竜の王様
第二章 二つめの赤い眼
25
※ここでの『』の言葉は竜人語です
「どうだ?」
電車とバスを乗り継いで、先日碧香の伯父だと名乗る男と遭遇した森にやってきた。
家を出た時間が早いせいか昼前には着いたが、昼間のこの時間にはほとんど他の人影は見当たらなかった。
「・・・・・」
碧香は多少青褪めた表情はしているものの、それでもしっかりとした足取りで森の中を歩いている。
その後ろを守るように歩きながら、龍巳は自分の身体の中の血がどくどくと熱く波打つのを感じていた。
(・・・・・分かる、感じるな)
自分なりの修行をした成果なのか、龍巳は森の中に残る人間以外の存在の気を感じ取ることが出来ていた。それが竜人のものなの
かどうかははっきりとは分からないが、明らかに人間が持つものとは違うことは分かるし、どこか碧香の纏っている気と似通っていることが
分かるのだ。
(なんか、神経が研ぎ澄まされてる感じ・・・・・か)
そんな自分の変化に一瞬戸惑ってしまった龍巳だが、次の瞬間、頭の中に昂也の声が浮かんでくる。
「ばっかじゃない、お前。カッコつけ過ぎだって!全部が全部、お前一人でするわけじゃないだろ」
(・・・・・うん、そうだよな)
別に自分は特別な人間ではなく、悪者から人間界を守るなんてたいそうな使命を任せられているわけではない。やっているのは碧香
には悪いがただの玉探しだ。
「碧香」
龍巳は意識を切り替えて、再び碧香の名前を呼んだ。
伯父の聖樹の気は、危惧した通り感じ取ることは出来なかった。
しかし、それ以外にも人間ではない気配、明らかに竜人であろう気を感じ取ることが出来た。
(やはり叔父上の言われた通り、今回の件には何人もの竜人が関わっているのか・・・・・)
碧香は父を、兄を尊敬し、愛していた。
竜王としての父は尊敬に足る人物であったし、次期竜王となるはずの兄紅蓮も、必ずや父のように、いや、父以上の立派な竜王に
なるだろうと思っていた。
民達も、高貴な血を引く王族を敬愛しているが、中にはその王族を《澱んだ血の一族》といって非難する者も確かにいる・・・・・らし
い。碧香は直接その者達の言葉を聞いたことは無かったが、時折浅緋や蒼樹が内乱を治めに兵を率いて向かっている様子は見てき
た。
今回の聖樹の手助けをしているのは、そんな王族に反意を抱いている者達なのだろうか。
「碧香」
龍巳の声に、碧香は振り向いた。
「気配は?」
「叔父上の気はやはり残ってはいません。ただ、他の竜人の気は確かに感じるので、この森の中に何らかの意図があって訪れたのだ
とは思います」
「そうか」
「すみません、役に立たないことしか分からなくて・・・・・」
「碧香」
俯いてしまった碧香の頭をボウシの上からポンポンと叩いた龍巳は、ぐるりと回りに視線を向けながら言った。
「こんな広い山の中でそれだけ分かれば十分。それに、碧香、その残っている気を追い掛ける事は出来るんじゃないのか?」
「気を追う?」
「そう」
「・・・・・そうですね」
(確かに、気を放つ者が動けば気も動く・・・・・)
はっきりとしたものではなくても、方角や距離など、読み取る情報はあるかもしれない。
龍巳の提案に強く頷いた碧香は、目を閉じて神経を集中し始めた。
碧香が気を探っている間、龍巳も自分で出来る情報を集めてみようと思った。
(碧香は玉のことは竜人には分からないと言ったが、俺だったら少しは何か気が付くんじゃないか?)
竜王にしか反応しないという翡翠の玉。その片割れの紅玉も普通の竜人には気配も探れないという事だが、竜の血を持つ人間の自
分なら、何か・・・・・ほんの砂粒のようなごく僅かなことでも感じ取ることが出来るのではないかと考えた。
「・・・・・」
(実際に玉を見たわけじゃないからイメージが乏しいけど・・・・・)
現実主義の自分は想像力が貧困だからと言い訳をしながらも、龍巳は碧香から少し離れた場所で目を閉じ、意識を集中させる。
龍巳にとっての紅玉。それは、まさに竜人の気をもっと濃く凝縮したような、明るく熱い・・・・・。
(え?)
頭の端に、チラッと見えたもの。
(何だ、あれ?)
赤くて。
(熱い?)
禍々しい、血の匂いがする・・・・・柘榴(ざくろ)?
