竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は竜人語です





 ずっと泣き続けている碧香をどうやって家のある山まで連れ帰ったのか龍巳はよく覚えていなかった。龍巳自身目の前で起こった事
が現実なのかどうか、怖くてとても回想したくも無かったからだ。
しかし・・・・・。
(あの男が死んだのは確かだ・・・・・っ)
 青白い気が消え去ってしまった時、まるで身体中の気が吸い取られたかのように・・・・・ミイラのようになって呼吸が止まってしまって
いた男を碧香が泣きながら抱きしめた時、龍巳はいくら気を使えるようになったとはいえ、結局自分は何も出来なかったと呆然と立ち
尽くすことしかなかった。
 「・・・・・碧香」
 「・・・・・」
 とても今日は祖父にも会うのは重くて、そのまま碧香を部屋へと連れて行こうとしたが、碧香は泣きながらもそれを拒み、あの滝壺へ
と足を向けて歩いていた。
その気持ちは分からないでもない。碧香はきっと、あの竜人の魂を竜人界へと送ってやろうと思っているのだろう。
(俺にもっと力があったら・・・・・)

 「碧香」
 「・・・・・黄恒っ、黄恒・・・・・っ」
 泣きながら呼ぶそれが男の名前だと気付いた龍巳は、男が碧香に対しては誠実であろうとしたのだろうと覚った。
自分の名前を伝え、更なる情報を言おうとした時・・・・・きっとその時、この男・・・・・黄恒は命を落としたのだ。
(病気とか、偶然とかじゃない。あれは、あの光が命を・・・・・いや、気を奪ったんだ)
 呆然と男の亡骸を見下ろしながら、龍巳はこの後どうすれば良いのか冷静に考えようとした。
まさかこのままここに亡骸を置いて行くことは出来ないし、かといて運ぶ事など車の運転も出来ない自分には無理だ。
それでもずっとここにいることは出来ず、龍巳は思い切って碧香に言った。
 「ここに埋めるか?」
 「・・・・・」
 「ここは竜人界じゃないけど、十分気も澄んでいる。きっと、こいつもゆっくり眠れるんじゃないかな」
 口から出まかせではないが、龍巳は男が本当にそう思っているとは考えなかった。きっと、どんな事をしても、どんな姿でも、自分の
故郷である竜人界に帰りたいと思っていることだろう。それを自分の都合だけでここに残して行こうと言う自分に自己嫌悪を感じてし
まうが、龍巳にとってはその方法が一番良いと思えたのだ。
 「・・・・・待って、下さい」
 「碧香」
 「まだ僅かに・・・・・」
残っている・・・・・そう言いながら黄恒の額に手を当てた碧香が目を閉じて何事か念じていると、やがて手と額の間から光が洩れ始め
た。
(これは・・・・・)
 「それ・・・・・」
 「黄恒の命の欠片です。これだけでも・・・・・竜人界に送ってやりたいので・・・・・」
額から手を離した碧香が掌を返すと、そこにあったのはビー玉くらいの小さな玉だ。
 「こんな小さなものですが・・・・・これが黄恒の生きた証ですから・・・・・」

 その後、龍巳は地面に穴を掘り、黄恒の亡骸を埋めた。
たったその短い間にも黄恒の身体はますます小さく干からびて縮んでしまい、あの時は・・・・・対峙した時は龍巳よりも遥かに大柄で
立派な体付きをしていたのに、今はもう中学生位の子供のような大きさになってしまっていた。
(多分、そう時間を置かないうちに土に還るかも・・・・・)
人間と竜人の違いは、龍巳にはよく分からなかった。自分が今習得しようとしている不思議な力の事もあるが、どんなに外見や能
力が違ったとしても、死んだら・・・・・同じだ。
死者を生き返らすことなどは出来るはずがない。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 碧香は今滝壺の中で跪き、胸元まで水に浸かりながら何か祈っている。水の冷たさは、今感じていないのだろう。
そんな碧香を側で見ていた龍巳は、黄恒という男に対していた碧香の姿を思い浮かべた。あの時の碧香はまさに高貴な身分の者、
王子そのものだった。
 碧香との初対面以降、龍巳にとって碧香はただの碧香で、身分とかいうものは感じたことがなかった。元々現代の日本に生きる、
それも高校生の龍巳にとって、両親や学校の教師以外に自分の上という人間は周りにいなかったのだ。
しかし、今回の事で、龍巳は改めて碧香という存在を自分とは違った次元の相手なのだと認識する事になった。
(碧香は・・・・・どう思ったんだろうな)
 龍巳にも分かったあの光の恐ろしさは、碧香にとってもかなりの衝撃だった事だろう。いや、自分と同じ竜人のあんな結末を見てどう
思ったのか、妙な事を考えないかと龍巳は不安になった。



