竜の王様




第二章 
二つめの赤い眼



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※ここでの『』の言葉は日本語です





(何だ、何だっ)
 いきなり喧嘩を始めた3人に、昂也は唖然としてしまった。
 「こ、江幻様!」
珪那もどうして良いのか分からないようにオロオロして、何とか3人の中に入っていこうとしているようだが、肌を刺すような凄まじい気が
渦巻いていて近付く事も出来ないようだ。
(何なんだよ、いったい〜)
どういう話の展開でこうなったのかは分からないが、このままこの3人が三者三様で力をぶつけ合えば、せっかく無事だったこの台所も
壊れてしまうだろうし、自分や珪那、そして青嵐だって怪我をするかもしれない。
(止める、止めるって、どうするよ、おい)
 慌てたように台所の中を見回していた昂也だったが、
(あ!)
偶然に丁度良いものを見付けてしまった。



 自分のものに手を出したところで、部外者から何を言われることもない。そんな不遜な思いで殺気立つ江幻と蘇芳を睨み返してい
た紅蓮は、
 『いい加減にしろって〜!!』

 バシャッ

 「・・・・・っ!」
 いきなり大声が聞こえたかと思うと、紅蓮は顔に向かって何かが掛けられた事が分かった。
 「な・・・・・っ」
それが水だという事に気付いた時、紅蓮は濡れているのが自分だけではなく江幻と蘇芳も同じだという事も視界に入って分かった。
目の前には昂也が大きな木の器から水を滴らせて仁王立ちをしている。誰が何をしたのか、その様子で一目瞭然だった。
 「お前・・・・・竜王になる私にこのような狼藉をして・・・・・覚悟は出来ておるのかっ!」
 呻くように、恫喝するように、昂也の頭上から見下ろしながら言った紅蓮に対し、昂也は顎を上げて言い放った。
 『いい大人が場所柄考えろっていうんだよ!こんなとこで暴れたら、俺もケーナも青嵐も怪我するだろ!いい病院知ってるのかよ!』
 「・・・・・何を言っておる」
 『俺が何言ってんのか分かんないんだろっ?さっきまでどうして話が出来たのか考えろよ!コーゲンのおかげだろっ?先ずは感謝した
らどうなんだよ!』
相変わらず何を言っているのか分からない昂也の言葉だが、その中にも江幻や他の者の名前が出てきている。
けしてその唇から自分の名前は出ないのか・・・・・紅蓮は唇を噛み締め、拳を握り締めた。



 「・・・・・ったく、気が削がれた」
 水で濡れてしまった髪をかき上げながら蘇芳は呟いたが、その顔からは先程までの殺気は消えてしまっていた。そう思いながら見つ
める自分の気持ちの中からも激しい感情が消え去っている事に気付いた江幻は、昂也の言動の偉大さをしみじみと感じていた。
(何があっても・・・・・変わらない、か)
 紅蓮が既にコーヤに手を出していたのには驚いたし(そこまではさすがにしていないだろうと思っていた)、こんな幼い子供にと怒りも
湧いたが、当のコーヤの持っている気に澱みは無かった。
身体を汚されても心は屈しなくて綺麗なまま・・・・・そんなコーヤの強さが眩しく、そして、今こんなふうに自分達の剣呑な雰囲気を
ぶち壊してくれたコーヤの行動が小気味良かった。
(だから、この子は面白い)
 コーヤにとって、紅蓮の行ってしまった行為に関しては何らかの傷は残っているだろうが、それでもその本質を歪めるほどにはなってい
ない・・・・・そういうことなのだ。
 「蘇芳、罰はコーヤが与えるみたいだぞ」
 「・・・・・そうだな。俺達の与えるものよりは遥かに効きそうだ」
 「ふ・・・・・コーヤ」
 『何だよ!』
 紅蓮に向かって立っていたコーヤは、名前を呼んだ江幻を振り返る。それはせっかく今から喧嘩をしようとした良いところで止められた
というような怒った顔で、江幻は苦笑しながら近付くとコーヤの手を取って緋玉の上に自分の手を重ねながら言った。
 「コーヤは今どうしたい?」
 「俺?」
 「そう。私達は紅蓮には少し言いたいこともあるんだが・・・・・一番何かを言う権利はコーヤにあるようだしね」
 「・・・・・」
コーヤはじっと江幻を見つめた。そして、何かを考えるように俯いたが、次の瞬間顔を上げるときっぱりと言い切る。
 「前いたとこ、あそこに一回戻りたい!」
 「王宮に?」
 「逃げ出したわけじゃないってちゃんと説明したいし、シオンやソージュやアサヒにも一度お礼を言いたいし、生まれた赤ちゃん達の顔
も見ておきたいし!」
 「・・・・・紅蓮がいるよ?」
 「怖くないって!それに、俺すぐここに戻ってくるよ?あっちは窮屈だし、こっちの方が楽だからさ」
コーヤの言葉をじっと聞いていた江幻は、チラッと紅蓮に視線を向けると皮肉気に笑いながら言った。
 「コーヤの方がよほど大人だな、紅蓮」





