竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 前を走る龍巳の背中がどんどん小さくなっていく。
待っていろと叫ぶように言われた碧香だったがとても頷く事など出来ず、置いて行かれないようにと走り続けた。
(東苑もこの気配を感じているのか・・・・・っ?)
 龍巳の言う、紅玉の気配というものは碧香には分からなかったが、追い掛けてみろと言われた気の持ち主・・・・・叔父聖樹以外の
竜人の気配は感じ取れていた。
その気の流れを探っている最中に突然龍巳が叫んだのだが、いったい彼には何が見えているのだろうか。
(東苑には、いったいどんな力があるんだろうっ?)
 人間には持てるはずのない力を持つ事が出来、竜人の気配ばかりか紅玉の気配も感じる事が出来る。
そんな力など、王族にもごく限られた者しかあるはずがない。
 「とっ、東苑!」
 「・・・・・っ」
 「東苑!」
龍巳の足は碧香の声にも立ち止まらなかった。



 気配はドンドン近付いてくる。
人間以外の気と、血の匂いが、龍巳の身体中を包むように覆い被さってくる。その正体を早く自分の目で確かめたかった龍巳は、後
ろから碧香が追ってきていることも忘れて山の斜面を駆け上っていた。
そして・・・・・。
 「!」
 そろそろ頂上の開けた場所なのか、周りの木の数がまばらになって明るくなってきたかと思った瞬間、頭上から何かが落ちてくる気配
がした。
いや、落ちてくるのではなく、はっきりとした殺意がそこにはあった。
(誰だっ?)
 反射的に今いた場所から飛び退いた龍巳は、突然現れた人物に視線を向ける。
(・・・・・間違いない、こいつがさっきからの気の主だ)
大柄な男だった。外見的には自分達と同じ人間のように見えるが、少し尖った耳と、青白い肌、そして睨みつけてくるグレーの瞳が
多少の違和感を感じさせた。
 「お前、誰だ?」
 「・・・・・」
 「竜人か?」
 『お前、人間だな?なぜ俺の居場所が分かった?』
 「・・・・・何言ってるのか分かんないって」
 男の口から零れる言葉は龍巳には全く意味が分からないものだった。これでは意思の疎通など出来ない、龍巳がそう思った時、
 「東苑!」
ようやく追いついてきたらしい碧香が声を上げた。



 龍巳が誰かと対峙しているのが見えた。
それは、碧香が追っていた気の持ち主で、明らかに竜人だ。
 「東苑!」
必死になって碧香が叫ぶと、龍巳だけではなく男も振り返る。
 「!!」
そして、男は碧香の顔を見た途端大きく目を見開き、反射的なのかその場に膝を着いた。
 『碧香様っ!』
 自分の名を知っている。碧香はその事実に泣きそうなほどに悲しくなってしまった。
碧香の名を言えるということは、当然紅蓮のことも知っているはずだ。敬称を付けて呼んでくれるような竜人が、自分の世界の新しい
王の誕生を阻む策略に加わっている・・・・・そのことが本当に悲しかった。
(それほどに・・・・・兄様が竜王になるのを厭うているのかっ!)
 『あなたは・・・・・私の事を知っているのですね』
 『・・・・・っ』
 『このような大罪を犯してしまうほどに、あなたは兄様が竜王になるのを反対されているのですか』
 出来るだけ冷静に話しているつもりだった。それでも、こみ上げてくる涙を止める事が出来ない碧香に、男は声を出す事も出来な
いようだ。
ゆっくりと男に向かって歩きながら、碧香は更に言葉を続けた。
 『あなた方に正当な理由があるのならば、それをきちんと訴え出てくれれば良かったのです。兄様はけして意見を聞かないというよう
な方ではないのに・・・・・こんな方法はとても卑怯です』
 『お、俺達は・・・・・』
 『答えなさい!あなた方は何の為にこんなことをしたのです!卑怯です!!』
 『申し訳ありません!』
 責められることに耐え切れなくなったのか、男はいきなり立ち上がると碧香に向かって走ってくる。
避ける事も出来ずにただ立っているしか出来なかった碧香の身体を、とっさに抱き寄せてその場から動かしたのは龍巳だった。