 「・・・・・」
 ずっと握り締めていた掌を、碧香は水の中でそっと開いた。
(どうか、この魂が竜人界に還るように・・・・・)
この滝壺が竜人界に繋がっている事は分かっている。それでも、この魂がそこに戻れるのかは分からないが、碧香はあんなにも悲しい
命の終末を終えてしまった黄恒を、せめて魂だけでも愛する竜人界へと送ってやりたかった。
 「・・・・・碧香」
 「・・・・・」
 「冷えるぞ」
 どの位そこに跪いていたのか分からなかったが、気付けば直ぐ側に立っていた龍巳が碧香の腕をそっと掴んでいた。
 「・・・・・東苑」
 「風邪をひくから」
何時もと変わらない調子で話し掛けてくれる龍巳に、碧香は申し訳ない気持ちで一杯だった。
本来ならこれは自分の問題で、さらに年上である自分の方が龍巳を気遣わなければならない立場のはずなのだ。
 「・・・・・ごめんなさい、東苑」
 「謝る事なんて無い」
 「でも・・・・・」
 「あいつも、碧香に弔ってもらって喜んでると思う。だから・・・・・自分を責めなくて良いから」
 「・・・・・」
 そんな事は無理だ。目の前で起こってしまった事を忘れるわけにはいかないし、何より碧香の亡き父や兄が関係する竜人界の王
座に関する重要なことだ。
 「あ・・・・・っ」
 「碧香?」
そう思った時、不意に碧香は思い出してしまった。黄恒が死んでしまう直前に、その唇が動いて知らせてくれたことを。
 「・・・・・っ!」
 「碧香!」



 いきなり碧香の身体が滝壺の中で崩れ落ちそうになって、龍巳はとっさにその身体を抱きしめた。
先程までも深い悲しみのオーラが碧香の周りを包んでいたが、今はそれ以上の不安や衝撃といったものが龍巳にも襲い掛かってくる。
なぜいきなり碧香の気が変わったのか、龍巳は必死に碧香を抱きしめながら叫んだ。
 「碧香!落ち着け!碧香!」
 「ど、どうしよう、どうしよう、東苑、兄様が・・・・・っ」
 「兄?それが何か・・・・・」
 「あんなにも身近に裏切った者がいたなんて・・・・・っ」
 呻くように言った碧香は、龍巳の肩にしがみ付く。その指先の強さに思わず眉を顰めながらも、龍巳は碧香の身体を離そうとは思
わなかった。
 「裏切り者って、碧香、お前の知っている奴なのか?」
あの時、僅かに動いた黄恒の唇の動きで、碧香は男が何を言ったのか分かったのだろう。そして、その人物の名は、碧香にとっては思
い掛けない人物だった・・・・・。
 「碧香、それは誰だ?」
 「・・・・・」
 「碧香!」
 「兄様が・・・・・とても信頼している方です・・・・・」
 「信頼って、仲間ってことか?」
 「あの方が・・・・・そんな・・・・・っ」
これ程碧香が嘆くのならば、相手は碧香にとって、いや、碧香の兄にとってもかなり大切な存在なのだろう。そんな相手に裏切られた
碧香になんと声を掛けて良いのか分からないが、それでもこのまま嘆いていても何も始まらない。
龍巳は碧香の肩を強く掴むと、涙で潤む碧の瞳を真っ直ぐ見つめながら言った。



 「碧香、昂也に連絡を取ろう」
 「・・・・・昂也に?」
 「ああ。そいつはあっちの世界にいるんだよな?だったら、昂也に言ってお前の兄貴にも注意してもらおう。こっちの言葉をどれだけ信
用してくれるかは分からないが、弟のお前が言えば信憑性は感じてもらえるんじゃないか?」
 「・・・・・」
 紅玉を見付けるまで、碧香は簡単には竜人界に戻れない。それならば、今自分達と竜人界を結ぶのは昂也という存在しかいな
いはずだ。碧香の兄が信じてくれるかどうかは分からないが、今一番それが早く取れる行動ではないだろうか。
 「碧香」
 「・・・・・そう、ですね」
少し落ち着いたのか、碧香が小さな声で呟いた。
 「兄様に注意して頂かないと・・・・・あちらの蒼玉探しにもきっと影響が出るでしょうから」
 「・・・・・そいつ、強いのか?」
 「・・・・・先程のように・・・・・黄恒に術をかけ、秘密の核心に迫るような事を言おうとしたらその呪が命を奪う・・・・・そんな高等な
術を使える術師はほんの僅かです」
 「そんな奴が、お前の兄貴の側にもいる?」
 「・・・・・兄は生まれた時から竜王になることが決まっていたような方で、孤高ともいえる立場の方でした。そんな兄が信頼し、心を
寄せた側近は僅か・・・・・。その中に、その術を使える者が、黄恒が最後に言った特徴を持つ方がいらっしゃるのです」
 「特徴?」
 「・・・・・先程黄恒の身体を包んだ光・・・・・あの青い光と同じ光を身に纏っている方が・・・・・」
 「名前は?」
碧香は、その名前を言おうとしなかった。それは龍巳に言いたくないというよりも、口に出して自分自身が思い知る事が怖い・・・・・そ
んな感じだ。
(そんなにも、碧香にとっても大切な存在なのか・・・・・)
これからの紅玉探しが更に難解なものになりそうな予感がして、龍巳ももう何も言うことが出来なかった。