竜の王様
第三章 背信への傾斜
プロローグ
※ここでの『』の言葉は日本語です
王宮を出てからまだ数日しか経っていなかったが、昂也は抱きしめ返してくれるシオンの腕を懐かしいものと思って感慨に浸ってい
た。
(やっぱり、来て良かった)
不本意な目に遭いそうになった時に、青嵐が竜に変わって助けてくれ、そのまま王宮から出ることになった。そのことに今更後悔は無
かったが、それでもこうして心配してくれた者がいるかと思えば、嬉しいと同時に申し訳なくも思った。
「コーヤ、いったい今までどこにいたんですか?」
穏やかに何か言うシオンに、昂也はあっと気付いて胸元から片手で持てる程の大きさの玉、コーゲンから借りた緋玉を取り出した。
これを使えば、きっとシオンとも自由に会話が出来るはずだ。
「それは・・・・・」
昂也が取り出したそれを見た時、シオンは僅かに目を見張ったような気がした。
『これ、知ってる?』
「それは、緋玉ではありませんか?」
『コーゲンに借りてきたんだ。割れないように持って帰らないと』
「こ・・・・・げん?・・・・・江幻殿に会ったと・・・・・?」
どうやら名前だけは聞き取れたらしいシオンは更に絶句してしまったが、昂也は構わずにシオンの手を取って一緒に緋玉の上へと手
を乗せた。
『俺の言葉、分かる?』
『・・・・・え、え、分かります』
『俺も!俺も、ちゃんとシオンの言葉、分かるよ!』
コーゲンが側にいないので大丈夫かと多少は心配だったが、昂也の耳にはシオンの言葉がちゃんと日本語になって聞こえる。
嬉しくなった昂也は、今までこの王宮の中では見せた事の無いような笑顔になった。
「火焔(かえん)の森 にいらしたのですか」
黒蓉は耳に届いたコーゲンという言葉にすぐさま反応をした。
(あの人間を捜す為に・・・・・っ)
紅蓮が自分には何も言わず、勝手に王宮から出て行ったことはさすがに衝撃を受けた。
紅蓮の部屋の前で白鳴に入室を制止された時、何かおかしいと感じたのは確かだ。しかし、年上で宰相という立場の白鳴には一
目置いている黒蓉は、その不審を無理に押し殺して考えないようにしていたのだ。
だが、実際に紅蓮は白鳴以外には誰にも真実を告げず、勝手に逃げ出した人間ごときの行方を自ら捜しに向かった。
それさえも考えたくないほどに腹立たしいのだが、そこで江幻と出会っていたとは・・・・・。
「紅蓮様」
「江幻に会いに出向いたわけではない」
「・・・・・」
「コーヤが江幻の庇護下にあっただけだ」
「コーヤが、江幻の?」
(いったい、どういう経緯で・・・・・?)
王宮の地下から出現したコーヤが江幻と面識が無かったことは確かなはずだ。
しかし、類稀な竜の力があるというのに王族に尽くすこともせず隠遁していた江幻と、人間の少年のコーヤが一緒にいたということには
何らかの意味があるのだろうか。
黒蓉が様々な情報を頭の中ですり合わせていると、それまでコーヤと紫苑の様子をじっと見ていた紅蓮が口を開いた。
「三昼夜後、コーヤを戻さねば江幻と蘇芳がここに来る」
「蘇芳も、ですか?」
「あの2人が揃うと厄介だ。密かに兵の準備を」
「・・・・・戻せばよいではありませんか」
黒蓉はきっぱりと言い切った。
「碧香様がお戻りになられるまで、人間の子供などあの変わり者達に面倒を見させておればいいのです。紅蓮様がお心をくだくこと
はございません」
「黒蓉」
「はい」
「私は、一度自分の手にしたものを他の輩に渡すつもりは無い」
「・・・・・」
「それは人間ごときも・・・・・同じだ」
反対の意見など聞かないと言うように言い切った紅蓮はそのまま黒蓉に背を向けると、王宮の奥に位置する自分の私室へと足を向
ける。
深く頭を下げてその背を見送った黒蓉の唇は、強く引き締められたままだった。
王宮に戻ってきて、紅蓮は一応の安堵を感じていた。
いくら次期竜王の紅蓮だとはいえ、自分の存在を全く脅威に思っていない江幻と蘇芳を前にしては分が悪い。そんな彼らの領域に
いるのは落ち着かなかったが、ここは・・・・・王宮では紅蓮の力は隅々まで行き渡っているので安心だ。
「紅蓮様」
その紅蓮の背中から白鳴が声を掛けてきた。
紅蓮は足を止めないまま言う。
「ご苦労だった」
「黒蓉には恨まれそうですが」
「・・・・・」
「後でもう一度お声を掛けてやってください」
「・・・・・分かった」