「!碧香!」
ぱっと目を開けた龍巳は、急に大声を出した自分を驚いたように見つめてくる碧香に向かって言った。
「紅玉って、紅って字が付くくらいだから、色もそんなものだよな?」
「多分・・・・・私は翡翠の玉の形では見たことはあるのですが、2つに分かたれている姿の話は父上の話で聞いたくらいしか分からな
いので・・・・・」
「何でもいいっ、どんな風だって言ってたか思い出してくれ!」
「東苑、いったい・・・・・」
「頼むっ」
「は、はい」
龍巳の必死な様子に何かを感じたのか、碧香は強く頷くと空を見上げた。
(父上は何とおっしゃっていただろう・・・・・)
竜王にしか光らない石。
通常の神殿の奥深くに崇められている時に垣間見た姿は、少し金色掛かった・・・・・それでも普通の水晶の玉にしか見えなかった。
あんなものがなぜ竜王の証なのか?
不思議そうに首を傾げた幼い碧香に向かい、父は何と言っただろう・・・・・。
「碧香、私が見るこの玉は、赤にも青にも、金にも見える、不思議な光を放つ玉だ。精神の象徴でもある蒼玉は、古の方々の良
心の結晶で、力の象徴でもある紅玉は、流してきた血潮の一滴一滴の結晶。どんな者でも持つ善と悪が融合し、それを昇華して
初めて、一つの光を放つようになる。碧香、尊いのは心だ。力だけでは民は守ることは出来ない」
「力の象徴でもある紅玉は、流してきた血潮、一滴一滴の結晶・・・・・確か、父上はそうおっしゃられていた」
「一滴一滴・・・・・ああ、だからか」
「東苑?」
「頭の中に、柘榴が見えたんだ」
「ザクロ?」
「甘酸っぱい果物だ。でも、見掛けはちょっとグロテスクで、中は小さな種が一杯詰まっていて・・・・・昔話で、その実は人間の血肉
の代わりだって言われてもいるんだ」
「人間の血肉・・・・・」
「もちろん、実際にそんな味がするわけじゃないけど。あ、それで、頭の中に浮かんだイメージでは、一つの丸い玉じゃなくって、小さな
玉が固まって一つになっているような感じで・・・・・っ」
急いたように碧香に説明してくれていた龍巳は、いきなりぱっと後ろを振り返った。
「東苑っ?」
「同じ匂いだ!」
そう叫ぶなり、龍巳いきなり走り出す。
一瞬躊躇った碧香だが、直ぐにその龍巳の背中を追いかけた。
さっき頭の中に浮かんだ柘榴のイメージ。
そして、ムッとするような血の匂い。
竜王の証と言うからには、もっと神々しく清らかなイメージをしていた紅玉は、途端に龍巳の中ではもっと生々しく泥臭いものという印
象になった。
(どっちだっ・・・・・遠いかっ?)
頭の中でそのイメージが鮮明になった瞬間、ピリッとした気配を肌に感じた。頭の中の紅玉が持つ匂いと同じ・・・・・いや、それより
もかなり薄いが、確かに同じ気配がする気。
それがこの森の中に、自分達の側に感じたと同時に、龍巳は走り出したのだ。
「と、東苑!」
少し後を追い掛けてくる碧香に、龍巳は振り返らないまま叫んだ。
「紅玉の匂いをさせた奴がいる!」
「えっ?」
「多分、持ってはいないだろうが、一度はそれに触れたはずだ!捕まえたら何か分かるかもしれない!」
「東苑っ、無理をしないで!」
「碧香はそこにいろっ!」
今の自分の力では、到底碧香も守って相手も倒してというのは無理だ。1人にさせるのは心配だが、これから向かう先に一緒に連れ
て行くことはもっと危険だと思った。
「いいなっ!」
「東苑!」
更に足を速め、道ではない道を上へと駆け上がっていく。
驚くことに山を登っているような疲れなどは一切感じず、まるで自分の身体が別のものに生まれ変わったような感じだった。
(足が・・・・・身体が軽いっ?)
突き出している木の枝も軽く払うだけで折れ、踏みしめる草はまるで生気を吸い取られていくようにしなって枯れていく。それが自分の
どんな力のせいなのかは分からないが、龍巳はもう考えるのを止めてしまった。
「くそっ!」
(絶対に捕まえてやる!)
感じる気配は単独で、龍巳の気配に気付いていないのか遠ざかる感じはまだしない。
せっかく見付けた手掛かりを逃すものかと、龍巳は一心に走り続けた。
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