 まさか、竜人が碧香に危害を加えるとは思わなかったが、碧香に向かっていく影が目に入った瞬間龍巳の身体は動いていた。
 「自分の国の王子だろ!泣かせてどうするんだ!」
そのまま碧香を腕の中に抱きしめたまま、龍巳は男に向かって叫ぶ。こんな事で碧香が泣くのは悔しかった。
 「謝れ!」
 『・・・・・っ』
 男は唇を噛み締め、今度はあからさまな殺気を龍巳に向けて襲い掛かってくる。
龍巳は碧香の身体を突き飛ばすように放すと、そのまま自分からも男に向かって行った。誰かとこんなふうに喧嘩をするなど、高校
生になってからしたことはない。
(いやっ、これは喧嘩じゃない!)
どちらかが命を落とすまでする戦いは、喧嘩などという生易しいものではないのだ。

 ガッ

 「くぁっ!」
 男の拳がいきなり腹に入り、龍巳は思わず呻きながらよろめいた。全く手加減のない大人の男の攻撃というものを初めて受けたと
いうのに、確かにものすごい衝撃を受けたものの立ち上がれないというほどではない。
(・・・・・よし!)
龍巳は気合を入れるように拳を握り締めると、倒れている碧香の前に立ちふさがるようにして身構えた。
 「紅玉の在り処を教えろ!」
 『お前・・・・・人間だろう?何だ、その気は・・・・・』
 「玉を碧香に渡せ!」
 『人間・・・・・いや、違う・・・・・』
 お互いがお互いの言葉を分かっておらず、意思など全く通じない。それは分かっているが、龍巳はとにかく自分が全く引かない事と、
何の力もないとは思わせないのを見せ付ける為にも、今までで一番の念を構えた右手に集中させた。
(落ち着け、俺・・・・・っ)
 この力はまだコントロールしきれておらず、フルパワーがどれ程のものか分からない。それに、この力で、誰かを傷付けたいとも思わな
い。
龍巳としては、これは脅しのつもりだった。



 『・・・・・っ』
 龍巳と対している男が驚いているのが良く分かる。碧香自身、今まで感じていた数倍の気を龍巳の全身から感じて涙で潤んだ目
を見張った。
(いったい、東苑はどこまで・・・・・)
いくら自分で鍛えたといっても、その期間はほんの数日のはずだ。そんな短い間に、いくら元々の素質や竜の血が流れているからといっ
ても、これほどの力が備わるだろうか。
(東苑、あなたは・・・・・)
 碧香は、自分は偶然龍巳の前に現れたと思っていた。
次に、龍巳の中に竜人の祖先の血が流れているだろうという話を聞いて、出会ったのには意味があるのだと思うようになった。
しかし、この人間界には龍巳以外にも竜の血を引く人間はいるはずで、その中で碧香が龍巳を選んだのはもっと他に意味があるかも
しれない・・・・・碧香は漠然とそう思い始めていた。
対峙している竜人の男も、あからさまに見せ付けられる龍巳の力を驚愕の目で見ている。
 「と、東苑」
 「・・・・・」
 かなり集中しているのか、龍巳は碧香の声に振り返らない。
そして、気はますます増幅していって・・・・・。
 『なっ、なんだ!お前っ!お前・・・・・は!』
 「・・・・・っ?」
(な、何を驚いて・・・・・?)
 急に男が悲鳴のような声を上げた。
自分を庇うように立っている龍巳の背中しか見えない碧香は、男が何に驚いているのか全く分からない。
それでも、怯えたような表情で、驚愕したような響きの言葉を言う男が気になって、碧香は震える足を叱咤してようやく立ち上がっ
た。
突き飛ばされたといっても怪我をしたわけではなく、気持ちが落ち着けば歩けない事はない。
 「と、東苑っ」
 その名を呼びながら、碧香は何とか龍巳の前へと・・・・・龍巳と男の間へと身体を入れて、その顔を見上げた。
 「!!」
その瞬間、碧香はひゅうっと息を飲んだ。
 「ア・・・・・オカ?」
自分の前に回ってきた事でようやく碧香の存在を視界に入れたような龍巳は、意識を集中し過ぎていたせいか碧香の名を呼ぶ声
は少し枯れている。
空に向けた右手の掌の上では、まるで熱の塊のような気が集められている。
 しかし、碧香が驚いたのはそれではなかった。
 「と、東苑、その・・・・・瞳・・・・・」
 「瞳?」
 「・・・・・」
(自分では分からないのか・・・・・っ?)
碧香を真っ直ぐに見つめてくる龍巳の瞳。綺麗で澄んだ闇のような黒い龍巳の瞳が、なぜか今は真紅に染まっている。兄、紅蓮と
同じ、竜王になるべく人物が持つ色だ。
 「どうして・・・・・」
龍巳の瞳がなぜこんな色に染まっているのか、碧香はただ呆然とその赤い瞳を見つめ返すしか出来なかった。