紅蓮も、特に黒蓉に含むところなど無い。むしろどんな時も紅蓮の事を一番に考え、行動している黒蓉を信頼していた。
ただ、コーヤに関してだけは、紅蓮が思っていた以上に黒蓉には思うところがあるようで、紅蓮も容易にコーヤを連れ戻しに行くという
ことが出来なかった。
もちろん、紅蓮自身、人間であるコーヤを気に入っているというわけではない。あくまでもコーヤは自分のもので、その自分のものを取り
に行っただけなのだ。
「白鳴、後で紫苑を部屋に呼んでくれ。角持ちについて話しがある」
「分かりました」
「本当に心配掛けてごめん」
「・・・・・いいえ」
内心の驚きを押し隠しながら、紫苑は自分の耳に届くコーヤの言葉をじっと聞いていた。
たった数日前までは、拙いという以前の語彙しか無かったコーヤ。身振り手振りやその視線で、自分の思いを紫苑に訴えてきていた。
しかし、今は普通の会話として心地良い声が耳に聞こえる。
(緋玉・・・・・こんな力があったのか)
紫苑ももちろん、江幻の事を知っていた。
本来は自分よりも力があるはずの江幻が、なぜ神官長にならなかったのか。今も思い出せば苦い過去だが、その江幻がコーヤにも
関わっているとなれば更に複雑な思いがする。
それでも、コーヤとこうして言葉が交わせるのは嬉しく思え、紫苑は自然に頬に笑みを浮かべた。
「これがあれば、コーヤが何を食べたいのかも直ぐに分かる」
「あ、でも、俺、三日後には戻るし」
「戻る?どこに?」
「どこって、コーゲンとスオーのとこ。一緒に玉探しするって約束したんだ」
「・・・・・スオーとは・・・・・占術師の蘇芳のことですか?」
「あ、スオーも知ってるんだ?」
「・・・・・」
紫苑は今立ち去った紅蓮の消えた方向へと無意識に視線が行ってしまった。
紅蓮と蘇芳の関係は、ごく限られた者・・・・・いや、多分今は四天王と言われる自分達くらいしか知らないのであろう。あれ程人間
を忌み嫌っている紅蓮が人間を母に持つ蘇芳と異母兄弟などと、そんな真実は知られてはならないのだ。
(コーヤは・・・・・知っているのだろうか?)
「コー・・・・・」
「あ!ソージュ!」
蘇芳の事をもっと聞こうとした紫苑だったが、その前にコーヤは浅緋と共に現れた蒼樹のもとへと駆け寄っていく。
「・・・・・」
たった今まで自分の腕を掴んでいてくれたコーヤの気配が遠ざかり、紫苑は無意識のうちに触れられていた部分をそっと自分の手で
触れていた。
『ソージュ!』
「コーヤッ?」
蒼樹の表情に大きな変化は無かった。
それでも僅かに驚いた様子なのは分かる。
『ごめんっ、俺黙って行っちゃって!でも、ソージュにはちゃんと世話になった礼を言いたいと思ってたんだよっ?』
「お前、逃げ出したんではないのか?」
『でも、こうしてちゃんと会えて良かった!』
「いったい、今まで何をしていた?」
『何言ってんのかわかんな・・・・・あ、そっか!』
何時までも会話が噛み合わないのは緋玉を使っていないせいだとようやく思い当たった昂也は、直ぐにソージュの手をガシッと掴んだ。
昂也のいきなりの行動にソージュは眉を顰めたが、それでも抵抗する事も無くされるがままに緋玉に手を置く。
その様子を、アサヒも直ぐ側で見ていた。
『ありがと、ソージュ』
そう言った途端、ソージュの目が見開かれた。
『・・・・・お前の言葉が分かるんだが』
『うん、この玉のおかげで言葉が通じるんだよ。やっぱ、こうしてちゃんと話せるっていいよな』
『・・・・・何だか、変な気分だが』
「何を話しているんです」
側にいるアサヒが口を挟んできた。傍から見れば、日本語とこちらの言葉が行き交っているだけなので不思議に思えたのだろう。
昂也は笑いながらソージュの手を放し、アサヒの手を取って三つの手を重ねて見せた。
『これで分かる?』
『・・・・・これは、お前の声か?』
『そう、アサヒも、ありがと。旅の途中、色々助けてもらって嬉しかった』
『・・・・・いや、それは・・・・・』
逞しい身体の戦士といったアサヒも、いきなり聞こえてきた意味の分かる昂也の声に戸惑っているのが良く分かる。
ソージュもアサヒも驚かせて満足出来た昂也は、心の中でこの緋玉を快く貸してくれたコーゲンに礼を言った。
(戻る時、何か美味しいもの貰って帰ってやろっと)
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