてきそうになったが、碧香は首を横に振ってその考えを振り払う。
龍巳が言ったように、自分にも何かが出来るはず・・・・・碧香はそう言い聞かせて龍巳の手を握りしめた。