 そしてー



(グレンの竜の姿はカッコいいんだけどな〜)
 そう思いながら昂也が赤い竜から下りると、昂也の憧憬の視線を向けられていた赤い竜はたちまちグレンの姿へと変わった。
 「・・・・・」
黙ったまま昂也を見たグレンは、そのまま何も言わずに山道を降り始める。
 『ちょ、ちょっと待てってば!』
山道には幼い頃から慣れているが、今昂也の腕の中には青嵐がいる。かなり大きくなった青嵐を落とさないようにするのは大変で、
昂也は恐る恐る坂道を下りていた。
(少しは歩幅を合わせるとかっていう優しさを見せろってーの!)
昂也の胸元にはコーゲンから借りた緋玉が入っている。これを使えば会話は出来るが、これはそれ以前の気遣いの問題だろう。
 『ホント、用事が終わったら直ぐ戻るからな』
 コーゲンと約束したのは三昼夜。それが過ぎてもコーゲンの小屋に戻らなかったら、コーゲンとスオーが王宮(そこでようやく、昂也は
自分がいた場所が王宮だったことを知った)まで迎えに来るという話になっている。
しかし、このままではその約束の前に帰りたくなるかもしれない・・・・・そう思って歩いていた昂也は、いきなり腕が軽くなってパッと顔を
上げた。
 「グ、グレン?」
 そこにはもっと先を歩いていたはずのグレンが目の前にいて、昂也が抱いていた青嵐を取り上げていた。
 『え?あ、あれ?』
それはとても優しく抱いているという格好ではなく、半分肩に担いでいるようなものだったが、不思議と青嵐も泣くことは無く大人しくし
ている。昂也は再びムスッとした表情のまま歩き始めたグレンの後ろ姿を見送りながら、ふ〜んと口元が緩んでしまった。
(なんだ、いいトコあるじゃん)



 「紅蓮様っ?」
 「どうされたのです!」
 紅蓮が王宮にいると思っていた臣下、召使い達は、いきなり正門から入ってきた紅蓮と人間の少年、そして角持ちの子供を見て
色めきたった。
黒蓉は一瞬白鳴を睨むように見たが、直ぐに紅蓮の側に行くと膝を折って言う。
 「紅蓮様、どちらに参られる時も必ず私をお連れ下さるようお願いしておりますが」
 「すまぬ」
 「・・・・・この者達を連れ戻しに行かれたのですか」
 「どちらも私のものだからな」
 あからさまな敵意を隠そうともしない黒蓉が苦手なのか、コーヤは自分の身体の影に隠れてこっそりと顔を覗かせていた。その様子
が少しおかしくて紅蓮は僅かに頬を緩めそうになったが・・・・・。
 「あ!シオン!」
いきなりそう叫んだコーヤは、自分の背中から飛び出して、騒ぎを聞きつけて広間に駆けつけてきた自分の部下である紫苑に向かっ
て走っていく。
 「コ・・・・・」
 「コーヤ!」
 珍しく紫苑は大きな声を出してコーヤの名を叫ぶと、駆け寄って行ったコーヤの身体を抱きしめた。
大勢の人間がいる前で紫苑がそんな行動を取るのは珍しいが、それほどに紫苑はコーヤの行方を心配していたのだろう。
 「・・・・・」
コーヤがここから逃げ出すまで(コーヤは逃げたのではないと言っていた)世話係のようなことをしていた2人には確かな信頼関係が出
来ていたのかもしれない。そうは思うが・・・・・紅蓮の眉間には深い皺が寄った。



 「どこに行っていたのですか、コーヤ。身体は?怪我などはしていないのですか?」
 『ごめん、シオン、心配掛けちゃった』
 「ああ、でも無事でよかった」
 『言っとくけど、俺は逃げたんじゃないからな?』
 シオンの細い、それでも自分よりも逞しい腕に抱かれると、まるで兄のように思えてくすぐったくて嬉しい。当初から自分に対しては好
意的だったシオン。
確かに紅蓮が自分に襲い掛かって来た時はそれに加担したが、それ以降は誰よりも自分の側にいてくれて意思を読み取ろうとしてく
れた。そんなシオンには、もう一度ちゃんと会って礼を言いたかった。
 「シオン、あーと」
 「コーヤ・・・・・」
 「あーと」
 そう言って頭を下げた昂也の視界に光るものが映る。
 「あれ・・・・?シオン?」
 「え?ああ、これですか?普段は着けないのですが、コーヤの居所を探す為に気を高めるのに着けていたのですよ。代々の神官長
が受け継いできたものです」
 『きれーな青色だなあ』
シオンの手首に輝く青い腕輪を見つめながら、昂也はこれはこの世界では見る事が出来ない空の青だなと漠然と考えていた。





                                                                  第二章  完